きまぐれストロール

植物、風景などを主として

知多四国めぐり(名鉄・新舞子~大野駅間)

2012年12月24日 16時22分17秒 | Weblog

12月19日晴天、探歩会の例会で知多半島・名鉄常滑線・新舞子駅下車⇒大野町駅間にある「知多四国巡り」

のうち、66番~71番札所までの参拝と、大河ドラマで一躍名を馳せた「お江」ゆかりの地、大野城を散策して

まいりました。

「知多四国巡り」は初めてでしたが、どのお寺も立派なことと、知多半島全体では88ヶ所のお寺と開山所、番外

を含めると98ヶ所、その数の多さにも驚かされました。 かつて、このあたりは海水浴場で賑わった所でありまし

たが、今は、近郊が臨海工業地帯として変貌しています。 なにはともあれ再度、「知多四国巡り」をしたいと思

っています。

順路は 新舞子⇒大智院⇒中の坊⇒大野城(昼食)⇒三光院⇒地蔵寺⇒慈光寺⇒宝蔵寺⇒大野町駅で約

8km強でした。

    

             八社神社                      慈母観音(大智院境内西側)

 

          大樟の根周り(大智院境内西側)              大智院山門(第71番)

 八百比丘尼お手植の大樟、樹齢千年あまり。         真言宗智山派  本尊は聖観世音菩薩

                   

                             弘法大使像 

                

                      城山公園展望台(大野城)

                 「お江」が初めて、大野城主 佐治一成へ嫁ぐ

 

        四代城主・佐治一成氏の歴史                大野城・展望台より伊勢湾が一望できる。

 

 

             地蔵寺太子堂                          地蔵寺本堂(70番)  

                        

       地蔵尊が上がってきた井戸                      延命水掛地蔵尊

  

         本堂横に並んでいる地蔵尊                     宝苑山 慈光寺 

                                                                    宗派  臨済宗    御本尊 厄除聖観世音菩薩

  

             宝蔵寺                         ソテツの花が咲いていた(宝蔵寺)

真言宗智山派、本尊は先手観音。昔は宮山にあり一色

佐治氏の熱心な祈願寺で栄えたが、佐治氏滅亡ととも

に現地に移った。知多新四国六八番札所。火伏せ観音

さんとして火防札、雷除札が有名。

 

 

                  

                          

 

 


藤枝宿ー岡部宿(歴史街道を歩く会)

2012年12月19日 06時52分49秒 | Weblog

12月15日(土)雨、今月の例会で「藤枝宿の成田山新護寺ー岡部宿の大旅籠柏屋」まで行ってまいりました。

生憎のお天気でしたが、全員、元気に最後の「大旅籠柏屋」まで見て歩きました。 今回の宿場では、美濃の国から

遠く離れた岩村藩傍示石(飛領地)、小野小町姿見の橋、大旅籠柏屋など、この間、ひとつ々を見て廻ると、往時の

生活の一端が想い偲ばれ、また、行き交う旅人の姿が目に浮かんできます。 これから先、本年度の1月は総会です

ので、見て歩くのは2~3月を残すのみとなりました。 今後も元気に「歴史街道」を見て歩きたいと思っています。 

 

                 概略行程図 成田山新護寺~田中藩領傍示石(午前中歩いた所)

 

         成田山新護寺                                              鐙ヶ淵と観音堂 

 750年前は照光院という寺院であった。後嵯峨天皇     ここの広場は、元葉梨川の渕でその形が馬具の鐙に

の子宗尊親王が六代将軍となるため、京から鎌倉へ   似ていたので古来より鐙ヶ渕と呼ばれていた。崖上の

上る途中、藤枝宿で御所車の車輪が折れてしまった。  観音堂の御本尊は蛇柳如意輪観世音菩薩といいお腹

修理する間、照光院で休息された。それ以来、寺名を   籠りという珍しいおご尊像で、昔から子宝、安産などに

「左車山休息寺」⇒また、破損した車輪や車軸を裏山に  霊験あり婦人の参詣者が絶えなかったという。 

埋め、そのあとに「左車神社」を建立。その後二度の戦

火で焼失。 明治初年、大本山成田山の御分身を勧請

し現在にいたる。 (説明板による。)                 

 

     須賀神社の楠(県指定 天然記念物)                  鬼島の立場

   樹齢500年、樹高23.7m、目通10.9m

 

            鬼島の1里塚                          田中藩領傍示石     

                             

                     岩村藩領傍示杭(従是東岩村領)

