「障害者雇用」に新しい風が吹き始めている。
官民挙げての取り組みによって、障害者のある人たちの就労環境はここ数年ゆっくりとではあるが、着実に改善を続けている。民間企業セクターにおける障害者雇用率は1.68%(2010年6月現在)で、とりわけ「ダイバーシティ経営」の推進に積極的に取り組む大企業グループでの雇用増がめざましい。障害者雇用促進法が定める法定雇用率1.8%(従業員56人以上の企業の場合)にはいまだ届かないものの、早期の達成も視界に入ってきた状況だ。
そうした中でにわかに活発になってきたのが、障害者の雇用拡大、就労支援、あるいは生活支援を「ビジネススキーム」の中で実現しようというニューパワーの台頭だ。国・自治体による福祉施策の枠組みを超えた、全く新しい「障害者支援ビジネス」と呼ぶべきソフトサービス分野が誕生しつつある、と言っても過言ではない。
担い手となっているのは、20~30歳代を中心とした若い社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)たち。障害者の社会参加や経済的自立を後押しし、真の意味での「戦力化」を実現する新たなビジネスモデルの構築を目指してベンチャー企業を立ち上げる起業家もいれば、自ら手を上げて既存の大企業組織の中で就労の場を広げようと意欲を燃やすイントラプラナー(社内起業家)もいる。
「社会を変えたい」「世の中の役に立ちたい」「誰かを支えたい」――。彼らは判を押したようにこんな熱い想いを口にする。ビジネスにおいても、彼らが何よりも大切に考えているのは「つながり」や「絆」だ。そこには東日本大震災後に表出した“助け合い文化”にも相通ずる、若い世代の新しい価値観・行動規範が端的に映し出されているようにも思える。
筆者は昨年来、本サイトで『障害者が輝く組織が強い』を連載し、わが国産業界の障害者雇用の現状をルポしてきた。今回はそんな社会起業家たちの活躍を縦糸にして、最先端の動向を追う。
第1回は人材派遣大手、パソナの特例子会社であるパソナハートフルの取り組みから、障害のある人たちの職域拡大や能力開発の可能性と課題を探っていく。
パソナハートフルの最大の特徴は、障害のある人たちに「多様な職場」を提供している点にある。キーコンセプトは「才能に障害はない」。それぞれの障害特性、適性、能力、本人の希望、生活環境などに応じて各人に合った仕事と働き方を選択できるように、試行錯誤を繰り返しながら体制作りを進めてきた。
同社には現在、次の6つの事業部門がある。
[1] パソコンによるデータ入力や印刷、名刺制作、郵便物の集配といった一般事務を行うオフィス業務部門
[2] 絵画制作を専門とする「アーティスト社員」が就労する「アート村」
[3] アート村で制作された作品をモチーフにしたカレンダー、文具などのオリジナルグッズを制作・販売する「アート村工房」
[4] 野菜や果実などを無農薬栽培して販売する「ゆめファーム」
[5] パンや焼き菓子を製造販売する「パン工房」
[6] 外部の顧客企業向けに障害者雇用関連のコンサルティングやアウトソーシング事業を手がけるサポートサービス部門
個性・能力・障害特性に合わせた「多様な職場」
このうち、サポートサービス部門を除く5つの事業部門に障害のある社員が配属されている。事業拠点も、通勤事情などに配慮して首都圏近郊を中心に分散配置。例えば、「アート村工房」は東京・武蔵野市、千葉県流山市、東京・大手町、大阪・梅田の4カ所、「ゆめファーム」は流山市と八千代市の2カ所といった具合だ。
他方、運営に当たっては各地域の特別支援学校、社会福祉法人、障害者就労支援機関はもちろん、絵画作家やパン職人、農業の専門家などとも連携。福祉や専門技能に関する外部ノウハウと、本業の人材派遣で蓄積してきた自らの採用・教育・管理ノウハウを融合させて「障害のあるプロフェッショナル」を輩出しようという独自の人材育成スキームの構築を目指している。
