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指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

照明ゼロの映画 『成吉思汗』

2023年12月14日 | 映画

映画で照明がきちんとされていないと、かくもひどいのかがよく分かった。

            

モンゴルでが野外の部分は撮影されたようで、当時はもちろん電力はなく、電源車も持っていかなかったのか、主人公にもライトが当たっていないので、俳優がほとんど見えない。

スタジオで撮った部分もあるはずだが、それも良く見えない。

響くのは、テムジンの母の浦辺粂子のみで、若いころは美人だったのだなあと思う。

テムジンは、戸上城太郎だが、よく見えない。

筋は、若いテムジンが、いくつかの部族の長になり、戦いを経て、モンゴルの長になるのだが、その経過がほとんど理解できず、最上米子と婚姻して子もできるらしいが、詳細は分からない。

最後は、成吉思汗になるというものだが。

このような映像で、映画公社から配給されたわけだが、見た観客は文句を言わなかったのだろうか。

実に不思議な作品だった。

国立映画アーカイブ


「小林久三も・・・」

2023年12月14日 | 映画

三村晴彦が、加藤泰を知らなかったことを書いたが、後に小説家となる小林久三も、都はるみを知らなかったと自分の本に書いている。

小林久三は、東北大を出て、松竹大船の助監督になり、何本かのシナリオを書き映画化された。

             

それが社内で評価されて、『アンコ椿は恋の花』の脚本を書けとの命令が来た。

だが、そのとき、小林久三は、都はるみを知らず、初めて彼女のレコードを買ったそうだ。

すごい、というしかないが、それが松竹大船の雰囲気だったようだ。

その映画の古さ、センスの悪さに反比例して、実は大船は、非常に高踏的なスタジオだったようだ。

小津安二郎の弟子だが、つまらないメロドラマばかりを撮った原研吉は、大変なオシャレで、女優並みの衣装替えで、現場に来るのが通常だったそうだ。そして、彼はフランス詩の研究家でもあり、詩人でもあったそうだ。

美術でも、川端康成原作の映画『古都』でも、室内に飾ってある絵が、パウル・クレーだった。

そのように、さりげなくインテリジェンスを示すというのが、江戸っ子スタジオの松竹大船だったのだろうか。


加藤泰を知らなかった三村晴彦

2023年12月11日 | 映画

BSの「予告編特集」には、いろいろと面白いことが出ている。

                               

その一つが、大船の助監督だった三村晴彦が、監督の加藤泰の名を知らなかったというところだ。

加藤が、松竹大船に最初に来たのは、『男の顔は履歴書』だから、1966年だろう。

すでに東映で、『三代目襲名』や『遊侠一匹』などの名作を作っていた後のことで、鈴村たけしさんが聞いたら、卒倒してしまうに違いない。

当時、松竹大船には、瀬川昌治、渡辺祐介らの他社の監督が来ていたが、

「東映京都のヤクザ映画の監督」と聞き、ますます不愉快になったそうだ。

だが、加藤が、撮影に当って、ノートに全シーンのコンテができていて、その通りやればよいのだが、ところどころ白紙で、

「なにか、音がほしい」とか「ほうしなイメージがなにか、教えてください」などと書いてあって、全スタッフが知恵を出さないとまずいように持って行くのに感心したそうだ。

要は、「スタッフ全員で映画を作るという姿勢」で、大船の渋谷実の秘密主義で、名人芸は自分で盗めというのと正反対で、大変に驚いたそうだ。

それは、戦前に東宝を首になり、満映に行き、戦後戻ってくるが東宝には戻れず、なんとか新東宝の傍系の宝プロで監督をしたが潰れて、仕方なく大映の助監督に戻るが、レッドパージで首になる。

そしてやっと東映京都で監督になったという加藤泰の経験から来たものだと私には思える。

もっとも、山田洋治は、加藤に激励の手紙を出したことがあるそうで、当時から山田洋治は、勉強家だったということになる。


『大菩薩峠』を見て

2023年12月11日 | 映画

『大菩薩峠』の映画もいろいろあるが、一番好きなのは、市川雷蔵主演の大映版である。

これは、1部と2部が、三隅研次監督で、3部が森一生で作られたもの。

          

