きまぐれストロール

植物、風景などを主として

サッタ峠から由比宿(東海道)

2013年05月30日 06時56分05秒 | Weblog

5月25日晴、「歴史街道を歩く会」の例会は、4月~5月にかけての大連休の混雑を避けた影響で、5月の例会は

月2回の例会となりました。 今回は行き先が東海道「薩埵峠から由比宿」ということもあり、当初から会員の皆さん

は期待しながらの参加となりました。 現地に着くまでのバスの中で、特に、薩埵峠から眺められる「富士山」 及び

由比宿の広重美術館の「版画」などの話題で持切となりました。 途中、富士山が見える、いや見えないなど。

到着後、① 薩埵峠の展望台からの富士山、駿河湾、それと前面の幹線道路など美しい景観に魅せられました。

      ② 由比宿においては到着するやいなや本陣公園内・広重美術館に入館する人、また、宿場内散策など。

限られた時間内では、どの宿場においても、主要な場所だけにしか行くことができず、まだ々見所が多いのが実情

です。

 

       薩埵峠官道中道(興津東町)                         海岸寺

   ここから薩埵峠⇒由比宿へ向ってスタート               階段の入口に祀られている。 

                      

                                   海岸寺                               

                         本堂の波除如来を中心に、左右百体観世音が

                                  祀られている。

                             現地の説明板   

                       薩埵峠ハイキングコース

               

                       薩埵峠ハイキングコース入口

                             薩埵峠の歴史

                              薩埵山の合戦

 

              薩埵峠                             説明板の内容  

                                

            白花ツユクサ                      白花ツユクサだと思います

     薩埵峠の街道沿いに、あちらこちらに 

                           薩埵峠から富士山方向

        この時期、富士山の麓から中腹まで雲がかかり、中腹から頂上までは霞がかかっています。

        肉眼ではかすかに確認できますが、カメラでは稜線がぼやけ、雪渓がわずかに見えるほどでした。

        (前方の1番高い山の上にうっすらと雪渓が見えるでしょうか)

                          薩埵峠展望台の説明板

 

         薩埵峠からみた海岸べり                  袋をかぶせた ビワが街道沿いに

                 

                           甘夏が街道沿いに

  

         西倉沢一里塚跡                              望嶽亭・藤屋

西倉沢から薩埵峠道へかかる入口は坂道になっており 本来は藤屋と称して茶屋を営んでいた。ここより富士山

一里塚がある。 江戸から40番目にあたる。        の眺望がよいので望嶽亭と称し文人が好んで休憩した。                                    

 

          間の宿・脇本陣柏屋                       間の宿・本陣跡

                                     間の宿には10軒ばかりの休み茶屋があって旅人は

                                    ここで疲れをいやした。西倉沢村名主を勤めていた

                                    川島家は、間の宿の貫黙目役所の中心をなし、大名も

                                    ここで休憩したので、村では本陣と呼ばれていた。

 

             八坂神社                           東海道あかりの博物館

           急勾配の階段

 

           寺尾の旧家(小池邸)                      JR由比駅

江戸時代に名主をつとめたという小池家の母屋は

明治時代の建築と思われるが達の低い平屋は海から

の強風を恐れたことを窺がわせる。

 

            正雪紺屋                                  由比宿交流館

慶安の変(1651)の風雲児、由比正雪の生家といわ   現在、東海道広重美術館、御幸亭及び由比宿交流館

れる。現在は紺屋を継いで、18代目の吉岡家。      などが併設される由比本陣公園となっています。

                                     由比宿交流館は、カルチャ-、観光、レストの3つの

                                     エリアから成り立っています。

 

  

           由比本陣公園                            東海道広重美術館 

正面、馬の飲み水場、物見櫓など復元。本陣の離れ館   本陣の土蔵跡には、広重美術館があり、歌川広重の

を再現した「御幸亭」の茶室では、抹茶を賞味できる。    作品を中心とした800余点のはんがのほか、江戸時

 (中央の奥より、やや右側に見えるのが御幸亭)       代の由比の資料が展示されている。

 