肝心の障害者雇用率は、パソナグループ全体で約2%。雇用者数では百数十人を超える規模になると推計される。その大半がこのパソナハートフルに在籍しており、障害種別の内訳は身体障害が約40%、知的障害が55%、精神障害・内部障害などが5%となっている。年商は約5億円に達する。
「障害のある人でもごく普通に働ける会社」を作る
業容の面でも、事業領域(=職域)開発の面でも、拠点展開や事業連携スキームの面でも、経営規模が総じて小さい特例子会社の中にあって、これほど幅広に事業展開を図っている例はまれであろう。言ってみれば、パソナハートフルという会社自体が“障害者雇用の社会実験装置”になっている趣なのだ。
「私たちが変わらずに目指してきたのは、障害のある人でもごく普通に働ける会社を作ること。何度も失敗し、壁に当たりながら、障害のある当事者たちともキャッチボールを続けて、ようやく現在の仕組みにたどり着いたんです」。パソナの持ち株会社であるパソナグループ取締役専務執行役員で、パソナハートフル社長を兼務する深澤旬子さんはこう説明する。
パソナの障害者雇用の取り組みが本格的にスタートしたのは、今から20年ほど前。深澤さんが社内提案制度で提案した事業プランが採択され、社内ベンチャー事業として立ち上がったのだ。詳しくは後述するが、以来一貫して自らが先頭に立ち、一時は大幅な戦線縮小を余儀なくされるなどの挫折を味わいながらも、雇用推進に挑み続けてきた。
アート制作や農業など本業の人材派遣とは直接結びつかない事業部門を設けているのは、それが「障害者が働ける職場になる」からだ。「障害者の中には一般のオフィスや工場での就労が困難な人も多い。その半面、絵を描く才能が豊かな人もいれば、農作業が好きで青空の下なら生き生きと輝く人もいます。そうであれば、それぞれの人の適性や能力を生かせる職場を作り出すことこそが人材サービス会社としての社会的使命ではないか、と考えたわけです」。既存の企業組織の中では働く場所が見つからない人のための受け皿作りということだ。
ただ、問題はそれをどのように「仕事」にしていくか。ビジネスは福祉事業ではない。会社で働くことが収益や企業価値の向上に貢献して初めて、企業にとっても、障害者本人にとっても意味のある「就労」になる。深澤社長も「私たちが長年苦労してきたのは、そのための仕組み作り。あくまでも企業活動の中で障害者の能力開発に取り組んでいるわけですから、きちんと成果を出すことは絶対に必要です。そのことは今でも最大の課題です」と率直に語る。
それでは実際に、各事業部門はどのような形で運営されているのか。そして、障害のある社員たちはどのような働き方をしているのだろうか。いつかの「職場」に足を運んだ。
手作り有機野菜を企業流ノウハウで商品化
最初に訪問したのは、千葉県八千代市にある「ゆめファーム・八千代」。パソナハートフルのいわば「農業就労部門」だ。北総線小室駅から車で10分ほど走ると、広々とした田園風景の中に、その農場が現れる。東京都心から1時間半程度の近距離に、まだこんな“田舎”が残っていることに驚かされた。
ここには現在、知的障害や発達障害のある社員7人が専任の指導管理者の下、さまざまな野菜作りに汗を流している。「ゆめファーム」は地元の社会福祉法人実のりの会が運営する障害福祉サービス事業所「ビック・ハート」との共同事業として2006年9月に開設。10年冬から休耕地だった現在の場所に移転した。ほかに「ゆめファーム・流山」があり、こちらには3人の障害者が就労している。
「勤務時間」は原則として平日の午前9時~午後5時。普通、農作業は朝が早いものだが、ここはあくまでも特例子会社の1つの職場。障害のある社員たちが無理なく継続的に働けるように、また会社としてきちんと勤怠管理ができるように、あえてほかの事業部門と同じような勤務体制にしているのだという。