三隅が、映画『釈迦』の準備で忙しかったので、森一生になったとのことだが、できはさすがである。

脚本が衣笠貞之助で、この映画というか、中里介山の物語を貫いているのは、江戸時代の表の社会の裏にある下層社会の姿だろうと思う。

この辺は、介山には、もともと社会主義のような、社会の底辺の人々に寄せる意思があったからだと思う。

ただ、これを強調すぎると、3部の冒頭で、近藤恵美子が唄う「相の山」への過剰な意味づけになってしまうと思う。

昔、東映製作の「人権啓発映画」で、内田吐夢監督、片岡千恵蔵主演のこれで、ここから人権問題に行く映画があり、少々困ったものだ。

ここでも、近藤恵美子、阿井三千子、矢島ひろ子、中村珠緒と、次々に雷蔵の机竜之介を世話する女性が出てくるのが、昔の映画だとしても、都合が良いと思うが、それがスター映画である。

途中で竜之介は言う、

「世には、偉くなることが好きな者、金を貯めるのが好きな者がいる。私は、人を切るのが好きなので、切るのだ」

こんな無意味な動機付けで、やたらに殺されてはたまらないが、甲州での辻斬りなど、本当にひどい。

対して、竜之介を仇と狙い、行こうとする本郷功次郎の宇津木兵馬に、荒木忍の僧侶が言う、

「仇討ちなどくだらない、その感情は分かるが、無意味なことだ」と。

そして、最後、やや取ってつけたように、甲府に洪水が起き、濁流に流される藁ぶき屋根にいる机竜之介を見る本郷に向かって荒木忍が、

「あれだ・・・」というと宇津木兵馬もうなずく。

仇討ち、復讐など、無意味なことで、非近代の行為と江戸幕府では、禁止した徳川家康は偉いと思う。

イスラエルのテルアビブに行って、ネタニヤフなどの右翼ユダヤ主義者に見せたくなる映画だった。

仇討ちなど、非近代の仕業で、現在の国際秩序に反するものなのだ。

 


『黒い傷跡のブルース』

2023年12月09日 | 映画

1961年のこの映画は、珍品である。一つは、小林旭と吉永小百合が共演していること。もう一つは、小百合さまのバレリーナ姿が見られること。と、言っても『勝利者』の北原三枝のようなプリマではなく、その他大勢の一人だが。

               

5年ぶりに、神戸から横浜に戻ってきたのが、小林旭の渡三郎。

横浜のヤクザ堤組組長の松本染升から、神戸での拳銃取引の身代わりに神戸に行った小林旭は、取引現場で、小松という大坂志郎の裏切りによって、金を奪われて重傷を負う。

拳銃取引の罪で5年の刑に服してきたところだった。堤の家に行くと、松本は病死していて、妻の東恵美子が、息子と横浜のぼろ家に住んでいる。

旭は、小松を横浜で探すと、元町でスーパーをやっていることを突き止める。

そして、大坂の娘がバレーをやっている吉永だったのだ。

大坂は、神山繁らの指示で堤や小林旭らを裏切って金を手にして、それでスーパーを出したのだ。

神山は、吉永が好きで、バレーの会の時に、プロポーズするが、もちろん断り、旭のところに行く。

だが、旭は、今はだめと船で去ることを示唆して終わる。

旭が根城にする喫茶店の店主稲葉義雄の娘は、金井克子となっているが、あの西野バレー団の金井だろうか、だとすればその前に日活で子役だったことになるが。


『魔性の夏・四谷怪談』

2023年12月08日 | 映画

私は、シェイクスピアや鶴屋南北らの名作は、そのままやった方が良いという立場で、蜷川幸雄も、芝居ではシェークスピアでは、ほとんどそのまま上演しているが、この鶴屋南北の名作ではかなり変えている。

                   

脚本の内田栄一が、萩原健一、石橋蓮司、関根恵子、夏目雅子らに合わせて書いたのだろうが、やや時代に合わせすぎていると私は思うのだ。

むしろ、先日亡くなられて鈴木瑞穂や内藤武敏らのベテラン俳優の方がよく見えるのは、どうしたことだろうか。

そして、一番問題だと思うのは、夏という感じがしないことだ。

やはり、『四谷怪談』では、東京映画で豊田四郎が作ったのが一番好きだ。


『空海』

2023年12月06日 | 映画

真言宗の全面的な協力をえて東映が、1984年に作った空海の伝記映画。当時、さんざ予告編を見たが、はじめて本編を見た。

             

