猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

アメリカにかつて禁酒法があった、とても驚くことである

2020-08-27 22:00:04 | 社会時評

いま、私は、たばこを吸わないし、酒も飲まない。

じつは、約25年ほど前までは、ヘビースモーカーであった。タバコ依存症だった。子どもや妻に飲むなと言われても辞めなかった。タバコを辞めた理由は、タバコにかかる税金があがり、日本政府にこれ以上税金を払いたくないと思ったからである。税金を払いたくないという感情はタバコの誘惑に打ち勝った。

お酒は、結婚する前、私の妻がレストランのワインで吐いたので、結婚して以来、家では飲まないことにした。私だけが酔うのは良くないように感じたからだ。したがって、お酒は外でおつきあいで飲む程度だった。

カナダで生活したり、外資系の会社で働いたりして、お酒を飲まない人びとが世界に結構いることを知った。定年退職を機会に、おつきあいでも飲まないことにした。私は、糖尿病だったので、それを口実にお茶を飲むことにした。集まりで飲まないことは、まわりに受け入れられている。

タバコも酒も飲まない利点は、お金がかからないことである。お金がかからない利点は、お金のために人に おもねなくてすむことだ。私は自由になる。

タバコが健康に悪い、タバコの煙が人の健康を害する、と日本社会はタバコを悪かのように言う。いっぽう、日本社会は酒をおつきあいの場で強要する。お酒で乾杯する風習がある。お酒も体に悪いように思える。私の知っている酒飲みには、肝臓がん、食道がん、胃がんになった人たちが結構いる。お酒を人に強要するのは、やめたほうが良いと思う。

タバコや酒は他人に強要することはない。タバコや酒を飲んだからといって別に大人ぽいわけではない。村上春樹の『一人称単数』で、気取ってお酒を飲むシーンが多いように思える。

お酒に頼らないと人づきあいができないのも何か変だ。

新型コロナ感染で、緊急事態宣言下の4月5月にパチンコ屋が理由もなく目の敵(かたき)にされた。緊急事態宣言が終わっても、居酒屋だけは、まだ、叩かれているようだ。お酒を強要することも不要だが、居酒屋を叩くこともなかろう。

アメリカにかつて禁酒法があった。日本では、禁酒法が人間性に反し、組織犯罪者を増やすだけだと、簡単にかたづけられている。しかし、イスラム教が多数派の社会では、禁酒が実際上守られている。禁酒法が組織犯罪者を増やすだけというのは、ずいぶん安易な見方だと思う。

アメリカに禁酒法ができたのは、ただの法律ではなく、「憲法」にそれが書きこまれたのは、私にとっては驚くべくことである。

私は、誰かから、夫が飲んで暴力をふるうのを嫌った女の禁酒運動が、禁酒法を生んだと聞き、それを長らく信じていた。しかし、きょう読んだ日本語版ウィキペデイアには、そうでなく、アメリカの禁欲的プロテスタンティズムの運動が禁酒法を生んだとある。カルヴィニズムでなくメソジスト派が中心になって禁酒法を成立させたとある。

禁欲や節制を他人に強要できるのであろうか。アメリカ国民の多数が、一度、それにYesと言った。アメリカを自由の国、個人主義の国と、単純に言って良いのだろうか。

マックス・ヴェーバーはそのことを一言も取り上げていない。アメリカに禁酒法があったということは、しかも、100年前にあったということは、とても、驚くことだと思う。研究に値する。


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