もう終息した事件ではあるのですが、インドネシアで「排華騒乱」が起きたと香港の新聞が報じております。
華人排斥暴動という意味でしょうか。ていうか「華人」っていい方が気に入らないので当ブログの専門用語として例によって、
「漢人」
という言葉を使わせてもらいます。「中国本土系の漢族」という意味です。別に中国限定ではなくて、イデオロギーとか中国共産党とか国民党とかに関係なく、「中国本土系」のメンタリティを持った連中は香港にも台湾にもいますよね。そういうのをまとめて「漢人」ということで。
インドネシアに渡って土着している漢人はどのくらいいるのでしょう。350年くらいオランダの植民地になっていて、その間、漢人は白人の手先のような役割を演じてきたようですから、地元の人に漢人に対する抜き差しならぬ感情があっても不思議ではありません。350年ですからね。
インドネシアは太平洋戦争の初期に日本軍によって占領され、終戦まで軍政が敷かれました。オランダ人などは大方逃げてしまったでしょう。困ったのはある意味保護者を失った漢人どもです。植民地だったからこそ白人の走狗となってインドネシアの地元民から搾取してうまい汁を吸っていた訳で。
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終戦後、インドネシアには進駐してきた英蘭軍との間に独立戦争が起こります。日本兵が帰国せずにとどまり、インドネシア人の側に立って独立戦争を戦ったのは有名な話です。2000名くらいいたそうで、独立戦争で戦死した日本人は、インドネシア人の戦没者たちと一緒に、カリバタ国立英雄墓地に手厚く葬られています(確か安倍・前首相がインドネシアを訪問した際に立ち寄って献花した筈)。
そのあたりの消息は「ムルデカ 17805」という映画でわかります。これはオススメです。
「ムルデカ」とは独立という意味のインドネシア語です。ではどうして「17805」かといえば、独立宣言文にそう記載されていることによります。
要するに独立宣言日なのですが、その日付が、
「皇紀2605年8月17日」
だからです。「皇紀」が日本のものであることは皆さん御存知でしょう。皇紀2605年は昭和20年(1945年)。
言わずもがなではありますが、日本への反感があれば、いや日本への感謝の気持ちがなければ、こういうことはまず起こらない筈です。
寡聞にして漢人が独立戦争で地元民とともに戦ったという話は聞きません。インドネシアに代々住んできた筈なのに、これはまことに不思議なことです。そういう漢人がいたかも知れませんが、日本人のように2000名もの規模ではなかったでしょう。インドネシアの独立記念日には国旗掲揚の際に、旧日本陸軍の軍服姿の人が掲揚作業に必ず加わります。
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さて今回の暴動、インドネシアはボルネオ島の西カリマンタン州・ポンティアナという街で発生しました。古くから漢人が住んでいる場所とのことで、報道によるとポンティアナにおける総人口の2~3割が漢人だそうです。香港紙『星島日報』(2007/12/09)によると、漢人は総人口の約3割ながら、市内に限定すると地元民たるマライ族の割合は26%。
「インドネシアで中国文化が最も色濃く残っている都市で、市内ではインドネシア語を使わなくても言葉が通じる」
とのこと。通じる言葉というのは広東語だったり福建語だったり北京語だったりするのでしょうが、ともかく漢人は市内居住者が多く、市内限定だとむしろ半数から多数派を形成しているのかも知れません。
ああ暴動の話でしたね。香港紙の報道を総合すると、事件が起きたのは12月6日の午後から翌7日の昼間にかけてで、そもそもの発端は6日に交通事故で起きたいさかいです。一方が漢人(30)で一方がマライ族(52)。どちらが悪いのかわかりませんが、両者は口論から喧嘩に発展してしまいました。すると若くて腕っぷしが強かった漢人がマライ族をポカリと殴打。
ポカリだかボコボコだかはわかりませんが、この出来事に怒ったマライ族数百名が当の漢人の自宅を襲撃し、焼き打ちにしました。怒りの収まらぬマライ族たちは続々と加勢の民衆が加わって市内の「南斗廟」という漢人のお寺になだれ込んで手当り次第に破壊して回り、たまたま停車していた自動車3台を焼却処分。さらに周囲の漢人住宅めがけて投石などを行いました。