これは、はじめは空海に勝新太郎がキャステイングされていて、勝新と真言側との会合が開かれた。

その席で、勝は、

「空海は、唐に留学して多数の文献を持ってきたが、中には仏典だけでなく、エロ本もあったはずだ。

 だから、俺はマスをかいて、ビンビュン精液を飛ばしてやる・・・」

これに真言側は、度肝を抜かれ、勝新には、ご辞退をいただき、北大路欣也に代わったのだそうだ。

もちろん、北大路は悪くないが、まじめすぎて、破天荒さがないのは、残念なところだ。

幼いころから、優秀さゆえに讃岐から、都(奈良)の大学に来ていた真魚は、本当の学問の意味はなにかと自問し、讃岐に戻ってくる。

それから、全国を修行に自ら彷徨するが、都の桓武天皇が、遣唐使を派遣すると知って、応募する。

その4隻の船の内の1隻には、後にライバルとなる最澄も乗っていた。

最澄も、当時最新の教えだった密教を学びたいとの意思があった。

空海の乗った船には、橘逸勢(石橋蓮司)もいて、彼は出世のために志願したのだが、空海は、本物の密教を学ぶために行ったのだ。

だが、ちっぽけな遣唐使船は、大風に遭って翻弄され、4隻の内、2隻は難破してしまう。

だが、運よく空海の乗った船は、大漂流して南に流されるが、なんとか中国に着く。

そして、、都の長安を目指して行くが、すでに最澄は、長安で密教を学んでいると聞いて、空愕然とするが、空海は、逆に自分こそ、本当の密教を学ぶと決意する。

長安で、彼は、まず梵語を学び、すぐに習得してしまうほど、空海は語学の天才だった。

全体の語りは、空海の叔父の役の森繫久彌のナレーションで進行してゆくので、大変分かりやすくできている。

ついに、密教の祖にじかに合うことができ、本当の教えを受けることができる。

この辺は、アニメなどを使って解説されるが、凡夫の私には、本当には理解できないところだ。

本来は、20年いるべき留学生を、2年で切り上げて空海は、日本に戻る。

西郷輝彦の嵯峨天皇から、そのことを問われるが、空海は、

「密教で、日本を救いたいのだ」と断言し、天皇の信頼を得る。

それは、宗教者というよりも、デマゴーグに近いが、彼が天才であることは間違いない。

そこに最澄の加藤剛が来て、密教の教えを懇願するが、空海は最後までは教えない。

ここは、秀才と天才の対決で、大変に興味深い。

空海は、故郷に戻り、水害を防ぐために、人造湖を作るが、嫌がる農民等を鼓舞し、昼夜兼行で土木工事を完成させてしまう。

まさに天才であり、イタリアのレオナルド・ダ・ビンチみたいな人間だったと言えるだろう。

音楽が、ツトム・ヤマシタで、ここはやはり伊福部先生の重厚さがほしいところだった。

 

 

空海の同船には、橘逸勢の石橋蓮司なども乗っていて、か

 


松竹的母物映画 『広い天』

2023年12月04日 | 映画

昔、BSの予告編特集で、司会の篠田正浩が、松竹と大映の母物映画を比較していた。

大映のは「演歌調」だが、松竹の木下恵介の『日本の悲劇』は、「母と子は絶対に和解できないこと」を描いていた、と言っていた。

             

この1959年の獅子文六原作の映画『広い天』は、一種の「母物」で、1945年、東京に住んでいた井川邦子と息子新太郎が離れ離れになり、本当は父親山内明の故郷の広島に息子だけ疎開させるものだった。

息子は、真藤孝行という子役で、当時松竹の映画に多数出ているが、江木俊夫みたいでかわいい子で、台詞が非常に良い。

だが、空襲で列車が止まり、乗客が避難するときに、新太郎は、疎開先の住所の紙を失くしくしてしまう。

仕方なく、偶然に前の座席にいた伊藤雄之助が、自分の四国の故郷に、新太郎を連れて行ってくれる。

四国の田舎の農家で、伊藤の兄の松本克平たちからは、いじめに近い扱いを新太郎は受ける。

伊藤は、本当は売れない彫刻家だが、木彫りで新太郎の姿を掘り、戦後東京の展覧会に出すと高い評価を受ける。

また、戦争から戻ってきた新太郎の父の山内明は、新聞記者で、彫刻の写真を家に持ち帰って井川に見せると、彼女は、すぐに新太郎だと直感して探す。

だが、その頃、新太郎は、四国から大阪への闇船に乗せられているというすれ違いが起きるが、伊藤の直感で、彼は美術館に来ているはずだとのことで、上野の美術館に伊藤雄之助、井川邦子、山内明が来て、再会のハッピーエンド。

