この間の日曜日、10月19日に渋谷で開かれた三民族連帯デモに出かけていって、驚いたことがひとつあります。
参加者250名(主催者発表)という小規模なものですから、参加者はデモの趣旨に関して濃い面々,当ブログでいうコアユーザーばかりです。
それなのに、普通の格好で集合場所に姿を現わす人が結構多かったのです(集合場所でカンバッジをつけたり、旗をバッグの外側に装着したりしていました)。若い人も、私のようなオサーンも。……あ、鎧武者さんとかはもちろん例外(笑)。とはいえ、あの格好で街を歩いていて「お、フリーチベットの人だ」とすぐわかる人がどれほどいるかは甚だ疑問ですけど。
私は以前書いたように、フリチベとか東突系のTシャツに、直径10cmのカンバッジを胸につけたシャツを羽織るのが普段着であり仕事着。
東京ゲームショウの取材のときもそうでしたけど、ひどく気楽な業界なので(少なくとも私が接している連中は)、普通に都内で打ち合わせをするときも同じような格好で出かけています。どうせ相手もアロハにサンダルとかいった風体で出てきますから。
それはともかく、私が「普段着=仕事着」でごく日常的に外出しているのはちょっと異常なのかな、やり過ぎなのかな……と、つい考えてしまいました。余りに直球勝負な出で立ちですからね。何も知らない人が見たら、鎧武者さんよりフリーチベット度はずっと高い筈ですし。
そう思いつつも結局は「普段着=仕事着」で都内を回っているのですが、幸いこれまでにトラブルめいたものには全く遭遇していません。
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夜間もまた然りで、近所のコンビニを回る「絨毯爆撃」は相変わらず続いています。ただ以前書いたように活動内容が変質してしまっているのですけど。……でもそれはそれで面白いということで、対象を限定。話をしていて面白い中国人の出勤日に合わせての夜回りとなります。最寄りのコンビニだけは、何たって私のホームですからほぼ毎日足を運んでいます。
もう私の「普段着=仕事着」を相手がよく理解しているので表情を変える奴は皆無。んで私が入店すると、休憩時間の奴まで出てきて雑談となります。
ただ仕事中ですから、レジでの支払い時を別とすれば、連中が運び込まれた商品を棚に並べているときに、私がその近くに立ってのお喋りです。商品の詰まった箱と一緒に、陳列する店員と休憩時間の奴と私がズリズリと移動していきます(笑)。
最寄りのコンビニの中国人店員は福建閥で固まっているのですが、最近新顔が加わりました。M君という爽やかげなイケメンです。初めてレジで接触したときはたまたま雪山獅子旗をデカデカとプリントしてある勝負戦闘服だったのですが、
「同僚の中国人に聞けばわかるけど、私はいつもこういう格好だから、これが普通だから気にしないでね」
と言ったところ「ハァ?」という表情をしてから、
「何か問題、ありますか?」
と逆に問われたので、今度はこちらが「ハァ?」となりました。
「ほらこれ、チベットの旗でしょ。中国でこんな格好したら間違いなく逮捕されるよ」
と説明する破目になりました。それでもM君は釈然としない顔をしているので、
「フリーチベットって知らないの?」
「全然知りません。その旗も初めて見ました」
話を聞くと「大学→バイト→帰宅して勉強して寝る→大学」というループを繰り返していて,テレビも観ていないそうです。おおお。久しぶりに私と同世代の大学生を彷彿とさせる中国人に遭遇しました(笑)。
ちなみに天安門事件のときはまだ生まれていなかったとか(平成世代なのです。「高中卒業→日本の大学に留学」ということなのでしょうか?)。19日の朝に飲み物を買いに入ったときM君がレジを勤めていたので、
「これからデモに行くんだよ」
と勇み込んだら、
「デモは、中国ではできません。日本では問題ないですね」
と、ちょっと表情を曇らせていました。
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デモのあと、陳列作業時間を狙って再び最寄りのコンビニに行きました。御家人モデルのプラカードをひけらかすためです。もちろん、中国共産党を悪魔の如く表現している画像にどういう反応を示すかということにも興味がありました。以前ここの連中に、
「私はね、中国は嫌いじゃないし中国語は大好きだけど、中共は嫌いなんだよ」
と言ったところ一様に不思議そうな顔をされました。教育によって「中国=中国共産党」という刷り込みが見事に結実したものだとすれば空恐ろしいことです。
ちなみに、私は店内では日本語しか使いません。日本語で通じないところは中国語で補います。理由は中国語圏を流転して得た経験によるもので、連中に日本語を喋らせた方が、母国語に比べ使える表現が限定されるので本音を引きずり出しやすいからです。
ともあれ、問題のプラカードを見せつけに行った次第。
……と、毒々しいものなのですが、政治的な部分は華麗にスルーされてしまったので肩透かしを喰った気分になりました。わざとその話題を避けているというのではなさそうで、
「すごくきれいにできていますね」(いやそういうことじゃなくてさ)
「この色の組み合わせはいいです」(だからデザインの話は置いといて)
「フォトショップで作ったんですか?」(……イラストレーターも使ったよ)
「全部、御家人さんが作ったんですか?」(セブンイレブンにネットプリントというサービスがあってね)
てな具合です。ネプリには強い興味を抱いたようなので詳しく仕組みを話してやりました。デモなどで如何に威力を発揮するかも教えてやると、
「面白いです。日本は便利ですねえ」
などと無邪気に盛り上がっていました。
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一応聞いてみると、この福建班はみなデモ未経験。2005年春の反日騒動「愛国無罪」のときは、もう日本にいたそうです。
で、標題の如きアイデアが浮かびました。
「もし中国が日本のように自由にデモを行えるとしたら、どういうシュプレヒコールにする?……反日でも構わないから考えてみてよ」
という宿題を、先刻出したところです。「各人4つずつ」と指定しました。なにぶん政治問題の雑談よりは具体的になる敏感な内容なのでちゃんと出てくるかどうかは疑問ですが、連中の問題意識がどのあたりにどのくらいあるのかを探るのは面白いと思いまして。
余談ですが、私が上海留学時に発生した大学生・知識人による民主化運動のときは30回くらいはデモに参加しました。学科ごとにデモ隊を組織して、それが他の学科と合流したり分散したりしながら市の中心部を練り歩くのですが、当時耳にした中でいまも記憶に残っている秀逸なシュプレヒコールは(中国語御免)、
「小平小平 八十高齢 身体還行 脳子不行」
「教授教授 越教越痩」
「愛国第一 出国第二」
といったところです。いずれも内容がユーモラスで風刺がきいている上に、発音も整わせています。やっぱり母国語の連中は違うなー、と痛感させられました。
そういえば同じころ北京でブイブイいわせていた「dongze」さんも御記憶の秀作が色々ありそうですね。期待しております。m(__)m
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プラカードを中国人に見せるとは、ひょっとして、内心、強烈な印象を与えたかもしれません。
下手の中国共産党を批判して、共産党・政府に伝わるとマズイと思ったのでは?
