「STOP THE NEW-WAVE」であります。古くてすみません。
日本代表がその世界では知る人ぞ知るサウジに負けてしまったので私は士気最低。orz
記事漁りにも当ブログにも打ち込める心境になれない訳だ……いや訳です。まあ能書きはいいか。さあ!一発ビシッと決めようか。こんなネタたぶん「柴犬」さんしか知らないし俺たちゃあもうワカモノじゃねーんだ。
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という訳で今宵は元気がないので小ネタでお茶を濁します。といってもたぶん中国では前代未聞の出来事ですから歴史的事件といえるかも知れません。
「STOP THE J-POP」かどうかは知りませんが、7月21日に内モンゴル自治区・オルドス市でロックイベントが開催され、その場で観客と警官との間に衝突が発生、観客多数が警官に殴られて負傷した模様です。
衝突の原因には諸説あり、入場券にまつわるトラブルとも観客が持参した横断幕を警官が没収したのが発端ともいわれていますが、ここでは後者を採ります。
まずはこの催しについて。「オルドス草原ロックンロールミュージックフェスティバル」(2007緑色旗幟)と銘打たれた初開催のロックイベントで、中国国内のほか台湾や香港からもミュージシャンが参加したとのこと。
事件はそのイベント当日、北京からやってきた観客が、
「俺様がロックだ」
と大書した自製の横断幕(笑)を持って入場しようとしたところ警官隊に止められ、横断幕は警官に没収されてビリビリ。
「あっこの野郎何すんだよ糞オヤジ」
てな感じで北京人が怒ってタマーダ衝突勃発。他の観客を巻き込む騒動になったというものですが、オーディエンスに過激な挑発を試みた警官の方が何やらこのイベントにふさわしい気が(笑)。詳細は不明です。
……ただそれだけのニュースではありますが、ともあれロックイベントでの官民衝突はたぶん前例がないと思うので、中国史上初の快挙としてここに書き留めておきます。
●『明報』(2007/07/23)
http://www.mingpaonews.com/20070723/ccd1.htm
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それにしても中国のロックとはどんなものなんでしょう?遺憾ながら私には全く想像できません。
大学生のとき「中国初のパンクバンド」との鳴り物入りで確か「中国龍」とかいうバンドのLP(レコード!)が出ました。中国つながりですし今は亡き月刊『宝島』の愛読者でもあったので私はそれを買いました。
内容は稚拙の一言。セックス・ピストルズの名曲「God Save the Queen」をカバーしていました。他にオリジナル曲も確か収録してあった筈です。その心意気は買いましたが「これがパンクか?」と落胆してお蔵入り。たぶんまだ実家に置いてある筈です。
数年後、留学先の上海にはロックもパンクもありませんでした。その代わり民主化運動がありました。
教師も学生も授業をボイコットしてデモ隊を編成して繁華街を練り歩き、あるときは当時上海のトップだった江沢民の家まで押しかけて「江沢民出てこい!」と叫んだり、その帰路に人気の絶えた街路で単身になったところを私服に尾行されたりして、そういう毎日や、デモをかけるたびに皆で歌った「国際歌」(インターナショナル)そのものがロックでありパンクであったようでもあります。
現在は上海や北京ならアマチュア向けのライブハウスとかインディーズCDとか路上ライブとかがあるのでしょうか?
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その後渡った香港にも洋楽を別とすれば、つまり香港人によるロックもパンクもありませんでした。テレビに出てくるのは香港歌謡ばっか。「BEYOND」をロックバンド扱いするのは悪い冗談です。
仕事仲間は大半がACG系(アニメ・コミック・ゲーム)のヲタばかりでしたから香港歌謡&J-POP&声優歌謡&特撮歌謡&ACG歌謡で私にとっては人外魔境。連中は昼休みにシーケンサーをいじっている私をいつも不思議そうに眺めていました。もちろんYMOも坂本龍一も知りません。
義弟(配偶者の弟)がヘビメタ好きでボンジョビをよく聴いていて、一応ギターをいじっていたので要らなくなったリズムマシンをあげたら喜んでくれましたけど、楽器店の楽器や楽譜の品揃えの貧弱さからしてああいうのは少数派だった筈です。いまは違うのでしょうか?