かなりひねった母物だと思うが、実はこの映画のチーフ助監督は、篠田正浩だった。

彼は、当時の常で、予告編を担当したが、ラストシーンに、ベートーベンの『第九』の「歓喜のコーラス」を流し、試写では、大船撮影所中を『第九』が響いたのだそうだ。

衛星劇場

 

 

 


木下恵介を思う

2023年12月04日 | 映画

朝刊の広告に、東京工芸大学100年が出ていた。

小西六写真写真専門学校で始まった同大も、100年を迎えたのだ。

多くのアーチストが出ていると思うが、第一は、木下恵介だと思う。

当時から学歴偏重だった松竹では、大卒が条件だったので、木下も、入学して学歴としたのだ。

そして、彼は演出ではなく、撮影を担当していた。

その後、戦時中に映画『花咲く港』で監督デビューする。

戦後は、大活躍で、あの黒澤明の『七人の侍』よりも、『二十四の瞳』と『女の園』の方が上だったのだ、キネマ旬報のベストテンでは。

黒澤は、3位だったのだ。

                    

私は、『二十四の瞳』は苦手な方になるが、『女の園』はすごいと思われ、これは大島渚の『日本の夜と霧』につながるものだと思う。

そして、木下恵介は、表現としては、かの小津安二郎につながるものだとも思う。

今日、黒澤明に比べて木下恵介は、忘れられた存在になっているようだが、私は大きく評価している人間の一人である。

 


『コミック雑誌なんかいらない!』

2023年12月02日 | 映画

1986年の映画、公開時に見たが、その時よりも面白かった。

             

内田裕也が演じるのは、テレビの芸能レポーターで、その名が木滑というのが笑える。

モデルにしているのは、梨本勝で、芸能レポーターをしているが、神田正輝と松田聖子への突撃取材で、石原プロの苦情から芸能番組をはずされ、風俗レポートに廻され、夜の新宿の歓楽街のレポートが一番面白く、実際に売れっ子ホスト役として郷ひろみが出て来て、その前で片岡鶴太郎が、郷の物真似で歌う皮肉。

同じマンションにいた殿山泰司や、内田の体を買った女性が、高額の純金商品で破産して自殺したこと等から、豊田商事を取材する。

当初テレビの人間は、取材に非協力的だったが、大阪で騒ぎが起きそうだとなると、手のひら返しで、内田を突撃取材に派遣する。

永野社長のマンションに行くと、ビート・たけしらの二人組が現れて、窓を壊して部屋に押し入り、社長を刺殺してしまう。ついに内田は部屋に突入し、二人と格闘の末、刺されてしまう。

生き残った内田に、テレビ局等がインタビューするが、

「日本人には言わないよ」でエンド。

麻生祐未がまだ若くてかわいかった。

 

 


山田太一がついた「海女映画」

2023年12月02日 | 映画

山田太一が亡くなられて、訃報に木下恵介に師事したと書かれていて、それは嘘ではないが、中にはかなり「変な作品」もあったようだ。

それは、泉京子さんを主人公とする『禁断の砂』シリーズで、山田は、篠田昌浩らと共に、水中撮影班の助監督として、伊勢志摩の海に潜り、海女の股座目掛ける撮影に従事していた。

               

