きょう、何気なくテレビに耳を傾けたとき、「50代の私と14歳の子が恋愛した上での同意があった場合に、罰せられるのはおかしい」と発言した咎(とが)で、党員資格1年停止の処分をうけ、次期衆院選の公認は事実上取り消される、と報道していた。
発言したのは立憲民主党の本多平直衆院議員である。5月10日の立憲民主党の性犯罪刑法改正ワーキングチーム(WT)会合で、中学生を性被害から守るための法改正を議論した際、外部講師に反論する形で、そう発言したことで、彼がとがめられたのだ。
民主主義社会の日本に言論の自由はないのか。そんなことで罰せられては、性について議論すること自体を封じることにならないのか。
ワーキンググループの目的は、性をタブー化することではないはずである。すると、何が性犯罪かの議論が当然あり、「50代の大人と14歳のが恋愛した上での性交は犯罪ではない」という意見がでてきても、何もおかしくない。「恋愛」とは何か、「同意」とは何かの議論にはいるのが自然だと思う。
性交は豊穣と快楽とを導き、男と女とを結びつけ、家族ができる。本来、タブー視するものではない。動物はおおっぴらに性交している。一間しかないところに住む夫婦は子どもたちの前で行っている。下町育ちの私の子ども時代、みんな、性交が快楽を伴うことを知っていた。
人間社会で性がタブー視されるのは、性交が特権階級だけに許されものとし、貧乏人は男女の快楽にひたらず、ひたすら働け働けとするためではないか。そんなものがウソであることをみんな知っているから、わい本が売れるのだ。
そう言いながら、昔とちがって、性知識の格差が大きくなっている懸念もある。私が担当したウツの20歳の男の子は夢精を不潔な行為と思いこんで悩んでいた。オナニーをしないから夢精するだけのことである。そして、好きな女の子ができれば、オナニーも自然に止まる。この子の問題は、ひきこもっているから、友達からの性知識がまったくなく、二十歳を迎えたのである。
昔のはなしだが、私がカナダの大学にポストドクターでいたとき、そこの大学生が60代の婦人を襲い、性交した。60代の婦人にそんな魅力があるのか、当時話題になったが、私は60代でも魅力のある婦人はいくらでもいると思う。私が14歳であっても、シルバーの髪の品のある婦人に恋し、性交を持つことは充分にあり得ると思う。たまたま、14歳の私はそういう機会がなかっただけである。
年齢で、性交を犯罪視するのではなく、性をオープンにし、適切な性教育を行うことのほうが重要ではないか。現実の中学生が性交をやっていることは色々なレポートで報告されている。技術的な知識だけでなく、人間社会における性の意義を子どもたちが互いに議論できるようにすべきではないか、と思う。
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