ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

日航機事故 上を向いて歌う家族 九ちゃんの歌と明日がある

2015年08月09日 01時22分01秒 | 障害者の自立

 一九八五年八月十二日の日航機墜落事故から間もなく三十年。事故で亡くなった歌手坂本九さん=当時(43)=の妻で女優の柏木由紀子さん(67)は、娘二人と夫のヒット曲を歌い継いできた。「悲しいとき、少しでも誰かの励みになれば」。夫が残した歌と一緒に歩く。涙がこぼれないように、上を向いて。 

 「どこか遠くにお仕事に行っているんだと思いたくて。家族で話をしたら認めることになってしまう」。事故後、九さんの話題は家族から消えた。柏木さんは夫が出演していたテレビ番組の司会を引き継ぎ、仕事と子育てを懸命にこなした。

 九さんと向き合えるようになったのは事故から二十年近くたってから。きっかけは、各地の中学生から手紙が届くようになったことだ。遺作となった曲「心の瞳」を合唱し、道徳の授業で九さんについて学んだと記されていた。「本人を知らない、亡くなった後に生まれた人たちが歌い継いでくれている。うれしくて励まされた」

 私たちも歌わなくては、と二〇〇四年、歌手になった長女大島花子さん、女優の次女舞坂ゆき子さんと「ママエセフィーユ」(母と娘たち)を結成。〇六年から毎年コンサートを開き、「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などを歌ってきた。会場では九さんが歌っている映像を流し、三人がコーラスをつける。

 東日本大震災の直後には三人で岩手県釜石市など被災地を訪れチャリティーコンサートを開いた。「坂本九が生きていたら真っ先に行ったはず」。九さんは障害者支援などに熱心だった。大切な人を奪われる悲しみを知る母娘の歌に、肩を抱き合って励まし合う観客の姿も見られた。「家族四人で歌うことは娘たちにとってあらためてパパを知る作業になり、絆が強まりました」

 国民的スターは子煩悩な父親だった。家族の誕生日や父の日には互いに自作の歌を歌い合った。「四人で一緒にキスできるかな、とか、何でも遊びにしちゃう家族でした」とほほ笑む。

 幸せな日常は突然、断ち切られた。あの夜、娘たちとシャワーを浴び終わると、テレビのニュースが事故を伝えていた。慌ててあちらこちらに問い合わせたが詳細が分からない。テレビから「オオシマヒサシ」の名が聞こえた。九さんの本名だった。「崩れ落ちそうになった。でも『あの人は運が強いから大丈夫』って必死に思った」

 ぼうぜんとして群馬方面に向かい、ひつぎと対面した。遺品のバッグには音楽のカセットテープや花子さんが好きな歌の歌詞を書いたカードが残っていた。「悔しい。それだけでした」

 コンサートは今年、十回目を迎える。「主人は歌うとき、なぜいつも笑顔なのかと聞かれて言ったそうです。『僕が笑っていると、見るお客さんも笑顔になってくれるから』って。人を幸せにすることが大好きでした。私たちもその思いが届くよう歌っていきたい」。花子さんは昨年末に発表したアルバムに父のカバー曲を収録した。

 東京都内の自宅には、リビング近くの壁一面に九さんのレコードジャケットが飾られている。そしてあの笑顔の写真も…。「他の部屋にあった仏壇もリビングに移しました。いつも一緒にいたいから。今も見守ってくれていると思います」。柏木さんが写真に語り掛けた。

<かしわぎ・ゆきこ> 小学生で劇団若草に入団。モデルとしても活躍し、1964年に映画デビュー。翌年レコードデビュー。「これが青春だ」など多くのテレビドラマで人気を博した。71年、歌手や俳優など国民的エンターテイナーとして活躍する川崎市出身の坂本九さんと結婚。日航機墜落事故後、86年に家族愛をつづった著書「上を向いて歩こう」を出しベストセラーに。娘2人とのコンサートなど幅広く活動中。

坂本九さんとの思い出について話す妻で女優の柏木由紀子さん

2015年8月8日   東京新聞



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