猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

宇野重規がトクヴィルを通して考える「個人主義」について

2021-02-23 21:46:49 | 思想
 
宇野重規の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)を読み進む速度が、第2章をすぎてから落ちたままで、なかなか進まない。
 
それは、第2章の終わりに「個人主義」という言葉が出てきてからである。私は、「個人主義」というものを真面目に考えたことがなかった。
 
きょう、つぎのウィキペディアの言葉を読んで、この呪縛から解放された
 
〈「個人主義」は、多義的な言葉であって、個々の言説が意味するところは一様ではない。もともとは啓蒙主義に対する非難を意味する言葉であった。〉
 
そうなんだ。定義はどうでも良い。宇野が「個人主義」をどう捉えているかだ。自分は宇野に同意しなくて良いのだ。
 
宇野は、『トクヴィル』の2章3節に、つぎのように書く。
 
〈したがって、「個人主義」という言葉が、「反動」の思想家とされるメーストルらによって用いられ、その後、「社会主義」の思想家であるサン=シモン派によって普及することになったという事実は、きわめて象徴的である。〉
 
宇野は、「個人主義」という言葉が、超保守主義者と社会主義者からの、ののしり言葉として、歴史的に生まれたと言っているのだ。みずから、個人主義と名乗ったのではなく、まわりから、非難されることで自然に生まれてきた言葉で、政治的思想的立場によって意味が異なる。
 
そして、宇野は、あきらかに、無定義語の「個人主義」を擁護しており、無難なものにみせようとしている。だから、「利己主義」と「個人主義」とを区別するトクヴィルの言葉を、宇野は引用したのだ。
 
〈利己主義は熱烈で度を越した自己愛であり、何ごとも自分だけにひきつけ、すべてを措いて自己を選ぶ態度に人を導くものである。個人主義は静穏な思慮ある感情であって、個々の市民を同胞の群れから引き離し、家族と友人との別世界に引きこもらせる〉
 
これは、たんに宇野やトクヴィルが慎重(私は臆病というが)であるからで、「個人主義」の説明として不適切である。とくに、「家族と友人との別世界に引きこもらせる」は個人主義の規定としては承諾できない。
 
「個人」というものを強く打ち出している思想家に、『自由からの逃走』を書いたエーリッヒ・フロムがいる。彼は、「自由(freedom)」と「個人(individual)」とを結びつけている。彼の主張の1つは「個人」がなければ「自由」の要求がないということである。
 
「自由」「個人」「平等化」「デモクラシー」は、近代の思想を形作る一連の概念なのだ。
 
個人主義とは、アナキーにつながる思想なのである。トクヴィルがアメリカで見出したのは、徳や節制や規制がなくても、社会が自立的に機能するということである。これは、まさに、アナキーの主張である。
 
安倍晋三も菅義偉も、総理大臣だから、偉いのではない。行政府が国民へのサービス機関として運営されているかの監督をゆだねられているだけで、私たちを統治してくださいと頼んだ覚えはない。
 
宇野がトクヴィルを愛するのは彼の勝手であるが、つぎの言葉も適切でない。
 
〈この個人はすべてを自分で判断したいと思う。しかしながら、トクヴィルに言わせれば、すべてを自分で1から考え直すことなど、人間には不可能である。人は自覚的に・無自覚的に、つねに一定の事柄を前提に、その権威に頼ってものを考えているからである。〉
 
個人は自分以外に権威を認める必要はない。自然科学に関わる者は、「すべてを自分で1から考え直す」べきである、と思う。
 
2018年にノーベル賞をもらった本庶佑は、つぎのように言う。
 
〈教科書に書いてあることが全部正しいと思ったら、それでおしまいだ。教科書は嘘だと思う人は見込みがある。丸暗記して、良い答案を書こうと思う人は学者には向かない。『こんなことが書いてあるけど、おかしい』という学生は見どころがある。疑って、自分の頭で納得できるかどうかが大切だ〉
 
