2月23日(土)晴天、「歴史街道を歩く会」・恒例の例会で東海道の「宇津ノ谷峠から丸子宿」まで行って
まいりました。東海道の中で最も小さな宿場でしたが、かっては、宇津ノ谷峠がある交通の要所として栄えていた。
今でも、その風情は宇津ノ谷峠越えと満観峰からの街並みは往時を彷彿とさせられるものがありました。
丁度この日、2月23日~24日は「丸子宿場まつり」とのことを地元の方から教えていただきました。
23日は「宵祭り」で、そのイベント内容は、灯籠と提灯の明かりの中を狐に扮した嫁入り道中を繰り広げる。
とのこと。19:00~21:00。24日は本祭りで9:00~14:30とのことでしたが、残念ながら、その場を去ること
としました。
宇津ノ谷峠概略図
宇津ノ谷峠・今や昔のゆめ街道
「旧東海道」と「つたの細道」の分岐点にありました。 坂下地蔵堂
本尊は聖徳太子の作と伝えられてる延命地蔵で「鼻取
地蔵」の伝説で名高い。境内の鐘楼には、元禄15年
卍山銘の鐘がある。
坂下地蔵堂の横側に並んでいる地蔵様 蘿径記碑
駿府代官であった羽倉簡堂が宇津谷の古道(つたの
細道)を愛し、その消滅を惜しんで文政13年宇津谷の
入口に建てたものです。
東海道宇津ノ谷峠 髭題目碑
丸子宿と岡部宿の間にある峠です。中世の道である 碑の正面に「南無妙法蓮華経」の題目が筆端を髭の
つたの細道、近世の道として東海道、現代では明治 ようにはねて書く書体で刻まれている。
の道、大正、昭和、平成の其々のルートやトンネルが
残り道の博物館のような場所です。
明治トンネル 旧東海道・宇津ノ谷峠越え「国指定史跡)
2年の歳月をかけて明治9年(1876)に開通した手彫
りの有料トンネルです。ガス灯の失火で通行不能となる
明治36年(1903)、県の事業で、煉瓦造りのトンネル
として修復されています。
宇津ノ谷集落 宇津ノ谷集落の中ほどにある御羽織屋
満観峰から少し下ったところからの町並み 豊臣秀吉が小田原城を攻めるときに、この家に立ち寄った
主人の石川忠座衛門のとんちに喜び、戦いに勝利した
帰途、再び立ち寄り、褒美として鎧の上に着る羽織を
与えた。(静岡市文化財)
屋内には豊臣秀吉公より、拝領の品、羽織 慶龍寺
が展示されている。 旅人が災難に遭わないように延命地蔵が安置されて
います。室町時代から、魔よけの「十団子」が伝わり
8月の縁日に魔よけとして販売されています。
右側が「つたの細道」入口(国定史跡指定) 江戸時代の名残りの松
丸子地区に残る、当時の面影を残す松3本のうち
の1本です
丸子宿概略図
長源寺の庭園 高札場&丸子宿(大阪・京方)見付
丁字屋 お七里役所碑
慶長元年(1596)創業、広重が描いた丸子宿の名物 西国の大名の中には江戸屋敷と領国の居城との連絡に
とろろ汁の店です。 7里飛脚を持っていました。この役所跡は紀州徳川家の
もので、とうじ、江戸‐和歌山間584kmに約7里(28km)
毎の宿場に中継ぎ役所を置き主役と5人1組のの飛脚を
配置していました。
明治天皇小休所阯・丸子宿脇本陣跡 丸子宿江戸方見付跡
丸子一里塚跡