夜になると暴動参加者は数千名にふくれあがり、さらに大がかりな行動に出ようとしたところで警官隊が出動しました。マライ族リーダーへの説得が奏功して、民衆は7日の明け方に解散。その後、警察の調停によって、マライ族と漢人の住民代表の話し合いが行われ、平和的に事件を収拾することで合意したそうです。双方に死者などは出ていない模様。
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『人民日報』系の『環球時報』には及ばないものの、中国の国営通信社・新華社旗下の国際紙で電波系反日報道で定評のある……愛国主義・民族主義色が濃厚すぎる『国際先駆導報』電子版(2007/12/14)は、
「事件の背景には州長選挙があり、このほど華人が初当選して政界進出の第一歩を記したことをマライ族ら地元民がやっかんでいたのだ」
としています。
要するに漢人の地位向上がマライ族らの不安をかき立てたのであって、その証拠に「南斗廟」の責任者は後援会のメンバーだった、と『国際先駆導報』は報じているのですが、インドネシア経済を掌握している漢人が政治の世界にも踏み込んできたことへの妬み、と単純に言い切っていいのかどうか、このあたりは微妙なところです。
何せ発端は交通事故ですし、香港紙も「排華騒乱」つまり漢人排斥暴動だとしています。ポンティアナ全体で約3割という少数派の漢人なれど、多数派であるマライ族は市内居住人口ではわずか26%という辺りに対立の根を私は感じます。
政界進出絡み云々は別として、少数派ながら経済面で主導権を握っている漢人に対するマライ族の妬み・やっかみはあったでしょうし、1998年にインドネシア各地で大規模な漢人排斥暴動が起きてもいます。学校では種族対立を煽らぬよう、逆に融和するような教育が行われているものと想像しますけど、植民地の歴史に根ざした漢人への悪感情はまだ相当あるのではないかと。
『国際先駆導報』はその1998年の反漢人暴動を引き合いに出して、
「今回はあれとは性質が違う。それほど深刻なものでもないし」
という地元漢人のコメントを伝えていますけど、その記事の最後の段落は、
今回の騒乱については、華人も自らを顧みなくてはならない。華字紙『インドネシア商報』は12月10日、ポンティアナ事件に関する社説を発表している。社説は当局が種族の別なく法を犯した者を適切に処理するよう政府に呼びかける一方、華人に対しても自らを顧みてよくよく反省し、自らを律して、ふだんはなるべく目立たつことがないよう、『政府に面倒をもたらさない』ようにするよう呼びかけている。
という形で締められています。漢人たちによる目に余る行為が日常的に存在し、それがマライ族など地元民の反感を買っていたということを暗示しているように読めます。そうして蓄積された地元民の怒りが交通事故での殴打を発端に暴動という形で爆発した、と言わんばかりです。
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私の感想を言えば、
「何だ中国の都市暴動と同じじゃないか」
というものです。中国の場合は、特権を握る党幹部やそれと癒着している金持ちが社会的弱者に対し理不尽な行為を行い、それが衆人環視の下であったために野次馬たちが義憤し、日頃の恨みを込めて政府庁舎に殺到して破壊や放火を行い警官隊と衝突する、といったパターンですが、「特権を握る党幹部やそれと癒着している金持ち」を「漢人」に置き換えたのがポンティアナ事件ではないかと。
唯一異なるのは、怒りの矛先が「党」なり「官」なりを象徴する政府庁舎ではなく、漢人たちが信仰するお寺だったというだけで、象徴的存在が壊され焼かれたという点は全く同じです。
インドネシアにおける漢人はずいぶん人気者のようで(笑)。そういえばミャンマーでも最近似たようなことがありましたよね。ベトナムでは「反中デモ」が発生したばかりですし。
……と書くと、
「日本人も中国で大人気じゃないか。実際暴動も起きているし」
と混ぜ返す向きがいるかも知れませんが、あの2005年春の「反日騒動」において、「反日」が純粋な動機だった参加者が果たしてどれほどいたのでしょう。教育現場で反日風味満点の愛国主義教育が行われていることもインドネシアとは異なる事情かと思われます。