それにしても、留学生に、いい教育をしています。
ちょw、いきなり御指名預かりましたが、往年の際には特に印象の残るフレーズは、、
北京は耳に残っているのは、「李鵬下台!」「民主開放!」とかの短い奴ですね。
学生とかも広場に集まっているのでデモはその他の共鳴者が多いのか、私の見ている範囲では
後、そういう時にデモが盛んなのと学校が急行状態だったので、コレ幸いと地方に遊びに出かけておりましたので
という訳で、余りお役に立てませんでしたm(__)m
お身体のほう、ご自愛のほど。
連中は本当に無邪気にプラカードを眺めていました。私が普段からフリチベ姿で来店するのでもう慣れっこなんでしょう。たぶん私は自分とは違うサッカークラブのサポーターで変人だけど面白いオサーンてな感じにみられていると思います。
シュプレヒコールの件は実はあまり期待していません。バイトと学業に追われてなかなか中国社会の現状にまで気を回す余裕もあまりないようですし、気楽な政治談義という訳ではありませんし。
>>dongzeさん
そういえば天安門事件の日に旅行から北京に戻ったんでしたよね。でも北京のあの盛り上がりをよそに旅行に出られるとは、ある意味羨ましいです。私は連日最前線で飛び回っていましたから。たぶんこの辺りの差が堅実なサラリーマンになる人と中国語圏を流転する留学生崩れになる分水嶺なのかも知れません(笑)。
上海でも「李鵬下台」「小平下台」は普通に使われていました。当時上海市のトップ(上海市党委員会書記)だった「江沢民下台」も。ただ私の見聞した範囲では、当時上海市長だった朱鎔基を悪く言う声は全くありませんでした。
>>や。さん
若干引き気味なんですか?どうぞどうぞ心ゆくまで引いちゃって下さい。私は一応オトナですからちゃんと筋を通してあります。私の他にお客さんがいるときは雑談していませんし、それ以前にまず店長さんに一切合切を打ち明けて、お許しを頂いているので楽しませてもらっているのです。
付言すると、私の夜回りが中国人アルバイトの監視と勤労意欲の向上に貢献している、というのが店長さんの見方のようです。
「ああ××さん、こんにちは」と笑顔で入店して、「あんまり無理しちゃダメだよ」とか、店を出るときには「頑張ってね」とか「あと1時間であがりだね。もう少しだ」なんて中国人バイトに声をかける客はなかなかいないでしょう。これは私の性分。
中国語圏を流転しているときも同じような調子でした。コケにされているのかオモチャにされているのかはわかりませんが、なぜかローカルに懐かれることが多かったです。懐かれるままに流れ流れて人生を棒に振ったような気もするのですが(笑)。
ええ、今回のお話しと関係ありませんが、感謝の言葉をここに贈りたく……。
中国には感謝しています。本当にありがたいです。大陸に足向けて寝られませんね。
前にもお話ししましたが、私は食品等の底流輸入業者の一人です。会社もちっこいです。で、まあ、社長の方針もあって支那食材は避けてるんですが。毒餃子事件の時は、儲かりましたー。お得意さん、一挙に五倍でしたから。一時期、うちの近隣スーパーすべてに卸していた時期もありました。
……が、日本人忘れるの早過ぎで。
2ヶ月もすると値引き交渉されまして。支那産より安いのなんて無理なんで、だいたいの取引がそれで終わりましたね。輸送費も上がってたし。
説得はしたんですよ。支那も、(私が担当してる)ベトナム、タイも、人件費はそうそう変わらないのに、原価が支那の方が安い。こんなの何か不正しない限り、あり得ません、と。
食の安全を大事にする小さなお店とか、老舗な店舗さんとかは、この話しを分かってくださったんですが、大きなところは……えー、まー、体よく断られまして。
それで業績下がっても、社長は落ち着いたもので「なに、中国はこれで終わりじゃないさ」と言ってたんですが、大正解でした。ただ、同時にベトナムもやってくれたんで頭抱えましたが。まあ、ベトナムの方は経済的にもあれがあれであれなんで、ちょっくら色々画策してるんですが(そのせいで、全然こちらも拝見できず)。
今回の騒動で、また業績があがりました。本当に有り難い事この上ありません。
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