セールスポイントは、すべての作物を有機農法で育てていること。「堆肥作りから土興し、種まき、苗作り、生長管理、収穫まで、障害のある社員たちが手作りした無農薬野菜なんですよ」と、責任者の加藤耕平マネージャーは強調する。その言葉を証明するように、畑のあちらこちらでバッタが跳ね、蝶が飛び交っていた。
農場と言っても、総面積は約3000平方メートル。都会の近郊でよく見られる「家族経営の小規模兼業農家の畑」といった程度の広さだ。ここを9区画に区切り、連作障害を防ぎながら、季節ごとにキャベツ、レタス、大根、ジャガイモ、なす、トマト、トウモロコシ、小松菜などなど30種類以上の野菜や果物、花、ハーブ類を作付けし、1月から12月まで1年を通じて途切れることなく栽培・収穫している。ほかにも、収穫物を使用したジャム、漬け物などの手作り加工品も生産している。
決して広くはない農地をさらに小分けして“多品種少量生産”しているため、一つひとつの作物の収穫量は決して多くない。生産効率は悪いが、これもまた障害のある社員たちが働きやすい環境作りの一環だ。「いろいろな農作物の作り方を覚え、スキルを高めてもらう」ことに加えて、「何よりも自分たちで育てる楽しさ、収穫する喜びを実感してもらうためのやり方なんです」と加藤マネージャー。つまり、仕事に対するやりがいを作り出す工夫にほかならない。
それでも、収穫した野菜はほぼ全量を「商品」として出荷しており、大事な「換金作物」になっている。
障害のある現場リーダーをリクルート
主な出荷ルートは2つある。1つは、取れたての生鮮野菜をそのまま大手町のパソナグループ本部ビルに出荷。これは本部で働くパソナ社員向けに社内販売されており、社員にも好評だそうだ。取材に立ち会ったパソナグループ広報室の森川洋子マネージャーも愛用者の1人。「小さい子供がいるので料理には気を遣っていますから、無農薬野菜を会社で買えるのはありがたいですね。各フロアに売りに来てくれるのもうれしい。忙しくて残業する時でも買えますし」とエールを送る。働く女性の多い同社ならではの福利厚生策になっているのだ。
もう1つは、東京・丸の内の新丸ビル内などに開設した「パン工房」の厨房に食材として納入され、ここで焼きたてパンやパウンドケーキ、クッキーなどに生まれ変わる。パン工房の製品は生鮮野菜と同じように社員向けに毎日供給しているほか、ホームページなどを通じて一般向けにも販売されている。
いずれも量は少ないものの、商品としてきちんと売り上げが立つ仕組みになっているのである。
一方、農場での作業管理体制にも、企業流の人事管理ノウハウを生かした工夫がある。最も注目すべき点は、7人の障害のある社員の中にリーダー役を担う社員をリクルートして、計画的に「配属」していること。松田智彦さん(24歳)がその人だ。松田さん以外の6人は「ビック・ハート」を通じて採用した地元の人たちだが、松田さんはパソナハートフルの人材募集に応募して採用された。松田さんは今、加藤マネージャー、農業指導者である川島治男さんの2人の管理者と障害のある社員たちとをつなぐ、中間管理職のような役割を任されている。
どんな障害があるか。本人に直接うかがうと、「広汎性発達障害と境界性人格(パーソナリティー)障害があります…ということだそうです」と茶目っ気のある笑みを浮かべながら、はっきりと答えてくれた。小さい時から農業に興味があり、農業の専門高校を卒業して「ゆめファーム」がオープンした翌年の2007年8月に入社。学校で学んだ専門スキルを生かして、ほかの社員たちを引っ張っている。
今のやりがいは「やはり、手塩にかけて育てた作物を収穫する時ですね」。メンバーの中には年上の人もいる。「他の社員の面倒を見ることは負担になりませんか」と聞くと、「仲間と一緒に助け合いながら作業できるのは、むしろ楽しいです」。家は東京都下にあり、片道2時間近くかけて通勤しているが、「それも特段苦になりません」という。加藤マネージャーも「松田君はゆめファームにとってなくてはならない存在です」と全幅の信頼を寄せている。
「障害者の力が、超高齢社会を支える力になる」
