猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「正しさ」「正義」への 磯野真穂の批判、真山仁の批判

2020-05-27 22:32:37 | 新型コロナウイルス
 
5月8日の朝日新聞のインタビュー『社会を覆う「正しさ」』で、磯野真穂が「正しさ」のもつ危うさを指摘した。「正しさ」が「差別、中傷、バッシング」を行うための理由になっていると。
 
5月16日の朝日新聞で、真山仁が『コロナと「正義」』で、同じ問題を別の角度から取り上げている。彼はつぎのように書く。
 
〈「正しさ」を振りかざす人がSNSを中心に増えた。〉
〈最大のきっかけは、「絶対安全!」と言われた原子力発電所の事故ではないかと私は考えている。〉
〈自分たちは「権力者にだまされた被害者だ」という立ち位置がいつしか「我々は正しい」という自己弁護を生み、やがて「その正しさを揺るがすものは許さない」という攻撃へ向かった。〉
〈(SNSでの)発言は徐々に感情的になり、意に沿わない発言者を、つるし上げるようになった。〉
〈そして、緊急事態宣言が発せられると、実力行使で「正す」人々が現れた。〉
 
私は新型コロナ関連のツイッターなどのSNSを見ていないので、真山仁の言っていることが、本当かどうか、検証できない。ただ、「権力者にだまされた」という思いが、「権力者の要請する自粛」に従わない者を罰する行為に向かう、という結論に、違和感を覚える。
 
真山の論理的飛躍は、日本語の「正しさ」や「正義」という言葉のもつ、曖昧性にあるのではないか、と思う。
 
日本語の「正しい」という言葉は、「3+5=7」は正しい答えか、という文脈で用いられる。学校では「正答」「誤答」という形で、テストの採点がおこなわれる。
 
ここでの「正しい」という言葉は、「正しい」ものがあるという仮定にもとづいている。
 
数学では、「正しい命題」とは、基本的仮説「公理」から証明で導かれるということであって、その命題の「否定」が「公理」から証明で導かれれば、「正しくない命題」ということになる。
 
すなわち、数学では、「正しい」「正しくない」は対等であり、「公理」に依存する。しかも、ゲーデルによれば、自然数に限っても、すべての命題が「正しい」「正しくない」に判別できるわけではない。
 
科学では「正しい」という語はない。科学論文に「正しい」という語が出てきたら、読み手は、書き手を「正気か」と疑うだろう。
 
科学は、「理論」を含め、すべて「仮説」にすぎない。反例が出た段階でその仮説は「正しくない」ということなる。そして、「正しくない」とわかっても、ある分野で役に立てば、そこでは依然として使われていく。科学では、「正しい」の代わりに「有効性」がだいじにされる。
 
混乱を生むもうひとつは、テレビの子ども番組にでてくる「正義」である。
 
私の子ども時代には、「月光仮面のおじさんは正義の味方」という歌があった。いまでも、覆面の正義の味方が「悪(多くの場合は宇宙人や怪獣)」を倒すという番組を子どもたちが見ている。「悪」の反対が「正義」である。しかし、「悪」とはなにかがあいまいで、たぶん自分たちを脅かすものが「悪」なのだろう。(なお、本来の日本語の用法では、「善」が「悪」の反対である。)
 
この意味で「新型コロナ」は「悪」で、その感染を広める可能性のある者を攻撃することが「正しい」こととなるのだろう。
 
「正しさ」が「差別、中傷、バッシング」を行うための理由になる原因は、SNSよりも、テスト中心の学校教育やテレビの子供番組にあるのではないかと私は思う。
 
ここでの日本人の行動には、何が「正しい」かの考察が欠けている。
 
政府や専門家会議の言葉をメディアが復唱することで、たとえば「三密」が絶対的に正しい命題になり、パチンコ店が新型コロナの感染源になる。さらに不幸なのは、屋台船が感染源と誤って伝えられ、屋台船の営業が成り立たなくなる。屋台船が感染源とされたのは、東京都のクラスター班が手一杯で手抜きしたために生じた誤りである。
 
何が「正しい」かどうかは、行動を起こすための仮説であり、民主主義の原則、平等で透明な議論が先だたないといけない。
 
政府が軽く言ったことを真に受け、「悪」を勝手に決め、「正義」の名で攻撃することは、とても情けないことである。何が「正しい」かを考えずに行動するのは、パニックを起こしているにすぎない。
 
そして、そういう行動にでる者たちがいることを政府や自治体が知っていながら利用したとするなら、とてもいけないこと、それこそ「悪」である。例えば、自治体が閉鎖しないパチンコ店の名前を公表することは、「脅迫」の電話を期待しての行為と考えられる。
 
メディアは政府の太鼓たたきをやめないといけない。テレビはステイホームのAC広告をやめないといけない。メディアの価値は、政府からの情報の誤りを見出し指摘することにある。