人間は愚かな生き物である。先人も愚か者である。集団の意見も愚かである。あらゆる権威を否定し、自分で考え直すのが当然である。
 
宇野はつぎのように書く。
 
〈トクヴィルはやがて懐疑を近代的人間の1つの本質であると考えるようになる。しかしながら、懐疑は人にたしかな血を与えてくれるよりはむしろ、不安、苦しみ、孤独へと導くものであった。〉
 
懐疑は、不安、苦しみとして捉えるより、個人として生きることの一部と考えれば、自分は自分であるという喜びに通じる。孤独は居心地のよいものである。

トクヴィルの「デモクラシーは平等化」という仮説

2021-02-21 23:39:31 | 思想


図書館でたまたま、宇野重規の旧版の『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)を見つけ、借りて読む。まだ、「はじめに」と「第1章 青年トクヴィル、アメリカに旅立つ」と「第2章 平等と不平等の理論家」までしか、読んでいない。ちょうど、本の半ばである。しかし、年をとると、読んでも読み解いたことをすぐ忘れる。この辺でいったん書評をまとめるほうが無難である。

本書は、アレクシ・ド・トクヴィルの育った環境から書き出し、彼の著書『アメリカのデモクラシー』を中心に彼の思想を紹介する。トクヴィルは貴族出身でありながら、「デモクラシー」をヨーロッパの未来と考え、政治体制の激動のなか、54年の人生を生き抜いた思想家だそうだ。

本書から最初に受けた印象は、宇野重規が自分をトクヴィルに投影しているのでは、ということである。トクヴィルが「デモクラシー」をヨーロッパの未来と考えながら、君主政政府から革命政府とエリートの道を歩き続けた姿に、宇野は、このオカシナ日本社会に抗いつつ大学に職を保持しつづける自分を重ねたのではと思った。

トクヴィルの35年後にドイツに生まれたフリードリヒ・ニーチェは、「デモクラシー」の足音に恐れおののいていた。彼は、牧師の息子でありながら、キリスト教徒と民主主義者を家畜化した大衆だ、慈悲に頼る弱者だ、と、ののしった。ニーチェは、大衆の出現に恐れていたのである。そして、自分はポーランド貴族の末裔だと自称するトンデモナイ男である。

トクヴィルは「デモクラシー」を「諸条件の平等化」という。「諸条件の平等化」とは、フランス語でどういうのか知らないが、生活のあらゆる場で、平等が当然だと思うようになることらしい。そして、この「平等化」は時代の趨勢で、神の摂理だという。

トクヴィルが、9カ月のアメリカ旅行で驚いたことは、人々が自分の利益を求めて動いているだけなのに、共和政のアメリカ社会が機能していることだったという。

この驚きを、宇野はつぎのように説明する。

〈アメリカはモンテスキューが説いたような意味での共和政とは異なる、まったく新しい共和政である。モンテスキューはかつて、共和政を可能とするのは市民の徳と節倹であるとした。この場合の徳とは、自らの利益を公共の利益のために犠牲にする精神である。しかしながら、アメリカにおいて見られるのは、自己利益を追求する利己的な精神である。〉

〈むしろ、アメリカの実験の大きな成果は、自己利益を追求する中産階級が、にもかかわらず、十分に共和政を統治する能力をもつということであり、いいかえれば、徳が必ずしも共和政を動かす唯一の原動力というわけではないということを実証して見せたことである。〉

この「徳」と「節倹」は、古代ギリシアのプラトンやローマ共和政のカトーにさかのぼる。「徳」とは「優秀さ」のことで、「節倹」とは「節制」とか「質実剛健」のことである。

トクヴィルはそんなものがいらない、自己利益を追求する利己的な精神で十分だと思ったとのことである。他人を自分と同等と思い、自分が損をしないぞ、と思うことが結果として社会の平等化を実現するという。