その加藤マネージャーもまた、2006年にパソナハートフルの人材募集に応募して中途入社した専任スタッフである。いきなり同年6月に開設した「アート村工房・武蔵野」の責任者を任され、現在も「ゆめファーム」と「アート村工房」の両部門の運営に携わっている。おおむね週3日を農場、残りの2日を工房というシフトで各地に分散した事業拠点の間を忙しく飛び回っているそうだ。
今年37歳。大学卒業後10年ほど公務員として一般事務職の仕事をしていたが、思うところあって退職。次の仕事を探している時に同社の見学会に参加し、「障害のある人たちが生き生きと働いている姿にカルチャーショックを受け、迷わずに応募しました」と動機を語る。
自身も下肢に軽い障害がある。「公務員時代は健常者に負けまいという思いで仕事をしていた」が、現在は「彼らが目標を達成できた時は私自身も心からうれしく感じるし、一緒にもっと頑張ろうという気持ちになります」という。知的障害のある社員に寄り添う仕事を通じて、加藤さんの中で「障害」に対する向き合い方が大きく変わったのだろう。
住まいも農場の近くに見つけ、家族とともに引っ越してきた。「今は充実した毎日を送っています」と笑顔を見せる。会社員として自覚している自身の至上命題は「農業の専門スタッフとして、障害のある社員たちのスキルアップを図ること」。それが社業にプラスになるからだけでなく、「障害者の力が、必ず社会を支える力になる」と強く信じているからだ。
「高齢化がさらに加速するこれからの日本では、障害者がもっともっと社会進出しなければならない。障害者の出番はこれから。私たちはそのモデルケースを作りたいと考えているんです」。加藤マネージャーは穏やかな口調で闘志あふれる言葉を言い放った。
翌日、今度は東京・大手町のパソナグループ本部ビルを訪ねた。ここには「アート村工房・大手町」とオフィス業務部門があり、障害のあるホワイトカラーの大部隊が勤務している。
2011年11月24日(木)日経ビジネス オンライン
官民挙げての取り組みによって、障害者のある人たちの就労環境はここ数年ゆっくりとではあるが、着実に改善を続けている。民間企業セクターにおける障害者雇用率は1.68%(2010年6月現在)で、とりわけ「ダイバーシティ経営」の推進に積極的に取り組む大企業グループでの雇用増がめざましい。障害者雇用促進法が定める法定雇用率1.8%(従業員56人以上の企業の場合)にはいまだ届かないものの、早期の達成も視界に入ってきた状況だ。
そうした中でにわかに活発になってきたのが、障害者の雇用拡大、就労支援、あるいは生活支援を「ビジネススキーム」の中で実現しようというニューパワーの台頭だ。国・自治体による福祉施策の枠組みを超えた、全く新しい「障害者支援ビジネス」と呼ぶべきソフトサービス分野が誕生しつつある、と言っても過言ではない。
担い手となっているのは、20~30歳代を中心とした若い社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)たち。障害者の社会参加や経済的自立を後押しし、真の意味での「戦力化」を実現する新たなビジネスモデルの構築を目指してベンチャー企業を立ち上げる起業家もいれば、自ら手を上げて既存の大企業組織の中で就労の場を広げようと意欲を燃やすイントラプラナー(社内起業家)もいる。
「社会を変えたい」「世の中の役に立ちたい」「誰かを支えたい」――。彼らは判を押したようにこんな熱い想いを口にする。ビジネスにおいても、彼らが何よりも大切に考えているのは「つながり」や「絆」だ。そこには東日本大震災後に表出した“助け合い文化”にも相通ずる、若い世代の新しい価値観・行動規範が端的に映し出されているようにも思える。
筆者は昨年来、本サイトで『障害者が輝く組織が強い』を連載し、わが国産業界の障害者雇用の現状をルポしてきた。今回はそんな社会起業家たちの活躍を縦糸にして、最先端の動向を追う。
第1回は人材派遣大手、パソナの特例子会社であるパソナハートフルの取り組みから、障害のある人たちの職域拡大や能力開発の可能性と課題を探っていく。