   この杭は江戸時代享保20年「(1735)より明治維新までの135年間横内村が岩村藩領であった

ことを標示した杭を再現したものである。岩村藩は駿河国に15ヶ村5千石の飛領地があり横内村に陣屋

を置いて治政を行っていた。

                 概略行程図     横内橋~大旅籠柏屋(午後歩いた所)

                              

                                 横内橋

    

     横内町内開館及び歴史案内板(左)                    朝比奈川・川会所

 

     岩村藩横内陣屋入口(中央の白い角材)            高札場跡(中央の白い角材)

 

          西了山慈眼寺(曹洞宗)                岩村藩領傍示杭(従是西岩村領)

 

 

          岡部宿・石碑                              岡部宿・松並木

 

           五知如来像                               正應院(日蓮宗)

誓願寺跡にある、五体が二組そろった石仏像。昔、当時

の田中城主だった内藤家がこの五智如来に願をかけた

ところ、口の不自由だった姫が治癒したといういわれが

ある。

 

            高札場跡                         小野小町姿見の橋

                                    晩年に東国へ下る途中この岡部宿に宿泊。この橋の

                                   上で立ち止まり、ふと橋の下の水面に移すと、そこには

                                   長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていた。そして過ぎ

                                   し昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだと

                                   言う。

 

           問屋場跡                              岡部公園

                                    岡部公園内にある本陣跡は整備中ということで見るこ

                                    とができなかった。工事期間:24年9月14日~25年

                                    2月22日まで。

 

      大旅籠柏屋(かしばや)                キャラクターの弥次さん、喜多さんがお出迎え       

      (国指定有形文化財)                 (大旅籠柏屋、玄関口) 

  住まいの随所に創建当時の痕跡がみられます。

 

 1階の八畳通し間は和風庭園をゆっったりと眺める  江戸時代の旅人が持参していたものなど展示されて

 ことができます。(大旅籠柏屋)               いる。 その他当時の旅籠の様子、人々の暮らし振り

                                   など、一目でわかる貴重な資料が展示されていました。

                                   (大旅籠柏屋)


富士五湖巡り(河口湖・本栖湖~朝霧高原)

2012年12月07日 08時26分25秒 | Weblog

11月30日、G-NET(パソコン教室)。恒例の秋の日帰りバス旅行について、全員の意見を集約したところ「新東名

SAおよび富士五湖巡り」に決定しました。 参加者は総勢28名でした。 

「パソコン教室」について、少し説明させていただきます。高齢者を対象にパソコンの学習を通じてふれあいの場所

を提供することで地域住民の親睦を深めることを目的とする。ということですべてボランティアで構成されています。

ということで、日常においても普段通りのお付き合いですので、みんな和気あいあいとしたなか、心から癒されている

様子でした。 

今回のバス旅行での河口湖では、生憎、富士山に薄雲がかかり姿を見ることができませんでした。 また復路の東名

では渋滞に巻き込まれ予定より約2時間ほど遅れる始末。 しかし皆さん、沢山のお土産を手にし元気にご帰宅で

した。

概略行程   小牧東IC-御殿場ICー河口湖ー本栖湖ー朝霧高原ー新富士IC-小牧東IC

 

        浜松SAで小休止                      観光バス内から撮影

 

        観光バス車窓より撮影                         沼津SA

 

       沼津SA内海鮮食堂(昼食)                   沼津SA内のしあわせの鐘

                                          鐘を鳴らして幸せに浸る皆さん

                                

                       富士山の集いモニュウメント(河口湖)

                  モニュメントの側面に記載されている

         富士のつく県別・山名が書かれている。(岐阜県の富士名の付く山)

 

             河口湖の湖面                      河口湖自然生活館前にて

                        本栖湖からの富士山

                     朝霧高原の富士山(車窓より)

                  朝霧高原「道の駅」からの富士山(高台より)

                      道の駅の左方からの富士山

 

 


九州旅行(宮崎・熊本)

2012年12月03日 19時36分23秒 | Weblog

11月25日、九州旅行も、最終日を迎えました。 

あと、予定されている行き先は、「阿蘇五岳の中岳」、「熊本城」そして「水前寺成趣園」を残すのみとなり

ました。 今日も出来る限り、多くのところを巡り見聞きし、頑張りたいと思っています。 

たった、3日間でしたが多くの名所旧跡を巡った成果は大きかったように思います。 このような機会を与

えてくれたことと、同時に案内までしてくれた子供に感謝の気持ちで一杯です。 生涯忘れることのない

「思い出」となりました。 本当にありがとうございました。                

                  ホテル・グリーンピア南阿蘇レストランから阿蘇五岳

 烏帽子岳左端の斜面中ほどの杵島岳(1,321m)、中央部より左側の鋭角部分の烏帽子岳(1,337m)、

      中央部やや右端寄り、こぶ状の中岳(1,506m)、中央部右端寄り1番高い・高岳(1,592m)、

                      右端の根子岳(1,433m)