「神の手がなくても市場は機能する」という考えと同じく、これは仮説である。本当かなとも思う。「中産階級」という言葉も気になる。これはブルジョアジー賛歌でないか。

タイラー・コーエンは、『大格差』(NTT出版)のなかで、つぎのように言っている。

〈人々が生々しい怒りをいだくのは、大幅な昇給を得た同僚だったり、自分より20%収入の多い義弟だったりする。要するに、同じ高校に通ったような人たちが高い収入を得ていると、我慢ならないのだ。〉

すなわち、自然のままの平等化では、自分と同じ境遇の出の人が自分と同じ生活をしろという、同調圧力にしかならないのだ。

じつは、エーリッヒ・フロムも『自由からの逃走』のなかで、「利己心という合理的力(rational forces of self-interest)」という言葉を肯定的な意味で使っている。フロムもトクヴィルも利己心(self-interest)こそ、個人の理性の源と考えているようである。これにも、手放しで同意できるものでない。

私の考えでは、人間は時代が変わっても愚かなのである。

森本あんりの『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』の書評

2021-02-20 23:33:50 | 思想


きょう、ようやく、森本あんりの『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(新潮選書)の書評が朝日新聞にのった。すでに、與那覇潤が1月31日の産経新聞に本書の書評を寄せているし、宇野重規が新潮社の『波 1月号』に書評を寄せている。

私も本屋で立ち読みし、面白く思ったので、2週間前の2月6日に図書館に予約した。この本は横浜市で1冊しか購入していない。私は予約の31番目で、本は2週間借りれることになっているから、このままの調子でいくと、62週目、434日後に借りれることになる。1年半後に私が読めることになる。

横浜市は373万人の人口を抱え、19の図書館をもつのだから、予約が殺到すれば、購入の冊数を増やしても良いのではと思う。もし、横浜市が3冊購入してくれたら、私は半年後に読むことができるのにと思う。貧しい老人にとって、読書は一番の楽しみである。

宇野重規も書評を書いているように、この『不寛容論』は「不」がついているが、リベラルにおける「寛容」のありかたを、アメリカの文化史、宗教史のなかでとらえるものらしい。そして、「寛容」こそ「共存の哲学」である。リベラルはもともと「寛容な」という形容詞である。森本あんりは、その「寛容」を中世のカトリックの教義にさかのぼる、という。

それで終わらない。森本あんりは、「寛容」の意味について注意を喚起したいのだ。與那覇潤は書評でつぎのように指摘をする。

〈単なる「信念の欠如」の裏面に過ぎない寛容さは、かくして瞬時に「信念を持つ者への不寛容」へと転化する。だがそうだとすれば逆に、不寛容なまでの「自分の信念」の貫徹を通じて、異なる信念を同じように貫く隣人への寛容を育てることは、できないのだろうか。〉

そうなんだ。多くの日本人は「寛容」とか「許し」を安易に考えている。私が思うに、「寛容」や「許し」は、自分の信念や怒りを放棄したのではなく、いずれ相手も自分の信念に歩み寄ってくる、いずれ相手も自分の非を認め改める、と信じ、相手に暴力をふるうことなく、辛抱強く待つことである。相手を良しとしたのではない。自分の正しさを信じるからできるのだ。

戦前の日本企業や政府の暴力を許さない韓国人を、日本の識者の一部は1965年の日韓基本条約を盾に非難するが、それは安易すぎないか。「寛容」や「許し」を、暴力の受けた側に要求できるものではない。

どうも、それが、『寛容論』でなく『不寛容論』と、森本あんりがタイトルをつけた理由ではないか、とも私は思う。

1年半後に本書をよく読んで書評を書きたいが、そのまえに、ちょこちょこと本屋で立ち読みすることになるだろう

宇野重規の書評『リベラルとは何か』の「再分配」とは何か

2021-02-18 22:29:52 | 思想


1週間近く前、宇野重規が朝日新聞の書評欄に田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)の書評を書いていた。彼はつぎのように褒めていた。