パソナハートフルの最大の特徴は、障害のある人たちに「多様な職場」を提供している点にある。キーコンセプトは「才能に障害はない」。それぞれの障害特性、適性、能力、本人の希望、生活環境などに応じて各人に合った仕事と働き方を選択できるように、試行錯誤を繰り返しながら体制作りを進めてきた。
同社には現在、次の6つの事業部門がある。
[1] パソコンによるデータ入力や印刷、名刺制作、郵便物の集配といった一般事務を行うオフィス業務部門
[2] 絵画制作を専門とする「アーティスト社員」が就労する「アート村」
[3] アート村で制作された作品をモチーフにしたカレンダー、文具などのオリジナルグッズを制作・販売する「アート村工房」
[4] 野菜や果実などを無農薬栽培して販売する「ゆめファーム」
[5] パンや焼き菓子を製造販売する「パン工房」
[6] 外部の顧客企業向けに障害者雇用関連のコンサルティングやアウトソーシング事業を手がけるサポートサービス部門
個性・能力・障害特性に合わせた「多様な職場」
このうち、サポートサービス部門を除く5つの事業部門に障害のある社員が配属されている。事業拠点も、通勤事情などに配慮して首都圏近郊を中心に分散配置。例えば、「アート村工房」は東京・武蔵野市、千葉県流山市、東京・大手町、大阪・梅田の4カ所、「ゆめファーム」は流山市と八千代市の2カ所といった具合だ。
他方、運営に当たっては各地域の特別支援学校、社会福祉法人、障害者就労支援機関はもちろん、絵画作家やパン職人、農業の専門家などとも連携。福祉や専門技能に関する外部ノウハウと、本業の人材派遣で蓄積してきた自らの採用・教育・管理ノウハウを融合させて「障害のあるプロフェッショナル」を輩出しようという独自の人材育成スキームの構築を目指している。
肝心の障害者雇用率は、パソナグループ全体で約2%。雇用者数では百数十人を超える規模になると推計される。その大半がこのパソナハートフルに在籍しており、障害種別の内訳は身体障害が約40%、知的障害が55%、精神障害・内部障害などが5%となっている。年商は約5億円に達する。
「障害のある人でもごく普通に働ける会社」を作る
業容の面でも、事業領域(=職域)開発の面でも、拠点展開や事業連携スキームの面でも、経営規模が総じて小さい特例子会社の中にあって、これほど幅広に事業展開を図っている例はまれであろう。言ってみれば、パソナハートフルという会社自体が“障害者雇用の社会実験装置”になっている趣なのだ。
「私たちが変わらずに目指してきたのは、障害のある人でもごく普通に働ける会社を作ること。何度も失敗し、壁に当たりながら、障害のある当事者たちともキャッチボールを続けて、ようやく現在の仕組みにたどり着いたんです」。パソナの持ち株会社であるパソナグループ取締役専務執行役員で、パソナハートフル社長を兼務する深澤旬子さんはこう説明する。
パソナの障害者雇用の取り組みが本格的にスタートしたのは、今から20年ほど前。深澤さんが社内提案制度で提案した事業プランが採択され、社内ベンチャー事業として立ち上がったのだ。詳しくは後述するが、以来一貫して自らが先頭に立ち、一時は大幅な戦線縮小を余儀なくされるなどの挫折を味わいながらも、雇用推進に挑み続けてきた。
アート制作や農業など本業の人材派遣とは直接結びつかない事業部門を設けているのは、それが「障害者が働ける職場になる」からだ。「障害者の中には一般のオフィスや工場での就労が困難な人も多い。その半面、絵を描く才能が豊かな人もいれば、農作業が好きで青空の下なら生き生きと輝く人もいます。そうであれば、それぞれの人の適性や能力を生かせる職場を作り出すことこそが人材サービス会社としての社会的使命ではないか、と考えたわけです」。既存の企業組織の中では働く場所が見つからない人のための受け皿作りということだ。
