生活保護を申請させない「水際作戦」や、生活の実情を考えない強制退去など、温かみに欠ける行政による犠牲者は、近年も各地で出ています。今回は、札幌市と千葉県銚子市で起きた事件を取り上げます。
行政の仕事は、やり方しだいで人の命を救うこともできれば、奪ってしまうこともあります。とりわけ自治体職員は、住民の暮らしを助け、生命を守るという原点を自覚して業務にあたり、「貧困死」「困窮事件」を防いでほしいものです。
3回出向いたが保護を申請できず、姉妹が孤立死……札幌市白石区
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2012年1月20日、札幌市の地下鉄白石駅に近い4階建てマンションの3階で、姉妹が遺体で発見された。司法解剖の結果、姉(当時42)が12月下旬~1月上旬に脳内血腫で病死し、中度の知的障害のある妹(当時40)が残されて、1月上旬~中旬に凍死したと判断された。ガスストーブはあったが、ガスは11月末で止められており、電気も発見直前に止められていた。室内に食べ物はなく、冷蔵庫も空だった。ジャンパーを着込んで倒れていた姉の携帯電話には12月20日に「111」への発信履歴があり、110番か119番に助けを求めようとしたらしい。
滝川市出身の姉妹は、中学生の時に両親を亡くし、おじの家に一時、身を寄せた。妹は中学卒業後、洋裁店に住み込んだ後、滝川市の障害者施設で作業をしていた。姉は高校卒業後、独立してCD店や衣料品店に勤めたが、閉店になり、札幌に出て別の衣料品店で働いた。夜にホテルの洗い場で働くダブルワークをした時期もあった。07年6月から白石区で妹と一緒に暮らすようになったが、姉は09年10月に体調を崩し、定職を失った。
姉は、白石区保護課に3回、生活保護の相談に出向き、窮状を訴えていた。しかし「懸命なる求職活動」ばかりを求められ、保護申請にも至らないままだった。3回の面接受付票には、以下の内容が書かれていた(おおむね原文通りだが、一部を省略し、一部の表記を変えて、3項目に順序を整理した。「主」とあるのは、世帯主である姉のこと)。
<1回目 2010年6月1日>
▽訴え =生活保護の相談に来所した。09年10月まで洋服の販売で稼働していたが、体調不良により退職した。5月1日から文具店で働くも4日間で解雇となり、今後の生活が不安として相談に来た。求職活動しており、婦人服の会社を面接、返事待ちの状況。仕事も決まっておらず、手持ち金もわずか。
▽状況 =10年3月22日から雇用保険を受給している。3月26日に6万0070円、5月7日に11万5857円を受給。文具店からは5月25日に給与2万3000円が支給になった。しかし離職証明が届いておらず、雇用保険の手続きに行けない。健康保険は任意継続。主名義の生命保険あり。その他活用できる資産はない。通院している病院は主・妹ともない。妹は知的障害により障害年金を受給中(2か月分で約13万3000円)。妹は稼働していない。扶養義務者はなし。両親は他界。きょうだいは主・妹だけ。(預貯金・現金の保有状況、ライフラインの停止・滞納状況は聴取に至らず)
▽対応 =能力・資産の活用等、生活保護制度全般について説明した。高額家賃について教示。保護の要件である、懸命なる求職活動を伝えた。今後も継続して求職活動をするよう助言した。後日、関係書類を持って再度相談したいとして、本日の申請意思は示さず退室となった。
<2回目 2011年4月1日>
▽訴え =この1週間の生活相談のため来所。15日には妹の障害年金(13万2016円/2か月分)が支給される。手持ち金が少なく、食料も少ないため、それまでの生活の相談に来た。
▽状況 =ハローワークの教育訓練給付を受けているが、先方の手違いで4月8日まで給付されない。8日に給付金2か月分が支給され、15日には妹の障害年金が支給される。公共料金等の支払いを待ってもらっている状況だという。(預貯金・現金等は1000円。ライフライン滞納あり、健康保険は未加入)
▽対応 =生活保護または社協貸し付けは、決定まで一定の日数を要する旨伝える。この1週間の生活だけがどうしても困難とのことから、非常用パン14缶(7日×1食×2人)を支給。災害用等であるため、恒久的な支給はできない旨を説明。食料確保により生活可能であるとして、生活保護相談に至らず退室。