〈本書の最大のメリットは、この言葉を明確に絞り込んで使っている点である。〉
〈リベラルを切り捨てる前に、ぜひこの本を読んで欲しい。〉

宇野重規は、菅義偉によって日本学術会議会員の任命を拒否された6人のひとりである。保守言論人のひとりでもある。菅がなぜ彼を嫌ったのか、任命拒否の理由を明らかにしていないので、わからない。推測するに、加藤陽子と同じく、東大卒で自由に発言するからだろう。左翼でないのに、政権に従順でないからだろう。

宇野は3年前に朝日新聞デジタルの論座に『あいまいな日本のリベラル』という小論を寄稿している。

「リベラル」とい言葉は、欧米でも、その意味が変遷してきた。とくに、日本で使われるのが1980年代以降であるそうだ。

たしかに、「自由民権運動」の「自由主義」は、「自由民主党」のおかげで、日本では地に落ちた形で使われるようになった。「在日特権を許さない市民の会(在特会)」のように、在日外国人を排斥する「自由」にさえ使われている。また、「新しい教科書をつくる会」の公民の中学教科書では、「自由主義国」を「共産主義国」を敵視する資本主義国の意味で使っている。

私が40年以上前にカナダにいたとき、Progressive Conservative Party(PCP現Conservative Party)とLibral Party(LP)とNational Democratic Party(NDP)の3つの政党があった。学生の人気はNDPにあったが、いまだに少数野党である。いまはLPが政権党である。ということは、LPは左翼政党ではないのだろう。

私は、いまだに、「リベラル」と「自由主義」の区別がつかない。そんな私をおいてきぼりにして、政治家は言葉を風化させていく。

宇野は、3年前の小論で、18世紀までリベラルは「寛容な」という形容詞であったという。19世紀になって、「自らが正当性を認めない権力には決して服従しない」という意味に使われ、「リベラリズム(liberalism)」という政治用語を生み出したという。

〈換言すれば、「リベラル」とは本来、「個人の自由・多様性・寛容」を指し示す立場である、と言っていいだろう。〉

ところで、「自由主義」は「リベラリズム」の日本語訳である。同一のはずである。

19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは、「自由論(On liberty)」(光文社古典新訳文庫)で、言論や思想の自由を主張している。そして、「個人の自由を最大限に尊重するために、政府の権力を限定する」を主張している。

宇野は次のように指摘する。

〈これに対し、20世紀になると、「リベラル」はむしろ「大きな政府」を支持する立場を意味するようになる。社会において、大企業などの組織の前に個人や労働者の立場は弱くなるばかりである。そうした個人の自由を実現するためには、政府がむしろ積極的な役割を果たすべきである。このような思いから、労働者の権利保護や社会保障を含め、福祉国家の役割を重視する立場を「リベラリズム」というようになった。〉

今回の書評で、宇野は『「自由と再分配」の危機と可能性』をタイトルにした。この「再分配」は、20世紀の「労働者の権利保護や社会保障を含め、福祉国家の役割」の重視に対応しているのだろう。宇野は、この20世紀のリベラリズムを肯定する立場であるようだ。

私は、「再分配」をリベラリズムの一環として捉えるのが適切なのかに、保留する。私は、「再分配」を「平等」という視点でこれまで捉えてきた。「自由と平等」を対(つい)にしてはじめて、「他人から何かを奪い取る自由」に抑えが効く。

「再分配」の概念は慎重に検討しないと、「ものの共有」すなわち「共産主義」を抑え込むための道具として使われ、怪物となる危険性を秘めた「自由主義」を制御できないのでは、と危惧する。少なくとも、「再分配」は「施し」や「労働運動対策」や「ばらまき」であってはならない。

[補足]
早速、田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)の貸し出しを予約した。手に入るのは、1カ月から2カ月後になるだろう。

物語としての「主の契約の箱」

2021-02-17 22:27:35 | 聖書物語

旧約聖書の『ヨシュア記』、『サムエル記』、『列王記』によれば、イスラエルの民は「主の契約の箱」(ארון ברית־יהוה、アロウン・ベリット・ヤハウェ)を担いで戦争に行ったとある。