         おもしろ宿場館                              脇本陣跡(羽根ノ屋)

 

          明治の郵便局(中央)                     脇本陣饂飩屋(うんどんや)

明治時代の通信機関であった飛脚屋は明治四年、郵  由比宿には脇本陣は3軒ありました。そのうち江戸時代

便制度の創設により由比郵便取扱所、さらに明治8年  後期から幕末まで勤めたのが、この饂飩屋です。

郵便局となりました。現在は私宅となってます。

 

            御七里役所跡                            東桝型跡

大名の中には、江戸の屋敷と領国の居城との連絡に  由比宿も東西の出入り口は枡形に折れており、現在も

直属の通信機関(7里飛脚)を持っていました。 この  その面影が残されています。

役所跡は紀州徳川家のもので、江戸~ 和歌山間に

7里毎の宿場に中継ぎ役所を置き、御七里役と5人1組

の飛脚を配置していました。

 

            志田邸                             和紙と錦織の館

     昔の商家、屋号「こめや」    

 


長沼1里塚~江尻宿稲荷神社まで(東海道)

2013年05月27日 07時57分49秒 | Weblog

5月11日雨、恒例の「歴史街道を歩く会」で、東海道・長沼一里塚(清水市))~江尻宿の稲荷神社」まで、終日雨の中を

歩いてきました。 

①今回は、本来、各月の4週目の土曜日に計画されていましたが、急遽、予定変更し、4~5月にかけての大蓮休の関係

で混雑を避け、1ケ月遅れの2週目にあたる5月11日となりました。

②それと今回は「長沼1里塚から江尻宿の中ほどにある稲荷神社」間を歩きましたが、1つ1つの遺跡を確認しながら

歩行となりました。 午前中は草薙神社の由緒、御神木など、午後からは、初めてですが「船高札」の説明したボードを

見つけたことなどあげられます。 ひっきりなしに降る雨、うっかりすると見過ごしてしまいそうな所に掲示されていました。

【午前】

                 東海道長沼1里塚から草薙神社まで(午前中歩いた順路)

 

            長沼1里塚阯                           久應寺庚申塔

                                           右方向後部が久應寺・本堂

                 

                            旧東海道記念碑

                 東海道は昔このあたりを通り、西は古庄へ東は国吉田へと通じて

                 いた。 これは主要街道の1つでした。

                                    草薙神社由緒

  

                       草薙神社境内

  

                          御神木

     樹齢1,000年余の大楠は樹心は朽ちて外皮を残すのみとなっていますが、今、なお

     枝葉は繁茂し神木の威厳を保っています。

【午後】

 

                  東海道・草薙1里塚から江尻宿・稲荷神社まで(午後歩いた順路)

 

          草薙1里塚                            上原鎮守十七夜宮

草薙1里塚は江戸より43里のところで、43番目の    昔から上原産土神として土地を守り上原に住む人達の

塚です。                                あらゆる難を取り除き家族の幸せを守るとして村人の

                                     信仰を集めてきた。

 

       上原延命子安地蔵尊                        久能寺観音道

古来世の人々の長寿、安産、子育、安全の守護として   この道標は安永7年(1778)妙恩寺村の若者の

近隣の守護として信仰を集めてきました。           寄進により建立したものである。 この平川地から

このあたり鎌倉時代以前から地蔵原と呼ばれており    有東坂・今泉・船越・矢部・妙恩寺・久能寺に至る

地蔵堂はさらに古い年代の創建とされる。          有度山麓を通る道のことである。

天正10年(1582)、徳川家康は武田勝頼攻略に際

し江尻の城主穴山梅雪とここで会見し、梅雪は家康

の軍門に下ったという。

 