<3回目 2011年6月30日>
▽訴え =生活保護の相談に来所。求職活動しているが決まらず、手持ち金も少なくなり、生活していけないと相談に来た。
▽状況 =ハローワークの教育訓練給付を受け、給付金と妹の障害年金で生活。職業訓練も終了、4月下旬から仕事が決まるも、知的障害のある妹が体調を崩し、仕事に行けない状態になり、研修期間で辞めた。研修期間のため、給与はなし。その後も清掃のアルバイトをするも続かず、1週間ほどで辞めてしまった。国保未加入。以前は社会保険の任意継続に加入していたが、保険料が払えず喪失した。主の生命保険に加入していたが、保険料払えず解約した。活用可能な資産はなしとの申し立て。負債は家賃・公共料金の滞納分。6月15日受給の妹の障害年金(2か月分で約13万2000円)は、家賃・公共料金の支払いで消費済み。扶養義務者はなし。両親は他界。(ライフラインの状況は聴取に至らず)
▽対応 =能力・資産の活用等、生活保護制度全般について説明。高額家賃について教示。保護の要件である、懸命なる求職活動を伝えた。手持ち金も少なく、次回は関係書類を持って相談したいとのことで本日の申請意思は示さず退室となった。
白石区では25年前の1987年にも、福祉事務所に困窮を訴えたものの、生活保護の申請に至らなかった39歳の母親が、男の子3人を残して餓死する事件が起きていました。
【コメント】 マイナス10度を下回ることもある冬の北海道。福祉の助けを受けられなかった2人は、大都会の一角の暖房のなくなった部屋で、どんなふうに過ごしていたのでしょう。
姉妹の11年度の最低生活費(保護基準額)は、冬季で18万4720円(住宅扶助を含む)。それに対して収入は、妹の障害年金が月6万6000円余りしかなく、少なくとも3回目の相談の時は、他の収入が入る見込みもありません。当時の保護課長は「申請すれば保護適用になった可能性がある」と認めました。
面接担当者は「懸命なる求職活動」を何度も求めていますが、実際に求職活動をしてもうまくいかないのだから、すでに稼働能力を活用する努力はしています。現に困窮していることは明らかなので、保護を開始した後に、改めて就職の援助をすればよいのです。
「高額家賃について教示」も問題です。姉妹のマンションは月5万円で、札幌市の当時の住宅扶助限度額(2人世帯で4万7000円)を少し上回りますが、保護できない理由にはなりません。家賃が限度額より高くても、保護を受けて生活扶助費の中から自分で差額を出すことは許されます。それが続くと生活費を圧迫する場合は、福祉事務所が引っ越しを指導して、転居費用を出せばよいのです。
「次回は関係書類を持って相談したい」と姉が言って退室したというのも、妙な記述です。書類を用意しないと申請できないと思ったのではないか。本当は申請した後、必要な書類を順次、提出すればよいのです。制度をよく知らない人に親切な説明をせず、あたかも申請の前提条件がいろいろあるかのように勘違いさせたとすれば、「だまし」に近いと思います。
面接受付票には、急迫状態を判断するチェック欄として、現金・預貯金、ライフライン、健康保険の3項目がありました。1回目の未聴取は問題だし、2回目からは3項目とも危機的な状況です。急迫状態として、とりあえず保護するべきでしょう。また2回目、3回目は健康保険の未加入を知りながら放置し、健康状態も確認していません。少なくとも妹は体調を崩していたのだから、そこを気遣えば、保護申請を受け付けて審査のための検診命令の形で医療機関を受診させるか、さしあたり、お金がなくてもかかれる無料低額診療を行う医療機関を紹介する方法があったはずです。
県営住宅を強制退去になる日に心中を図り、娘を殺害……千葉県銚子市
2014年9月24日朝、銚子市豊里台にある県営住宅の1階の部屋で、母親(当時43)が、中学2年の娘(当時13)の首をハチマキで締めて殺し、自分も死のうとする事件が起きた。家賃滞納で住宅明け渡しが強制執行される日だった。前年に生活保護の相談に行ったが、申請できずに帰っていた。
