猫じじいのブログ

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アメリカ憲法と自由と赤狩り、映画『マジェスティック』

2019-06-12 22:38:28 | 映画のなかの思想


『マジェスティック(The Majestic)』は、まったくヒットしなかった2001年公開のアメリカ映画である。製作費7200万ドルで、全世界の興行収入が3700万ドルであった。

この映画は、とても不都合な事実、アメリカ人の忘れたい過去を扱っている。戦争で自分の息子を失った親世代、そして、赤狩りで沈黙を強いられる若者世代の物語だ。

「赤狩り」は、英語で“red scare”と言い、「かかし」の“scare crow”の語順が ちがう。前者は「赤を恐れる」ことで、後者は「カラスを脅す」ことである。

「赤」とは共産主義者を指し、アメリカ人にとって、“red scare”とは、共産主義者が怖いという社会的パニックをいう。具体的には、魔女狩りのように、アメリカ議会の委員会が、次々と人に共産党員の疑いをかけ、公聴会で自分が共産主義者である告白させ、他の共産党員を密告させるものである。

複雑な映画のプロットを簡単に説明すると次のようになる。
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1951年、酔った青年が海岸線にそって車を運転し、橋から落ちて、記憶を失う。助けられ、青年は田舎町に連れていかれる。青年の顔が、第2次世界大戦で行方不明になった町の英雄ルークにそっくりだった。大戦で息子たちや恋人を失って元気をなくしていた田舎町の人たちは、行方不明のルークが戻ってきた、と喜ぶ。

青年は、自分がルークだと受け入れ、町のみんなや、ルークの恋人アデルや、ルークの父ハリーのために、尽くす。
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青年は、閉じられていたハリーの映画館、マジェスティックを再建する。再建された映画館の最初の上映の日に、ハリーが倒れる。いっぽう、青年は、上映されている映画のポスターを見て、その脚本を自分が書いたこと思い出し、ルークでないと気づく。

しかし、青年は、死にゆくハリーに息子ルークとして演じる。

ハリーの葬式の後、ルークの恋人アデルに自分はルークでないと告白する。そして、赤狩りの公聴会に被疑者として出席するために、町を去る。このとき、法律の勉強していたアデルから、ポケット版憲法書とルークの手紙、勲章を、青年は受け取る。
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赤狩りの公聴会で、共産党員だと告白し、ほかの党員を密告するよう、強要される。青年は、突然、嘘の証言をしてはいけない、と思う。ポケット版の憲法書とルークの勲章をかざし、アメリカは 憲法の のべるように 自由の国で、戦争で自由のために死んでいった若者たちのためにも、嘘の証言はできないと叫ぶ。

この公聴会は全国に放送されていた。騒ぎを起こさないため、公聴会はすぐ終了され、青年は無罪放免となった。

青年は映画業界に戻らず、アデルの住む田舎町に戻る。そこには、アデルだけでなく、放送を聞いていた町のみんなが出迎えに来てくれた。
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思想信条の自由、言論の自由、団結の自由を否定することなんて、あってはならない。

この映画は、ヒットするに難しい話題を扱っている。しかし、忘れたい過去を映画化することは、忘れないために必要なことである。

無理にコメディ映画とするのではなく、困難な時代に、普通の青年が、勇気をふるって良心にもとづく小さな抵抗をするという、地味でメロドラマ的な映画に徹した方が良かったと思う。


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