ただ、問題はそれをどのように「仕事」にしていくか。ビジネスは福祉事業ではない。会社で働くことが収益や企業価値の向上に貢献して初めて、企業にとっても、障害者本人にとっても意味のある「就労」になる。深澤社長も「私たちが長年苦労してきたのは、そのための仕組み作り。あくまでも企業活動の中で障害者の能力開発に取り組んでいるわけですから、きちんと成果を出すことは絶対に必要です。そのことは今でも最大の課題です」と率直に語る。
それでは実際に、各事業部門はどのような形で運営されているのか。そして、障害のある社員たちはどのような働き方をしているのだろうか。いつかの「職場」に足を運んだ。
手作り有機野菜を企業流ノウハウで商品化
最初に訪問したのは、千葉県八千代市にある「ゆめファーム・八千代」。パソナハートフルのいわば「農業就労部門」だ。北総線小室駅から車で10分ほど走ると、広々とした田園風景の中に、その農場が現れる。東京都心から1時間半程度の近距離に、まだこんな“田舎”が残っていることに驚かされた。
ここには現在、知的障害や発達障害のある社員7人が専任の指導管理者の下、さまざまな野菜作りに汗を流している。「ゆめファーム」は地元の社会福祉法人実のりの会が運営する障害福祉サービス事業所「ビック・ハート」との共同事業として2006年9月に開設。10年冬から休耕地だった現在の場所に移転した。ほかに「ゆめファーム・流山」があり、こちらには3人の障害者が就労している。
「勤務時間」は原則として平日の午前9時~午後5時。普通、農作業は朝が早いものだが、ここはあくまでも特例子会社の1つの職場。障害のある社員たちが無理なく継続的に働けるように、また会社としてきちんと勤怠管理ができるように、あえてほかの事業部門と同じような勤務体制にしているのだという。
セールスポイントは、すべての作物を有機農法で育てていること。「堆肥作りから土興し、種まき、苗作り、生長管理、収穫まで、障害のある社員たちが手作りした無農薬野菜なんですよ」と、責任者の加藤耕平マネージャーは強調する。その言葉を証明するように、畑のあちらこちらでバッタが跳ね、蝶が飛び交っていた。
農場と言っても、総面積は約3000平方メートル。都会の近郊でよく見られる「家族経営の小規模兼業農家の畑」といった程度の広さだ。ここを9区画に区切り、連作障害を防ぎながら、季節ごとにキャベツ、レタス、大根、ジャガイモ、なす、トマト、トウモロコシ、小松菜などなど30種類以上の野菜や果物、花、ハーブ類を作付けし、1月から12月まで1年を通じて途切れることなく栽培・収穫している。ほかにも、収穫物を使用したジャム、漬け物などの手作り加工品も生産している。
決して広くはない農地をさらに小分けして“多品種少量生産”しているため、一つひとつの作物の収穫量は決して多くない。生産効率は悪いが、これもまた障害のある社員たちが働きやすい環境作りの一環だ。「いろいろな農作物の作り方を覚え、スキルを高めてもらう」ことに加えて、「何よりも自分たちで育てる楽しさ、収穫する喜びを実感してもらうためのやり方なんです」と加藤マネージャー。つまり、仕事に対するやりがいを作り出す工夫にほかならない。
それでも、収穫した野菜はほぼ全量を「商品」として出荷しており、大事な「換金作物」になっている。
障害のある現場リーダーをリクルート
主な出荷ルートは2つある。1つは、取れたての生鮮野菜をそのまま大手町のパソナグループ本部ビルに出荷。これは本部で働くパソナ社員向けに社内販売されており、社員にも好評だそうだ。取材に立ち会ったパソナグループ広報室の森川洋子マネージャーも愛用者の1人。「小さい子供がいるので料理には気を遣っていますから、無農薬野菜を会社で買えるのはありがたいですね。各フロアに売りに来てくれるのもうれしい。忙しくて残業する時でも買えますし」とエールを送る。働く女性の多い同社ならではの福利厚生策になっているのだ。
