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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

記者の目:鹿沼のてんかん発作死亡事故=吉村周平

2011年10月21日 01時54分30秒 | 障害者の自立
 ◇病気申告できぬ状況も理解を

 被告はてんかん発作による事故を過去5回起こし、医師の再三の忠告にもかかわらず運転を続けていた--。傍聴席で私はあぜんとした。栃木県鹿沼市で小学生6人が死亡したクレーン車事故で自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人被告(26)に対する先月の宇都宮地裁の初公判で、検察側が冒頭陳述で明らかにした内容だ。閉廷後、「悲劇を繰り返さないため」と記者会見を開いた遺族は声を詰まらせ、最高で懲役7年という現行法の厳罰化や、危険運転致死罪の適用拡大を訴えた。

 事故を受け、運転に関して、てんかん患者であることの申告の厳格化(不申告に罰則を設けるなど)を求める声が高まっている。もちろん、再発防止のための議論は必要だが、そもそも、てんかんという病気や患者についての理解は十分だろうか。

 あるてんかん患者を紹介したい。事故直後「患者の置かれた立場を分かってほしい」と連絡してきた滋賀県の男性Aさん(50)だ。発作を起こすと意識を失い卒倒する。幼いころは泡を吹いて倒れる様子から「カニ」とからかわれた。今も毎朝晩、8錠ずつ薬を飲み発作を抑えている。

 18歳で免許を取った。てんかん患者の免許取得は当時認められておらず、持病を隠しての取得だった。公共交通が発達していない地方では自然な成り行きだったという。だが、20歳の時、発作が原因で祖父母を乗せた車で単独事故を起こしてしまう。祖父は頭を負傷。退院前日に脳血栓で亡くなった。親類から「お前が殺した」と責められ、免許は取り上げられた。

 ◇正直に告げ解雇された

 仕事を探したが、免許が無ければ就職が困難な地方では厳しかった。免許再交付を受け、やっと見つけた会社では持病を隠したが、発作は突然起きた。発覚しては解雇され、正直に申告しても解雇され、職を転々とした。今は市営住宅でパートの妻と高1の長男と3人で暮らし、日雇い派遣の仕事をしている。十数年間発作はない。病気を申告せず免許を持ち続け、仕事以外では運転している。

 てんかん患者の免許取得は、患者会の働きかけもあり、02年の道交法改正で可能になった。過去2年以内に発作がなく、今後一定期間は起こす恐れがないという医師の診断などの条件付きだ。

 だが、病気を公にしたてんかん患者は、免許拒否や就職差別に遭う恐れがある。また、てんかん患者は卒倒など重度の発作が年1、2回起きる人でも、「精神障害者保健福祉手帳」で最も軽い3~2級しか取得できない。その直接の恩恵は年50万円程度の所得税などの減免だけだ。

 「正直に言うたら誰か面倒みてくれるんですか? 薬で抑えてはいますが、発作が起きないとは断言できない。そう言うと多くの会社は雇ってくれへんのです」。Aさんは絞り出すように訴えた。てんかん患者は発作時以外は健常者同様に暮らせるので、福祉の網の目からこぼれ落ちているのではないか。

 だから、少なからず持病を隠して免許を所持することになる。てんかん患者は手指のしびれなど軽微な症状の人も含めると国内で60万~130万人とされる。これに対し、病気を申告して免許を取得した人は約1万人だ(07年末、日本てんかん学会推計)。

 警察庁の統計では、てんかんを申告した人の中で、取得を拒否されたり、更新時などに取り消しになる人は1割程度。鹿沼の事故後、各都道府県警は「運転適性相談窓口」でのプライバシー配慮に努めるなど相談しやすい環境作りに着手した。こうした動きは歓迎だが、もう一歩進めて「正直に病気を申告しても不利益を被らない社会を作る必要がある」と、日本てんかん協会栃木県支部の鈴木勇二事務局長(69)は指摘する。

 ◇周囲の理解で働き続けられた
 同協会が指摘するように、持病を申告し、健常者と同様に働いている患者はいる。兵庫県の40代女性は3級の手帳を持ち、障害者雇用制度で事務職として民間企業に勤務する。他企業に一般就職した経験もあり、過労などから勤務中に発作を起こし、会社に持病を知られることになったが、結婚退職まで勤め続けた。「病気をオープンにできるかは、家族や友人の接し方にもよる。幸い、私は嫌な思いをすることはなかった」と言う。彼女は会社側の理解や家族らの支えがあったが、そうした例はまだ限られるのだろう。

 Aさんは鹿沼の事故で犠牲になった児童や遺族を思い、迷った末、批判を覚悟で患者としての身の上話をしてくれた。今回のような悲惨な事故の再発防止につながる道は私たちの足元から始まる。患者が追い詰められている状況にも目を向けていきたい。(宇都宮支局)

毎日新聞 2011年10月21日 0時26分(最終更新 10月21日 0時32分)