              

                  中岳へ向かう途中での阿蘇岳の草モミジ

                         阿蘇中岳の噴煙

  中岳第一火口は南北に並んだ火口群の中で最北に位置する火口です。昭和に入ってから第4火口

第2火口の活動もありましたが、1934年(昭和9年)以降は第1火口のみとなって、現在に至っています。

火口は約60℃の鮮やかな緑色をなしています。               

 

         中岳避難場所                       アグルチネート(中岳火口園地)

                                    噴火の際に高温のスコリア(マグマの破片が発泡して

                                    黒っぽい軽石状になったもの)が火口周辺に急速に

                                    堆積し、くっつきあってできた岩石をいいます。

 

            黒牛の放牧                              草千里

                   

                              阿蘇の山々 

  

             熊本城                                石垣 

 二の丸広場から・左から小天守閣・宇土櫓・大天守閣        西大手櫓門から戌亥櫓にかけて                       

 

          西大手櫓門                              頬当御門

 

          五郎首掛石                             宇土櫓(国指定重文)

 横手五郎の父は天正18年(1589)天草一揆の       創建当時から残る唯一の多層櫓である。地上五階地下

とき加藤清正に一騎打ちをいどみ武運つたなく戦死   1階、他の城郭では優に天守に匹敵する。往時の熊本

した。父の仇を討とうとして、築城人夫として働いて   城にはこのような櫓が林立し、まさに難攻不落の巨大

いた。 ところが素性がばれ井戸掘りをしている時    要塞であった。

生き埋めにされたという。 この石の重さは1,800

kgであるが、築城当時に五郎が首にかけて運んだ

ものと伝えられる。  

                                    

                     

                              大銀杏 

ここは築城当時本丸御殿の庭があった場所で、清正が築城を記念してお手植えになったと伝えられる。

清正が亡くなる時、この樹が天守閣と同じ高さになった時、何か異変が起こるだろうと予言し、それは奇し

くも、明治10年の西南戦争のときであったと言われています。   

                            大天守閣&小天守閣

天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争開戦3日前に原因不明の出火で焼失した。現在の天守閣は35年に

復元したものである。 天守は高さ約30m、小天守は約19mである。内部には加藤家、細川家。西南戦争

の資料が展示されている。

 

      大天守閣から小天守閣を望む                大天守閣から宇土櫓を見る

                           二様の石垣

右側の石垣は熊本城の中でも古い年代物で、傾斜が緩やかである。左の石垣はそれと比して急であり

少し年代が下がってから継ぎ足されたことがわかる。 おなじような石垣の年代差は大小天守閣の石垣

にも見ることができる。

                      出水神社神苑 ・水前寺成趣園

                    桃山様式の優美な回遊式庭園

               東海道五十三次を模したといわれる趣のある風情

                       出水神社方面を望む

                        羽を休めている、ユリカモメ

 

           出水神社拝殿                      長寿の水&袈裟紋の水磐

細川家歴代の藩主を祀り、明治11年創建され、生活   細川忠利公がこの地に御茶屋を設けた意図は清冽

の守護神として御神徳を仰ぐ人々の参拝で終日賑い   な湧水が茶の湯に最適であったからと思われます。

をみせています。                          この水は「百薬の長」として多くの人々に親しまれて

                                     います。

                橋を渡ると、なだらかな小山(富士山を模した)

                なだらかな小山を背景にした松

               細川藤忠利銅像(向って左)&細川藤孝公銅像(向って右)

細川家三代忠利公(1586~1641)は加藤家の後を受け寛永9年(1632)に小倉より熊本城に入城され

当苑の創設者でもあります。 細川家初代藤孝公(1534~1610)は足利幕府の管領の流れを汲む武人

でありながら、和歌・茶道・能楽などにも堪能で文武両道の文化人でもあります。

 

        水前寺成趣苑の紅葉                         古今伝授の間

                                    後陽成天皇の弟君(八条宮智仁親王)に細川藤孝公

                                    が「古今和歌集」の奥義を伝授された建物、大正元年

                                    にこの地に移築された。

 