台湾では仕事に撤してというか徹さざるを得ず、平均睡眠時間2~3時間であとは職場にいるといった別世界で呼吸していたため俗世間のことは全くわかりませんでした。
ただ一度だけオンガクとの接触がありました。何が何だかわからぬままに私を主役にしたイベントが行われてテレビで観たことのある芸能人のオバサンが司会を務めて、台湾では有名らしいゲストの女の子4人のグループが途中で1曲歌って奇怪な催しに華を添えてくれました。当時でいえばMAXとかSPEEDといった感じです。台湾歌謡なのでしょう。
部下の多くはJ-POPを聴いていました。アキバ系の同人誌屋はありましたけどインディーズ専門店があるかどうかといったことは確認する余裕がありませんでした。仕事仕事……というより雑務仕事雑務でオンガクどころじゃなかったので。
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オルドス草原ロックフェスがどのようなものだったのかは知りませんが、いまの中国社会には現実をえぐり出すヘビメタと都市暴動の先頭に立つパンクスが必要かと思います。
現状では糞青(自称愛国者の反日信者)より政府庁舎を炎上せしめる農民たちの方がパンクバンドのライブを地で行っているような。どうせなら外見もパンクスにしてしまえばどうかと。メタルもメタルの格好をするのです。武警との戦いがあるので行動が制約されるロンドンブーツは履かなくていいですけど。
ともあれ、それによって中国社会がいよいよ、
「YOUはSHOCK」
の世界に近づくことになるでしょう。……って元気のない余太ですみません。m(__)m
前にもどこかで書きましたが、10年経っても私にまだ余力が残っていたらバンドを再結成して香港で路上ライブをやるつもりです。戸川純の「パンク蛹虫の女」にならって私は劉徳華(アンディ・ラウ)の「忘情水」「纏綿」あたりをパンクバージョンにアレンジしたいです。あとは仲間に任せて、私は中共の痛点を刺激するオリジナルの大毒草歌謡を数曲。10年後の香港ですからそんなことやったら捕まって強制送還かも知れません。いやマジで。
うー。やはり今夜は悔しかったり残念だったりで眠れそうにありません。
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残念ながら記憶にありません。当時の上海では台湾の女性シンガーによる「跟着感覚走」が大ヒットしていて、少なくとも私の知る限りではデモ隊が歌うのは「国際歌」かその曲のどちらかでした。
ということは、1989年当時は崔健の人気はまだ北京中心で、上海には広まってなかったのかもしれませんね。
ただ、崔健の人気はその後中国全土に広がって、その結果当局に睨まれてしまい、長い間コンサートも自由にできなかったようです。
このページに詳しい情報がありますね。
http://www.yaogun.com/artist/cuijian/cuijian.htm
これまで聞いたことがないのなら、今からでも聞いてみる価値はありますよ。中国とロックに関心が深いのに、崔健を聞かないのはもったいないです。
御家人さんに「俺よりでしゃばるな」と言える
パンクな香港人が増えていたら、
中国の未来は明るいのかもしれませんね。
ライブ楽しみにしております!
伊武さんの近況が気になってオフィシャルHPを
覗いてみたのですが、MOVIEにハマりました。
日本代表ショックが少し癒されました。
http://www.ibu-masatoh.com/top/top.html
すみません。崔健は以前から知っています。「一無所有」の入ったCDは香港で真っ赤な紙ジャケ「国際歌」と一緒に買っていました。失念していた次第です。m(__)m
上海で流行していたSu RuiのCD(横浜中華街で購入)は手元にあるのですが、インターナショナル&崔健は見つかりません。実家に置いたままなのかも……。アレンジ次第でロックにもポップにもなる旋律でしたね。私のCDはロック調だった筈です。
私の周囲に限った話ですが、民主化運動当時の上海で「一無所有」が歌われたことはありませんでした。運動自体、北京とは相当温度差があって(特に市民の運動に対する肩入れ度)、北京の状況がどうなっているかも情報が錯綜していました。「ハンスト学生3名死亡」というニュースが流れて、みんなで花輪を掲げてデモをかけたこともあります。
「一無所有」は「国際歌」の歌詞の中にその言葉が出てくるほどですし、内容もまた当時の状況に則していたと思います。このあたり、流行歌をそのまま歌ってしまう上海との対比なのかも知れません。上海は冬までずっとSu Ruiでした。あと名前は失念しましたけど台湾の男性シンガー。斎秦だったかな?名曲でいまでもカラオケで歌われています。
リンク先、かなり網羅していますね。情報ありがとうございます。ロックではありませんけど、中国のシンガーなら個人的には劉歓(Liu Huan)が好きです。
>>柴犬さん
参ったなやっぱ芸大はホンモノ、基礎が違うな。……って毎度毎度引っ張り出してしまって済みません。
リンク先のぞいてみました。ムービーがイイ!です。何か個人的にスネークマンショーみたいなのを続けているようで嬉しくなります。デスラー総統は錆びていませんねえ。
私は靖国神社に行ってきました。「負けても行くの?」と配偶者が言うので「単にいままで負けなかっただけだ」と強がりつつ(笑)、サッカーを楽しめる環境にあることに感謝してきました。敗戦は痛いのですが零戦&海軍コーヒーその他ちょっとうれしいことなどで癒してもらいました。
ファンキーさんってああ見えて、現代中国マニアなんですよ。
ちょっとお話から外れますけど、中朝国境まで出かけて、夜陰にまぎれて川を渡り北朝鮮に入国した事もあるのだとか。
結構、濃いマニアであることを隠して、NHKに出ているのだ。
80後半なら崔健が北京では若干抜きん出て浸透してましたね。当時はCDよりカセットテープですな。正規版25元、海賊版10元程度で(笑)
でもその後の90年頭はカラオケで歌われるのは、SuRuiの方だったりして。。。当方の認識では天安門前が崔健、後が跟着感覚走かな?
留学生はどちらもOK!でしたが。。。。
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