NHKの朝のテレビ番組で、接客において、就活において、葬式や結婚式において、かかとの高いパンプスをはく必要があるか否か、討論していた。おしゃれを重視するか、それとも、健康と快適さを重視するかは、個人の選択の問題である。
いつから、日本人は社会の目をそんなに気にするようになったのか。いつから、雇用者は個人の選択の自由に干渉するようになったのか。
この いきどおりは、昨年の8月にも覚えた。そのときのブログを採録する。
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畳の上に、梯久美子の『好きになった人』(ちくま文庫)が転がっていた。読むと、淡々とした文体なので、梯が、どうして、本当に、島尾ミホに興味をもったのか、と疑ってしまう。
眼を引いたのは、「黒いスーツ」という7ページ足らずの短文である。蒸し暑い梅雨どきに、かの女がセミナーの講師をしたとき、集まった女子学生が同じ服装をしているのに、違和感を感じたという。
「黒のスーツの上下に、白いブラウス。いわゆる就活ルックである。」
女子大生に問いただすと、次の答が戻ってきたという。
「今日は目上の人にお会いをするし、ちゃんとした格好のほうがいいと思って」
梯久美子が、後日、20代半ばの知人の女性に、そのことを話すと、
「同じ格好だからいいんじゃないですか。ヘンに目立つの、イヤですもん」
と言われたという。
1961年生まれの梯久美子は怒っているんだ。1947年生まれのわたしは、梯が怒っているのにホッとした。
就職難の時代だから、目立つことを避けた、というのも、梯の言うように、オカシイ。自分を売り込むには、まず、目立たないとイケナイ。
「目立つのがイヤだ」と言うのは、反抗をあきらめた、場に向かう羊の群れの考えである。目立つものから殺される、という思いである。
あるいは、目立つものがイジメられる社会になったのだろうか。勉強しなくてもよい。戦わないと、少なくとも、抵抗しないと生きづらい世の中になるだけだ。
小学校高学年向け道徳教材『ホームスティ』は、ドイツにホームスティした日本人少女ふたりの物語で、「生活習慣の大切さを知り、自分の生活を見直し、節度を守り節制に心掛けようとする心情を育てる」ことを狙っている、と学習指導解説にある。
実は、この教材は、一見、ふたりが「華美」な流行の服を着たことを批判しているように見えるが、そうではない。パーティにふたりを招いたドイツ人少女は、日本人少女が同じような服を着て、区別がつかない、と、笑ったという物語である。
つまり、個性がないということである。
よく考えると、梯久美子はおしゃれの気持ちがないと怒っているのだが、わたしは個性がないと怒っているのだ。おしゃれも個性だから、同じことなのかな。
島尾ミホは、年老いても、目に力があり、ヘンであった、と、梯久美子は言う。そう、わたしも、梯久美子と同じく、個性ある人間に惹かれる。
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