千葉地裁は15年6月12日、「精神的に追い込まれた状況で、突発的に犯行に至った。原因のすべてが被告人にあったとは言えず、強く非難できない事情もある」としつつ、母親に懲役7年(求刑14年)の実刑判決を言い渡した。母親は控訴したが、東京高裁で棄却され、確定した。
母親は02年に離婚し、07年11月、県営住宅に母娘で入居した。隣町の学校給食センターでパートとして働き、児童扶養手当(年3回)、児童手当(年3回)を受給し、就学援助も受けていた。元夫からの養育費は3万円の約束だったが、少ない時やゼロの時もあり、12年に入ると支払われなくなった。それを含め、事件前の2年間の平均月収は検察側の計算で14万4280円、母親の公判供述では11万~13万円程度。13年2月には娘の中学進学のため、社会福祉協議会から12万5000円を借り、分割返済を始めた。同じころ、ヤミ金からも借りて週1万円ずつ返した。返済が遅れると電話がかかり続け、どなられた。家賃の支払いは後回しになった。
家賃は月1万2800円だったが、11年11月からしばしば滞納。やがて9か月分たまり、千葉県は13年3月に明け渡し請求を行い、入居許可も取り消した。13年7月には明け渡し請求と滞納家賃の支払いを求めて提訴。母親は裁判に出ず、書面も出さなかったため、県勝訴の判決が出た。県は14年5月23日に強制執行の事前通知をした。その後、母親は県へ電話して「待ってくれないか」と伝えたが、県は8月19日に裁判所へ強制執行を申し立てた。8月27日には執行官が強制執行の公示書を留守中の自宅内に掲示した。
この間、母親によると、08年か09年ごろ、生活保護を申請しようと銚子市の社会福祉課を訪れて相談したが、「仕事をしているから申請してもお金がおりない」と言われ、申請せずに帰った(銚子市の記録は不明)。13年4月5日には市の保険年金課を訪れ、国民健康保険料の滞納に伴う短期保険証の発行を受けた。その際、生活保護の受給を勧められ、隣にある社会福祉課で保護申請を相談した。収入なども話したが、職員から「申請してもいいけど、あなたの場合は支払われる額はない気がする」と言われ、申請をあきらめて帰ったという(銚子市の説明では、生活保護がどのようなものか教えてほしいと聞いてきたので、パンフレットを見せて説明した。「本格的に受けたければ、所得のわかる給与明細を持って来てください」と言うと、「何かあればまた来ます」と帰った、としている)。
事件は、強制執行に訪れた補助業者が発見した。うつぶせになった娘の横で、母親は、娘の運動会を撮ったDVDを見ながら、「これ、うちの子なの」「首を絞めちゃった」「生活が苦しい」「お金がない」「このDVDが終わったら、後を追って死ぬんだ」と穏やかに話したという。所持金は2717円、預金残高は1963円。娘はバレーボール部員だった。
母親は公判で、こう供述した。「留守中に貼られた強制執行の紙を見て、もうダメだな、死ぬしかないと思うようになった。自分だけ死んで娘は国に保護してもらうつもりだった。娘を学校に送り出してから死ぬつもりだったが、娘が自分の体調を心配して学校を休むと言ったので計画が狂った。当日のことは全く覚えておらず、なんで娘を殺すことになったのかわからない」
【コメント】 公営住宅の家賃は低額ですが、世帯収入が少ないなど、支払いが困難な時は、家賃減免制度があります。千葉県の条例による基準に当時の母親の収入をあてはめると、60%または80%減額され、月に7000円から1万円ほど減ったはずでした。しかし減免制度は、申請しないと適用されません。県による減免制度の周知は、入居時のしおりの記載と、年1回の翌年度の家賃通知の裏面に載せた案内、ホームページへの掲載だけ。県内の利用率は、減免対象になりうる入居世帯の17%弱という低さでした。家賃滞納者にも減免制度は伝えず、一方で督促だけは繰り返していたのです。
また県は、家賃の滞納が続いた時も、明け渡し請求や強制執行の手続きを進める時も、本人に会って生活実態などの事情を聴いていませんでした。悪質な滞納者でないのに、一方的に手続きを進め、路頭に迷わせる事態を招くのは、居住保障という公営住宅の目的に反します。