主の契約の箱とは、文字のかかれた石の板を入れた箱のことである。戦争なんて人を殺すわけだから、楽しくもなく、残酷で凄惨なだけである。しかし、この重たい石板を入れた箱を数人がかりで担いで戦争にいったという話しは、何か、滑稽である。どう考えても、実際の戦争を経験したことのない老人が、昔話として、火のそばで孫たちに話す、おとぎ話のように聞こえる。

『ヨシュア記』6章には、「主の契約の箱」を担いで、エリコの町を包囲した話がある。

「ヨシュアが民に命じ終わると、7人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の前を行き、主の契約の箱はその後を進んだ。武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。」(『ヨシュア記』6章8、9節 新共同訳)

英雄ヨシュアは、イスラエルの民に 7日間「契約の箱」を担いで町の周りをまわらせるが、はじめの6日間は角笛を吹くだけで声をたてさせず、最後の日に、ときの声を上げさせた。すると、町の城壁が崩れ、イスラエルの武装兵が町になだれ込み、内通していたものを除き、皆殺しにし、略奪の限りを尽くした、と『ヨシュア記』は書く。

最後は、桃太郎伝説と同じく、暴力をふるって敵を殺し、略奪して終わりである。

しかし、この伝説から、レビ人とは、祭司とは、古代イスラエル人の最下層に位置づけられていた人たちだ、とわかる。私は、大名行列の先頭を歩く足軽を思い起こす。足軽は、尻をだして、「下に下に」と声かけながら、踊るように歩くのである。

私は、6章を読むと、英雄ヨシュアに命じられて、7人の祭司が尻を出して踊りながら角笛を吹き、4人のレビ人が 重い石の箱を よろめきながら 運んでいる姿を思い浮かび、笑ってしまう。

『ヨシュア記』は、もとは『申命記』のつづきとして書かれたもので、バビロン捕囚から解放され、エレサレムに帰還の後の紀元前6世紀から4世紀にかけて書かれたものである。『申命記』が、モーセがイスラエル人を奴隷の家エジプトから解放し、カナンの地を目前とし、死ぬ物語なら、『ヨシュア記』は、ヨシュアがモーセの意志をつぎ、カナンの地を奪う物語である。

現実のイスラエル人は、ペルシア帝国の政策の一環として、バビロン捕囚から解放されたが、自分たちの国を建設することもできず、エレサレムを宗教都市として再建するなかで、想像力で自分たちの無力さを覆い隠していたのである。『ヨシュア記』を含む『モーセ六書』は、強かった祖先を想像して心を慰めるものであったのだろう。

さて、「契約の箱」のなかの石板には、モーセが神から受け取った十戒が書かれていたとされる。E.オットーは、『モーセ 歴史と伝説』(教文館)で、『出エジプト記』の十戒と『申命記』の十戒とが異なる、と指摘している。

それより、私は、「契約の箱」の伝説を書き記した人たちは、どんな文字で十戒を石に刻んだと考えたか、興味を抱く。彼らが想定したモーセの時代には、フェニキア文字もヘブライ文字もない。あるのは楔文字かエジプト文字である。楔文字を石に刻むのは大変であっただろう。

変なのは、契約の箱から石板を取り出して、祭司が十戒をみんなの前で朗読したとかの記述がないのである。『ヨシュア記』や『サムエル記』や『列王記』では、戦争のとき、あたかも、軍旗のように重い箱を運んだ、あるいは、敵に奪われたの話しか、ないのである。

だから、ハリウッド映画、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』では、主人公インディ・ジョーンズとナチスとが地上最強の兵器「契約の箱」をめぐって争うというトンデモナイ物語になってしまう。

『列王記上』8章6節に、ソロモン王が神殿の奥に「契約の箱」をしまい込んだとある。旧約聖書には、それ以降、「契約の箱」の記述はない。なお、『列王記下』12章に、ヨアシュ王の時代、祭司ヨヤダが「契約の箱」のかわりに、さい銭箱を神殿の入り口に置いたとある。

☆☆☆ これで おしまい。