        古今伝授の間                                JR熊本駅

 

 


九州旅行(宮崎・熊本)

2012年12月02日 08時51分35秒 | Weblog

24日、旅も2日目を迎えました。 心配されたお天気も曇り空で一時ぱらついた程度で、まず々の

天気でした。 国見の丘、高千穂峡、天岩戸神社、天安河原宮など々「高千穂の神話史跡めぐり」と

言ったところでしたが、どこも心を揺さぶる名所であり、その魅力に癒されての充実した1日でした。

     概略行程  ホテル四季見ー国見の丘ー高千穂峡ー天岩戸神社ー天安河原宮ー阿蘇神社

             -ホテルグリーンピア南阿蘇(泊)

                

                        国見の丘(標高513m)                    

  雲海と阿蘇涅槃像、神武天皇の御孫・建磐龍命が国見されたという伝説の丘。秋の快晴、雲海が高千穂

  盆地を覆う。見頃は日の出前後、ここから眺める阿蘇五岳はお釈迦様が横たわった姿に似ていることから

  別名(阿蘇の涅槃像」と呼ばれている。 

    

                国見の丘にある像(像の下に説明文、日向風土記逸文と刻まれている。)

  地上界があまり乱れているので高天原の天照大神は大変心配され孫に当たるニニギノミコトに地上界

  に降りて国を治めるように命じました。 多くの神々を従え、ニニギノミコトは日向の高千穂の二上峰に

  到着されました。 しかし霧が深く夜や昼の区別もつかず、困っている時、この地に住むオオクワ、コクワ

  という2人があらわれて、尊が手に持たれている稲千穂を籾にして、あたりにまかれるとこの霧は晴れる

  でしょうと進言しました。 尊がその通りにすると霧が晴れ、無事、地上界に降りることができました。 

  それで、この地は地鋪(高千穂)と言われるようになったそうです。この神話は日向風土記に書かれていた

  物語です。現在日向風土記は残っていませんが万葉集注釈(1269)釈日本紀(1274)という書物に引用

  されており、これを風土記逸文と呼んでいます。     

 

        国見の丘からの日の出                    国見の丘からの日の出

  日の出時間、6時55分を過ぎても日の出はなく    殆どの人達は日の出を見ずに帰ってしまう。

  大勢の人達は諦めて早々に帰る。            誰かがアッと叫んだ。 7時44分に雲間にわずかな

                                    光、雲間に見る見るうちに登る朝日

                 

                           国見の丘からの日の出

                         7時45分には、真んまるく日の出

 

          四季見の朝食                                献立

                                      オーナーいわく日本一の朝食とのこと ?

                                   確かに、言われたように1品ごとに手の込んだ品々でした。

                

                            高千穂峡の紅葉 

                        高千穂峡の真名井の滝

                 この滝の上にある歩道橋から身体をのり出して

           

                        歩道橋から身体を乗り出して

 

            おのころ島                        ボートから歩道橋を望む

 高千穂神社の春祭りでは御神幸の御神輿がこの池

を3回まわってみそぎされます。

            

                             ボート上からの撮影

                

                         天岩戸神社の鳥居

                           天岩戸神社

 天照大神が御隠れになった天岩屋を御神体とする西本宮と大神をお祭りする東本宮があります。

 岩戸川をこえた対岸には洞窟「天岩戸」があります。

 

                    天安河原へ向うパワースポット

             

                   天安河原付近のパワースポット   

                            天安河原宮 

岩戸開きのご神議が開かれたという天安河原。間口30m・奥行き25mの洞窟内には、奥の祠に向かって

祈願の石積みが続いています。

                         阿蘇神社楼門

この楼門は天保14年(1843)から嘉永2年(1849)にかけて建立。 欅材を用い三間一戸、二重門

正面唐破風付、銅版葺です。 「日本三大楼門」の一つと言われています。

                            阿蘇神社拝殿

主祭神 建磐龍命(たけいわたつのみこと)始め男神十二神を祀る。

 

       縁結びの松&高砂の松                          願かけ石                       

 女性右より2回まわる。   男性左より2回まわる。 

      謡曲で有名な「高砂の松」 

 

        阿蘇神社門前町商店街                    門前町商店街の一つ

  宮地湧水群ということで至る所で水が湧き出ており

 この町造りに取り入れられており情緒たっぷりな風情

 ある町でした。

                    

                            ホテルグリーンピア南阿蘇(泊)