         大澤川改修之碑&金谷橋                   都田一家諸精霊供養碑

 巴川の支流である大澤川に架かる金谷橋である    文久元年(1861)正月15日清水次郎長は子分の

江戸時代は土橋であり、重い荷物を運搬する牛馬は  森の石松の恨みを果たすために遠州都田の吉兵衛

この橋を渡れず、橋横の土手を下り、川を渡って反対 (通称都鳥)ここ追分で討った。吉兵衛の菩提を弔う

側の土手に上り街道に合流していた。 その道を    人も稀なのを憐れみ里人が供養塔を最期の地に建立

牛道と言っていた。                       した。

 

       追分ようかんの老舗                          江尻宿木戸跡

その店の角の十字路には「是より志三(しみ)づ道」と

彫られた古い道標。 昔江戸方面へ旅する人が清水

港へ抜ける場合は、この道を右折すれば近道出で

あった。

 

            慈恩寺                            稚児橋&船高札

                                    巴川に架かるこの橋は江尻宿に因み江尻橋と命名される

                                    予定でした。しかし渡り初めに選ばれていた老夫婦が橋に

                                    足をかけようとした瞬間、川の中から一人の童子が現れ

                                    胸脚を登り入江方面へ消えていった。このことから橋名を

                                    童子変じて稚児橋と名付けられたといわれている。 なお

                                                                 その不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継が

                                    れている。

    

                           船高札の看板

                       船の高札は初めて見ました。

 

             稲荷神社                        日本サッカー発祥の碑

 ここが江尻城(小柴城)の本丸があったところである。 稲荷神社境内には日本サッカー発祥の記念碑がある。

      

 


月見の森(岐阜県海津市)

2013年05月18日 08時38分29秒 | Weblog

5月15日晴天、恒例の探歩会で海津市南濃町にある「月見の森」へ行ってまいりました。 海津市は三重・愛知

の3県の県境に位置する、木曽三川を抱えた自然豊かな町です。 大河ドラマ「八重の桜」にも登場する会津9代

藩主松平容保(かたもり)の出身地(美濃高須藩)でもある海津の歴史ロマンを感じつつ、名所を回ってみませんか。

 なお、海津市・歴史民俗資料館については、一見に値すると思われました。

 

   「月見の森」案内板を見る探歩会・会員                探歩会・会員の散策の様子 

 

         向こうに見える山の灯台               白色の花房をつけているニセアカシア

    今でも、土曜日には点灯されるとのこと。

 

      豊かな自然の中を歩く会員たち                    月見広場への階段

 

           月見広場                            月見広場からの眺望

この場では、中秋の名月にはイベントが実施される    眼下に濃尾平野が一望、中央部を流れる揖斐川

とのこと。

 

        月見の広場で小休止                      水晶の湯(南濃町羽沢)

                                         泉質:ナトリウム、カルシウム塩化物泉

                                             (中性高張性低温泉) 

 

     コース途中にある薬草園                   桐の花が紫色に咲いている、見ごろ 

 

        ウツギの花も見ごろ                       道の駅月見の里(南濃町羽沢)

                                     飲食店、農産物、特産品直売所、温泉施設(足湯)

                                     等があり、旅の疲れをリフレッシュできます。

 

   海津市歴史民俗資料館(海津町萱野)                海津市歴史民俗資料館全景

「輪中」「低地の農業」高須藩」を主要テーマに海津市   高須輪中の長良川右岸堤の高さは約9m。資料館の

の歴史や文化を紹介する資料館です。            石垣は長良川右岸堤とほぼ同じ高さなので、堤防の

                                     高さを実感でき、堀田から見上げると「低地」「輪中」を

                                     理解するのに役立ちます。

                    

                                   堀田

                   館の前には、輪中低湿地の米の生産を高めるための

                   手段であった堀田が小さいながらも復元してある。

       

             輪中の成り立ち(展示物)                       堤防断面図(展示物)

                     

                                  水屋(展示物)

                     石垣の上に建てられた母屋や、屋敷内に更に高く

                     造られた水屋

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


牧歌の里(中日写協・撮影会)