姶良市に産直交流拠点 健康の駅 28日オープン

2011年10月21日 01時51分56秒 | 障害者の自立
 健康と癒やしをテーマにした産直交流拠点の健康の駅「フォンタナの丘かもう」が28日、鹿児島県姶良市蒲生町久末にオープンする。同市の建設会社社長山野秀明さん(66)が構想を練り、2008年に運営会社を設立して建てた。宿泊施設も備え、医療セミナーの開催や障害者への割引も企画する方針。20日に竣工(しゅんこう)式があり、関係者に施設が公開された。

 フォンタナはイタリア語で源泉などを意味する。姶良・霧島地域の豊富な温泉や湧き水をイメージした。健康の駅は任意団体「健康の駅推進機構」(東京)が健康増進を目的に認証し、全国で20カ所目、県内3カ所目となる。

 場所は九州自動車道姶良インターから車で約10分の山あいにあり、総面積約7万平方メートル。延べ床面積約2500平方メートルの平屋で木材をふんだんに使用。宿泊施設18室で源泉掛け流しの大浴場があり、屋内には天井までの高さ約10メートルの広々とした空間に有機栽培や低農薬の農産物、枕崎漁港で水揚げされた魚介類を取り扱う直売所やホール、レストランもある。駐車台数は123台。

 九州に患者が多い成人T細胞白血病(ATL)などの原因ウイルスHTLV1のキャリア外来を設ける「やまのクリニック」(同市)や、県内で初めて緩和ケア病棟の認定を受け、乳がん、卵巣がんの遺伝相談外来も設けている「相良病院」(鹿児島市)と連携した疾病の勉強会や医療セミナーなどを開催するほか、障害者への割引、患者団体への無料開放も予定している。

 敷地内にはドッグランや農園、自然散策路も備える。ブルーベリーやかんきつ類の果樹園では収穫体験ができるほか、貸農園も整備している。

 山野社長は「心が大らかになるような落ち着く空間にしたかった。幼い子を持つ若者にも利用してもらい、食の大切さを知ってほしい」と話す。詳細はフォンタナの丘かもう=0995(52)1218。

=2011/10/21付 西日本新聞朝刊=


福祉避難所協定:高知市が民間3施設と 最大670人可能に /高知

2011年10月21日 01時50分04秒 | 障害者の自立
 高知市は19日、近い将来発生するとされる南海地震発生時に、高齢者や障害者らの避難先を確保するため、社会福祉法人3団体と、福祉避難所協定を結んだ。同市が福祉避難所として民間施設と締結するのは初めて。最大で計約670人が避難できるという。

 福祉避難所は、災害発生後、通常の避難所での生活が困難な高齢者や障害者らが健全な避難生活を送られる場所として、各自治体が指定している。同市では06年から福祉避難所の協議を進め、これまでに7カ所の福祉避難所を運営。約560人の避難が可能だった。

 今回、新たに福祉避難所となったのは、高知市仁井田の「海の里」、同市薊野北町2の「泰ダイヤライフ福祉会」、同市長浜の「CIJ福祉会」の3施設。海の里は津波避難ビルにも指定された。今後南海地震が発生した場合、施設の食堂やロビーなどを避難所として使用できるという。

 市障がい福祉課は「要援護者の人数が分かっていない状況の中、できる限り多くの福祉避難所を広げていくことが必要だ」と話している。現在同市内には、老人ホームや障害者作業所など、約120の対象施設があるという。

毎日新聞 2011年10月20日 地方版


タブレットでタッチタイピングができる新技術

2011年10月21日 01時45分01秒 | 障害者の自立
ニューメキシコ州立大学の大学生であるアダム・デュランは、物理的な点字の書類を、Androidタブレット上で読み上げ可能なテキストにする文字認識プログラムを開発するという課題を与えられた。しかしデュラン氏は、指導教官ふたりの力を借りて、課題よりもずっと便利な、タッチスクリーンを使った点字ライターを作り上げた。

デュラン氏は6月からスタンフォード大学で実施された、陸軍高性能コンピューティング研究センター(AHPCRC)による2カ月間のプログラムに参加した。参加者は研究課題を出され、夏の終わりに与えられる栄誉を目指して競争する。過去には航空宇宙科学のモデリングから並列コンピューティングまで、さまざまな課題が出されている。デュラン氏のチームによるプロジェクト『バーチャル点字キーボード』は、2011年の「ベストAndroidアプリケーション」賞を受賞した。

視覚障害者は現在、デスクトップ・ベースのスクリーンリーダーや、コンピューターを使った入力のための点字ディスプレーを搭載した特別設計のノートパソコンを使わなければならない。

デュラン氏は最初、点字で書かれた物理的なページを米Motorola社『Xoom』のようなモバイル機器が内蔵カメラで読み取り、読み上げ可能なテキストに変換するアプリを開発しようとした。しかしこれは難しい課題だった。

「目の見えない人にとっては、印刷されたページの向きを確かめ、点字が書かれているほうをコンピューターに見せるということ自体が難しい。紙に適切な照明があたっていることを確認することも難しい」と、デュラン氏は『Stanford News』のインタヴューで語っている。「さらにこうした技術は、便利であることは確かだが、日常的に使われるアプリとはいえない」