公営住宅法は「健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を整備し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸し、または転貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与すること」を目的にしており、憲法25条の生存権保障の一環です。また住生活基本法(06年制定)は低所得者、被災者、高齢者、子どものいる家庭などの居住の安定の確保を求め、住宅セーフティ-ネット法(07年制定)は、そうした住宅確保要配慮者のための施策を国・自治体の責務と定めています。公営住宅をもつ自治体は、単なる賃貸住宅の家主であってはいけないのです。
銚子市の生活保護窓口はどうか。相談に出向いた時、母親は、できれば保護を受けたいと考えていたはずで、収入も保護基準を下回っていたとみられます。ところが生活実態の聞き取りをろくにせず、申請は無条件でできることを伝えず、申請意思の確認もしなかったのは、申請権の侵害でしょう。
行政の各部門の連絡・連携も問題です。強制執行や滞納処分の担当部門は、縦割りで自分たちの業務だけを進めがちですが、生活に困っている世帯なら、福祉部門に連絡すれば、援助の方法がありうるでしょう。逆に福祉部門からの連絡も、生活基盤の維持や滞納の解決につながります。生活困窮を知った市の社会福祉課から県の住宅担当課へ連絡していれば、家賃減免を使えた可能性があります。
もう一つ、法律家との連携も重要です。この事件で生活苦の大きな原因は、ヤミ金を含む借金でした。保護の開始前でも開始後でも、市民相談担当課や法テラス、弁護士会などを紹介していれば、弁護士や司法書士の援助を受けて、わりあい簡単に債務を整理できたはずです。
悲劇を防ぐための具体的な方策
法律家、研究者、支援者らがつくった全国「餓死」「孤立死」問題調査団は、札幌の姉妹の事件などを踏まえて12年6月7日、 「餓死」「孤立死」根絶のための提言 を発表し、次のことを挙げました。
- すべての孤立死事件に関する徹底した調査の実施
- 必要とする人が漏れなく生活保護を受けられるようにすること
- ライフライン業者などとの連携強化による緊急対応
- 生活困窮や孤立に陥りやすいリスク層に対する積極的アプローチ
- 行政内部での連携の強化と、ケースワーカーをはじめ専門職員の十分な要員配置・専門性の向上
2の生活保護については、水際作戦を根絶するため、<1>窓口の誰もが手に取れる場所に申請書を備え置く<2>相談の最初に申請書を示す<3>誰でも無条件に申請する権利があること、原則として申請に基づいて開始されること、申請があれば原則14日以内に保護の要否判定をして書面による決定がなされること、などを書いた説明文書を渡したうえで助言・教示する――を求めています。積極的な周知が足りない生活保護制度の広報強化も要請しています。
3のライフライン関係との連携では、電気・ガス・水道のほか、不動産賃貸業者、介護保険事業者、郵便配達、新聞配達、ヤクルト配達、配食業者などとの連携も重要だとしています。
孤立死は、その後も全国各地でしばしば起きています。単身者だけでなく、複数人数の世帯の孤立死が少なくないのも近年の特徴です。生活に困っていた場合でも、福祉行政との接点がなかったケースは大きな問題になりにくいのですが、多数あります。突然の病気で亡くなるのは仕方ない場合があるとしても、生活困窮によって起きる孤立死、自殺、事件などは、社会として防がないといけません。
住民同士のつながりや見守りも大切だけれど、まずは行政職員が人を助ける意識をしっかり持つこと。そして悲劇を防ぐための具体的な手だてを構築することが重要だと思います。
*参考文献 『「餓死・孤立死」の頻発を見よ!』(全国「餓死」「孤立死」問題調査団、あけび書房、2012年)、『また、福祉が人を殺した』(寺久保光良、あけび書房、2012年)、『「福祉」が人を殺すとき』(寺久保光良、あけび書房、1988年)、『なぜ母親は娘を手にかけたのか』(井上英夫・山口一秀・荒井新二編、旬報社、2016年)、「賃金と社会保障」1642号(旬報社、2015年9月)
読売新聞 2016年9月30日