2013年05月13日 07時13分49秒 | Weblog

5月12日、雲一点もない好天に恵まれた日、昨日の朝刊の記事で、『牧歌の里では12日午前10時半~午後2時半

中日フォトメイツの4人が参加する写真撮影会「牧歌の里を写す会」が開催される。』のを知っていました。 そこで「中日

写協」会員である友人から誘われ、郡上市高鷲町にある「牧歌の里」へ出掛けてまいりました。 昨年も同様な恩恵に

よくしました。 大勢の参加者があり、撮影会は2組に分かれての活動となりました。 それでも好位置から撮影することは

困難でした。 なお、約1時間ほど早く到着したので、園内を一巡りしました。 その後、撮影会に参加させていただきました。 

                          ありがとうございました。!!

    チューリップは見ごろを迎え、背景には雲がかかっていない白山を撮影することが

    できました。

               教会を背景にチューリップを撮影

              クッキリした稜線の白山を撮影することができました。

                 どこまでもチューりップが続く

                     芝桜も見ごろ

                    少しチューリップをUPに 

                    いろいろなチューリップ

                  フォトメイツのお二人、白山を背景に

                      背景を変えて

                     リラックスムードで

                       園内の風景(1)

                      園内の風景(2)

 


尾張津島・藤まつり

2013年05月02日 08時28分52秒 | Weblog

5月1日晴天、探歩会の例会で、名鉄・新鵜沼駅乗車⇒津島駅下車にて、天王川公園の「藤まつり」に行ってまいりました。

概略行程:(往路)津島駅⇒寶泉寺⇒津島市観光交流センター⇒加藤清正公ゆかりの社⇒津島神社⇒天王川公園

       (復路)天王川公園⇒ヨネ・ノグチの生家⇒十王堂⇒名鉄・津島駅

 ☆☆尾張津島の4大まつり

  <春>藤まつり(4月下旬~5月上旬)

  <夏>天王祭(7月第4土曜日・日曜日) 500有余年の継続、日本3大川まつりの一つ。 祭は数カ月に渡って

      様々な行事、儀式、神事が行われる。 津島神社奉納  国重要無形文化財

  <秋>秋まつり10月第1土曜日・日曜日) 約300年前から始まったといわれる豪華絢爛な山車の競演。

      津島神社奉納(山車からくり、石採祭車、武道大会、七福神踊)

  <冬>開扉(おみと)まつり(旧暦2月1日) 火祭りで約700年以上も続いている。 津島神社奉納  

今回は藤まつりを目標にしてまいりましたが、長い藤棚のあるところは、まだ見ごろとは言えず、藤の房の先端部分は

開いておらず、今週の週末ころが身頃になるのかと思われました。 

中之島の橋を渡ったところにある藤棚は、房自体が例年に比べて 少なかったようでした。 

  。

           名鉄津島駅                           寶泉寺(浄土宗・西山禅林寺派)

  

          津島市観光交流センター                    加藤清正ゆかりの社

       津島市のまつりに関するビデオ観賞       加藤清正の幼少時、上河原の叔父の家にいた頃があった。

                

                           津島神社・御神木の大イチョウ

                          樹齢およそ400年と言われている。

  

         津島神社大鳥居                              津島神社楼門

                                    この楼門は天正19年(1591)豊臣秀吉が寄付したものと

                                     言われています。

                   

                              津島神社拝殿

 

                        津島神社・拝殿、弊殿及び本殿

 建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命(大国主)を相殿に祀る。当社は東海地方を中心に全国に約3千社ある

 津島神社・天王社の総社であり、その信仰を津島信仰と言われている。

 遅い 

           天王川公園・中心部                     中之島にあるヨネ・ノグチの像

                                        津島の生んだ国際的詩人(1874~1947)

 

             藤棚(総棚面積…(5,034平方、長さ…275m、幅…12~30m)

 

                          藤棚の1部分

 

                     藤棚の幅方向に見たところ

 

                      藤棚の外から見た1部分

  

          ヨネ・ノグチの生家                          十王堂