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新中国成立以来の数々の自国民に対する残虐無比な振る舞いを隠すために、「中華人民共和国」の歴史が恥ずかしくて情けなくて振り返りたくないことの繰り返しであるために、中共政権はわざわざ60年以上前の出来事を掘り返してきては日本の非を鳴らすのです。
ええ、日本が恫喝や虚喝に従順であることを、いいことにして(黙っていた日本にも責任がありますね)。
しかし無定見で歪んだ構造による経済成長によって超格差社会が出現し、環境汚染も生存を脅かすほどに深刻化している現在の中国では、もはや「反日」で国民を躍らせることはできなくなっています。
2005年の「反日騒動」の余りの盛り上がりに驚いた中共当局が慌てて鎮火を急いだのは、「中共人」たちが万一を考え、身の危険を感じたからに他なりません。
いざ本番となったときに、中国人たちの「中共人」への怒りが「反日」などとは到底比べられないほど強く根深いことを私たちは知ることができるでしょう。「中共人」たちはそれをわかっているからこそ、1989年の天安門事件から何年かして高々と「反日」を掲げるようになったのです。
しかし「反日騒動」が証明してくれたように、それも現在では逆に「中共人」吊るし上げの起爆剤になりかねません。
全国各地で連日火花を散らしている都市暴動や農村暴動は、散発的ではあるものの、一種の先触れのようなものかも知れないのです。そうでなければ、「和諧社会」(調和のとれた社会)の構築を目指そう!……などという悪い冗談、あるいは断末魔の叫びのようなものが当局によって、折にふれ繰り返し呼号されたりはしないでしょう。
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●『明報』電子版(2007/12/08/18:30)
http://hk.news.yahoo.com/071208/12/2kyxx.html
●『星島日報』(2007/12/09)
http://www.singtao.com/yesterday/int/1209bo01.html
●『香港文匯報』(2007/12/09)
http://paper.wenweipo.com/2007/12/09/GJ0712090006.htm
●『大公報』(2007/12/09)
http://www.takungpao.com.hk/news/07/12/09/YM-834782.htm
●『国際先駆導報』電子版(2007/12/14/08:29)
http://news.xinhuanet.com/herald/2007-12/14/content_7246654.htm
些細な事ですが、皇紀2605年ですよね。
これからも独自の視点での分析を楽しみにしています。
元香港人で帰化した現日本人より
御指摘ありがとうございます。私の誤記でした。
これでは零戦ファンを名乗れない……。orz
中国があまり東南アジアにちょっかいを出すと、またそういう事態が起こってしまう可能性もあるんでしょうね。
「漢人」だと「漢族」という意味に受け取れますので、「台湾人」(含本省人)等も含むように聞こえます。(「中国本土系のメンタリティを持った連中」とした方より的確でしょうが、少々長いですからね…。誤解がなくて済みますが。)
>植民地だったからこそ白人の走狗となってインドネシアの地元民から搾取してうまい汁を吸っていた訳で。
「積年の恨み」というやつですね。
これ、白人支配者も相当悪いのですよ。
「各民族を分断して統治する」という小賢しいやり方をしたのです。
経済活動を商才豊かな中国系住民に任せる事によって、白人に恨みの矛先が向かわないようにしたらしいのです。
また、中国系でも、タイのタクシン氏や、フィリピンのコランソン・アキの氏のように、多くの国民に支持された人々もいました。
にしてもです、自分が一体どこの国の人間が分からなくなっちゃうようなバカ「中国人」がいる事も事実です。
(アイリス・チャンとかアイリス・チャンとか、アイリス・チャンとか。)
コラソン・アキノ氏 ○
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