どのような映画かと言えば、次のとおりである。

昭和30年代、「海女女優」として有名だった泉京子の主演映画。共演は、大木実、褌姿が珍しい美少年石浜朗、泉と対立する悪役が瞳麗子。子供を亡くして気が狂った女に桂木洋子、大木の親が飯田蝶子と坂本武と、かなり豪華な配役。監督は松竹には少ないアクション専門の堀内真直。
音楽は『水戸黄門』の木下忠司。当時すでに「バナナ・ボート」がヒットしていたので、カリプソ調の歌が歌われ、泉らが村祭りで踊るのが、笑いをこらえるのが大変だった。日本映画史上、黒澤明の『隠し砦の三悪人』の火祭りの舞踏シーンと並ぶ珍場面だろう。どちらも、日劇、松竹というダンシング・チームを持っていたので、できた。原作は房総にいた近藤啓太郎で、真面目な小説らしいが、ここでは泉の海女姿、衣が濡れて乳房が見えたり、踊りや乱闘で裾がはだけてパンツが見えるところが最大の売物。今見ると、どうということのない映像だが、邦画メジャーで見られるのは珍しかったので、大ヒットし4本も作られた。出来としては、筋に飛躍や破綻のない新東宝映画という感じだろう。本来、際物なのに真面目に作っているのが実におかしい。脚本とチーフ助監督が今や小説家の高橋治。篠田正浩や山田太一も助監督で、困難な水中撮影を担当したらしい。彼らは「清く正しい松竹女性映画」の破綻を密かに感じていたそうだ。  川崎市民ミュージアム

 

松竹にはふさわしくない「性的映画」だったが、ヒットしたので、4本も作られたのである。

海女映画は、結構あり、新東宝も作っていたし、後の日活ロマンポルノでも、藤浦敦監督で何本も製作されたのだ。

なにも、テレビの『あまちゃん』が、始めではないのである。

 

 


『白い暴動』

2023年12月01日 | 映画

1982年1月の、クラッシュの東京公演は、非常に感動的で、今も開幕のとき、『荒野の用心棒』のテーマが流れて来た時の場内の大歓声を憶えている。今はなき、新宿の東京厚生年金会館ホールである。

                  

この年は、イギリス、アメリカのバンドが多数来て、ザ・プリテンダーズやトーキング・ヘッヅなどがあった。

国内でもいいものが多数あり、郵貯会館での勝新太郎コンサートでは、「郵便貯金なんて俺にふさわしくない、不渡り手形ホールならぴったり」と笑わせてくれた。

『与那国の歌と踊り』を国立小劇場で見て、「沖縄は日本じゃない、むしろ中国文化だ」と思わせたのも、この年で、11月には民音の主催で『服部メロディ・イン・ジャズ』があり、『ミュージック・マガジン』に「なんて軽いステップなんだ」と書いた。

後に、演出の瀬川昌久にお会いして、このときのことを話すと、大変に喜んでいただいた。

1970年代後半、イギリス全体で、人種差別運動が盛り上がっていて、それはナショナル・フロントの組織化されていて、黒人などの団体やコンサートで衝突がおきていた。

さらに、エリック・クラプトンやロッド・スチュアートが、「差別発言」を公然としていて、ロック・パンク勢は、危機感を持っていた。

「黒人音楽から、自分の音楽を得ているのに、どうしたことだ」

そして、ロック・アゲインスト・レイシズムの運動が始まる。

当初、500人程度と予測したコンサートは、8万人の参加で大成功する。

翌年の総選挙で、ナショナル・フロントは大敗北する。

そして、今年、彼らが危惧していたように、イギリスの首相が、インド系の人間になった。

もっとも、彼は大富豪であり、反人種差別主義かどうかは知らないが。


『帰郷』

2023年12月01日 | 映画

1950年の松竹映画、監督は大庭秀雄で、主演は佐分利信、木暮美千代、そして津島恵子である。

原作は、大佛次郎で、外国にいて行方不明となっていた父親の佐分利が、戦後の日本で娘の津島恵子と再会する話であり、当時戦争で行方知らずになった家族が沢山いたことを反映した物語だといえる。