もう1つは、東京・丸の内の新丸ビル内などに開設した「パン工房」の厨房に食材として納入され、ここで焼きたてパンやパウンドケーキ、クッキーなどに生まれ変わる。パン工房の製品は生鮮野菜と同じように社員向けに毎日供給しているほか、ホームページなどを通じて一般向けにも販売されている。
いずれも量は少ないものの、商品としてきちんと売り上げが立つ仕組みになっているのである。
一方、農場での作業管理体制にも、企業流の人事管理ノウハウを生かした工夫がある。最も注目すべき点は、7人の障害のある社員の中にリーダー役を担う社員をリクルートして、計画的に「配属」していること。松田智彦さん(24歳)がその人だ。松田さん以外の6人は「ビック・ハート」を通じて採用した地元の人たちだが、松田さんはパソナハートフルの人材募集に応募して採用された。松田さんは今、加藤マネージャー、農業指導者である川島治男さんの2人の管理者と障害のある社員たちとをつなぐ、中間管理職のような役割を任されている。
どんな障害があるか。本人に直接うかがうと、「広汎性発達障害と境界性人格(パーソナリティー)障害があります…ということだそうです」と茶目っ気のある笑みを浮かべながら、はっきりと答えてくれた。小さい時から農業に興味があり、農業の専門高校を卒業して「ゆめファーム」がオープンした翌年の2007年8月に入社。学校で学んだ専門スキルを生かして、ほかの社員たちを引っ張っている。
今のやりがいは「やはり、手塩にかけて育てた作物を収穫する時ですね」。メンバーの中には年上の人もいる。「他の社員の面倒を見ることは負担になりませんか」と聞くと、「仲間と一緒に助け合いながら作業できるのは、むしろ楽しいです」。家は東京都下にあり、片道2時間近くかけて通勤しているが、「それも特段苦になりません」という。加藤マネージャーも「松田君はゆめファームにとってなくてはならない存在です」と全幅の信頼を寄せている。
「障害者の力が、超高齢社会を支える力になる」
その加藤マネージャーもまた、2006年にパソナハートフルの人材募集に応募して中途入社した専任スタッフである。いきなり同年6月に開設した「アート村工房・武蔵野」の責任者を任され、現在も「ゆめファーム」と「アート村工房」の両部門の運営に携わっている。おおむね週3日を農場、残りの2日を工房というシフトで各地に分散した事業拠点の間を忙しく飛び回っているそうだ。
今年37歳。大学卒業後10年ほど公務員として一般事務職の仕事をしていたが、思うところあって退職。次の仕事を探している時に同社の見学会に参加し、「障害のある人たちが生き生きと働いている姿にカルチャーショックを受け、迷わずに応募しました」と動機を語る。
自身も下肢に軽い障害がある。「公務員時代は健常者に負けまいという思いで仕事をしていた」が、現在は「彼らが目標を達成できた時は私自身も心からうれしく感じるし、一緒にもっと頑張ろうという気持ちになります」という。知的障害のある社員に寄り添う仕事を通じて、加藤さんの中で「障害」に対する向き合い方が大きく変わったのだろう。
住まいも農場の近くに見つけ、家族とともに引っ越してきた。「今は充実した毎日を送っています」と笑顔を見せる。会社員として自覚している自身の至上命題は「農業の専門スタッフとして、障害のある社員たちのスキルアップを図ること」。それが社業にプラスになるからだけでなく、「障害者の力が、必ず社会を支える力になる」と強く信じているからだ。
「高齢化がさらに加速するこれからの日本では、障害者がもっともっと社会進出しなければならない。障害者の出番はこれから。私たちはそのモデルケースを作りたいと考えているんです」。加藤マネージャーは穏やかな口調で闘志あふれる言葉を言い放った。
翌日、今度は東京・大手町のパソナグループ本部ビルを訪ねた。ここには「アート村工房・大手町」とオフィス業務部門があり、障害のあるホワイトカラーの大部隊が勤務している。
2011年11月24日(木)日経ビジネス オンライン
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