そこでデュラン氏と指導教官は、リーダーではなくライター・アプリを開発することに決めた。

目が見えない人にとっては、平らで凹凸のないタッチスクリーンのバーチャル・キーボードではキーの位置が分からない。そこでデュラン氏らは、キーのほうをユーザーの指先に持ってくることにした。8本の指を画面の上に置くと、バーチャル・キーが各指の下に来るのだ。

デュラン氏らの点字キーボードは、8個のキーで構成される。点字を組むのに使うキーが6個に、改行キーとバックスペース・キーだ。向きが分からなくなったら、手を離してやり直すと、キーボードの配置が再構築される。

このようなキーボードは、ユーザーの指の大きさや間隔を基にして画面上のキーが調整され、ユーザーにあわせて自動的にカスタマイズされる点も実用的だ(筆者としては自分のiOS機器にもこの機能が欲しい!)

デュラン氏は、目隠しをした状態のデモで、電子メールアドレスのほか、複雑な数式や公式を入力して、教育者、学生、研究者のために役立てられるキーボードであることを実証してみせた。視覚障害者が実際に使うところを見る機会もあり、うれしかったという。

このタブレットベースのシステムは、現在の点字タイピングシステムと比べて価格が10分の1だという。また、このアプリは、『Android Market』で公開される可能性があるという。



2011年10月19日ITpro


会いたい・聞かせて:「そらまめ食堂」店長・成田雪子さん /栃木

2011年10月21日 01時42分06秒 | 障害者の自立
 ◇障害関係なく接客--知的障害者たちがスタッフの「そらまめ食堂」(真岡市)店長・成田雪子さん

 益子町の知的障害者共同作業所「手仕事工房そら」が、障害者たちがスタッフとして働くレストラン「そらまめ食堂」を5日にオープンさせた。作業所も4月にオープンしたばかりで手探り状態が続くが、店名としてあやかった、空に向かって伸びていくソラマメ同様、日々成長を続けるスタッフたちの様子や開店の経緯について、店長の成田雪子さんに聞いた。

 --開店の経緯を

 ◆「そら」を立ち上げた当初から、調理師免許を持つ職員が数人いたこともあり、飲食店を開きたいという話はありました。そんな中、「そら」の利用者(作業所で働く障害者)の両親が、経営するそば店を閉めると聞き、「飲食店をやってみては」と提案されたんです。飛びつくような形でした。

 7月に物件を契約し、開店準備に入りました。水道工事以外、すべて「そら」の利用者約20人と職員で手がけたんです。材料を持ち寄ったり、しっくいを塗ったり。自分たちで作ったことで利用者たちに仕事に対する貪欲さが出てきました。本当は9月オープンのはずでしたが、準備をしていくうちに妥協できなくなって今月初めまでかかってしまいました。

 --最も苦労した点は

 ◆店舗づくりも大変でしたが、何よりも飲食業を経験したことのない職員たちが、半年という短期間で開店してしまっていいのかという点ですね。事業として始めているので、利用者たちに給料を払うのもプレッシャーになりましたが、真岡市内で飲食店を経営する知人から「開店して鍛えていけばいい。始める前に悩むのはやめなさい」と言われて。実際に開店してから解決していく問題もあったんです。お客さんから「頑張って」と声をかけてもらうのも、うれしい誤算でした。

 --利用者の仕事内容は

 ◆現在は3人働いています。接客が主な仕事で、料理の配膳やテーブルの掃除などです。普段、益子の作業所で働いているときは陶器の研磨など内職的な仕事をしているので、誰かの指示で動くのが当然だったのですが、店ではお客さんの動きを見て自分から行動しています。お客さんが立ち上がったら、食器を下げに行ったり、テーブルが汚れていればふきに行ったり。障害を持っていようがいまいが関係ないんですよね。

 --店舗の目の前には芳賀赤十字病院があります

 ◆通院される方にはお年寄りも多く、和食で食べやすいのがいいのではと、丼物をメーンにしています。親子丼(500円)は先代の味を受け継いでいますよ。卵もふわふわで、鶏皮を炒めた油も野菜に染み込んでいます。診療が終わって家にまっすぐ帰るのが嫌だなという方も、食堂でおなかを膨らませて暖かくなって帰ってもらえれば。クレープもあるので、近くの県立真岡女子高の生徒にも来てもらいたいですね。

 ◇聞いて一言
 開店準備中は生傷が絶えず、ペンキが目に入り眼科にも飛び込んだという成田さんだが、「楽しかった。いい思い出です」と笑顔で振り返る。インタビュー中、スタッフが客と談笑する姿も強く印象に残った。

 「そらまめ食堂」(真岡市田町2560ー4)は月~金の午前10時~午後4時の営業(土日祝日は休み)。問い合わせは電話0285・82・5550。

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 ■人物略歴

 ◇なりた・ゆきこ
 1963年生まれ、神奈川県厚木市出身。日本福祉大卒業後、85年に茨城県結城市の保育所に勤務し、障害児教育に携わる。98年、益子町社会福祉協議会へ。今年4月にNPO法人「手仕事工房そら」を設立。

毎日新聞 2011年10月20日 地方版