かなり長い間、NHKでは『訪ね人の時間』という「・・・という人を知りませんか」と放送していたものだ。

話としては、かなり上流に属する人間の再会話で、これを庶民化したのが、『君の名は』だとも言えるだろう。これは、大佛と菊田一夫との差でもある。

これを見て面白いのは、出てくる男は、みな卑怯なことで、戦時中に憲兵だった三井公次は、戦後は新聞記者になって進歩派に属している。

津島恵子の母親の三宅邦子が再婚した相手は、大学教授の山村聰だが、選挙に出るために、津島と佐分利の再会がスキャンダルにならないかだけを心配している。

木暮美千代の周りにいるのが学生の岩井半四郎で、軽薄なアプレゲールにされている。

この映画で正義とされているのは、孤独な人の佐分利信と木暮美千代だけなのだ。

この後、日活で、吉永小百合と森雅之、高峰三枝子で再映画化されて見たが、なんともピント来ない作品だった。監督の西河克己も上手くいかなかったと言っている。

衛星劇場


『意志の勝利』

2023年11月30日 | 映画

前に買って、1回見ただけのをきちんと見てみる。

言うまでもなく、1934年6月にドイツのニュールンベルグで行われたナチスの党大会の記録映画とされている。

党大会とは言われているが、むしろナチス祭のような行事で、6日間行われたとのこと。

このビデオは、米国製で、戦後ドイツでは、一般に公開禁止だった理由がよく分かる。

映画として、大変によくできていて、移動撮影や短いカットの積み重ね、そして全編に流れるオーケストラで、まるでミュージカルのように感動的だからだ。

肉体と行進のミュージカルとでも言うべきものだろう。

まず、ニュールンベクの上空を飛んでくる飛行機で始まる。

ユーカンスの単発機が、暗雲の中を飛んできて、飛行場に着陸して、無事ヒットラーが降りたつ。

まずは、町への進行と行進、ヒトラーは、ベンツに立ち、沿道の観衆に手を上げて敬礼してゆく。

野外で盛大なキャンプをしている、ユーゲントの若者の姿、食事、体操、遊びなど、みな上半身は裸である。監督のリーフェンシュタールは、特異なセンスの持ち主で、女性でありながら、男性の美しい肉体を、まるで男性同性愛のように愛でる人間であることが分かる。

彼女は、戦後は、アフリカ、スーダンのヌビア地方の黒人男性の裸体写真集も撮ったほどなのだ。

さらに、労働者らしい手にスコップを持った集団の行進と演技。

ウナギの寝床のような、縦長の党大会場での軽い演説。

そして、10万人という大会場でのナチ党幹部たちの演説が続くが、気がついたのは、ルドルフ・ヘスが、いつも二番目で、彼は総統に次ぐ位置にいたことだ。

町では、昔の民族衣装を着けた男女のパレード。京都の時代祭のようなものだが、ナチスがドイツの伝統を継承していることが表現されている。

             

よく記録フィルムで出てくる、大会場でのシーンになるが、ここでもヒットラーのとなりにいるのが、ヘスである。

遠景にナチの旗が見えていて、そこに動くものがあるので、何かと思うと旗の横で上下するゴンドラで、ここから望遠の俯瞰撮影をしているのだ。

そこでも、ナチスの旗を持った男たちの群衆の行進、また行進。

最後は、党大会場でのヒトラーの大演説。ここは力が入っているが、内容は抽象的で観念的である。

ただ一つ、「国がわれわれになにをしてくれるのではなく、我々が国になにができるかだ!」

あれ、ケネディの有名な演説に似ているが、ここからヒントを得たのだろうか。

全体を見ていて、かなり後から挿入した映像があるなと気づく。

この大群衆は、10年後の1945年には、多くが戦争で死んだのだなと思う。

 

 

 


「井上梅次も、舛田利雄も大映系を問題にしていなかった」

2023年11月27日 | 映画

昨日の『わが映画人生』を見て感じたのは、井上と舛田のお二人は、松竹系の監督、助監督は意識しておられたようだが、大映系の人は、意識されていないらしいことだった。

たしかに、巷間言われているように、日活には、松竹大船の助監督がたくさん来た。

だが、田坂具隆、古川卓巳、牛原陽一らの大映系の人も多かったのだ。

もともと、大映は、旧日活で、それが戦時中の映画法への永田雅一の便乗で大映になったのだから、製作再会した日活に元の、すなわち大映に人が来るのは当然のことだつた。

中には、森永健次郎のように、大映には行かず、戦後も東映にいて、また日活にもどって来た監督もいた。山崎徳次郎なども似た系譜だった。

               

そうした大映系の力の象徴の一つとしては、石原慎太郎の最初の『太陽の季節』の監督が古川卓巳だったことでもわかるだろう。

ただ、大映の人は、まじめでやや硬くて、戦後文学のような軽い、風俗的なものは無理で、『太陽の季節』は、筋違いな出来に終わった。

これに比べると、大船出身の中平康が監督した『狂った果実』の方が、軽薄で原作に合っていて、この方向が日活の主流になるのである。