12月15日(土)雨、今月の例会で「藤枝宿の成田山新護寺ー岡部宿の大旅籠柏屋」まで行ってまいりました。
生憎のお天気でしたが、全員、元気に最後の「大旅籠柏屋」まで見て歩きました。 今回の宿場では、美濃の国から
遠く離れた岩村藩傍示石(飛領地)、小野小町姿見の橋、大旅籠柏屋など、この間、ひとつ々を見て廻ると、往時の
生活の一端が想い偲ばれ、また、行き交う旅人の姿が目に浮かんできます。 これから先、本年度の1月は総会です
ので、見て歩くのは2~3月を残すのみとなりました。 今後も元気に「歴史街道」を見て歩きたいと思っています。
概略行程図 成田山新護寺~田中藩領傍示石(午前中歩いた所)
成田山新護寺 鐙ヶ淵と観音堂
750年前は照光院という寺院であった。後嵯峨天皇 ここの広場は、元葉梨川の渕でその形が馬具の鐙に
の子宗尊親王が六代将軍となるため、京から鎌倉へ 似ていたので古来より鐙ヶ渕と呼ばれていた。崖上の
上る途中、藤枝宿で御所車の車輪が折れてしまった。 観音堂の御本尊は蛇柳如意輪観世音菩薩といいお腹
修理する間、照光院で休息された。それ以来、寺名を 籠りという珍しいおご尊像で、昔から子宝、安産などに
「左車山休息寺」⇒また、破損した車輪や車軸を裏山に 霊験あり婦人の参詣者が絶えなかったという。
埋め、そのあとに「左車神社」を建立。その後二度の戦
火で焼失。 明治初年、大本山成田山の御分身を勧請
し現在にいたる。 (説明板による。)
須賀神社の楠(県指定 天然記念物) 鬼島の立場
樹齢500年、樹高23.7m、目通10.9m
鬼島の1里塚 田中藩領傍示石
岩村藩領傍示杭(従是東岩村領)
この杭は江戸時代享保20年「(1735)より明治維新までの135年間横内村が岩村藩領であった
ことを標示した杭を再現したものである。岩村藩は駿河国に15ヶ村5千石の飛領地があり横内村に陣屋
を置いて治政を行っていた。
概略行程図 横内橋~大旅籠柏屋(午後歩いた所)
横内橋
横内町内開館及び歴史案内板(左) 朝比奈川・川会所
岩村藩横内陣屋入口(中央の白い角材) 高札場跡(中央の白い角材)
西了山慈眼寺(曹洞宗) 岩村藩領傍示杭(従是西岩村領)
岡部宿・石碑 岡部宿・松並木
五知如来像 正應院(日蓮宗)
誓願寺跡にある、五体が二組そろった石仏像。昔、当時
の田中城主だった内藤家がこの五智如来に願をかけた
ところ、口の不自由だった姫が治癒したといういわれが
ある。
高札場跡 小野小町姿見の橋
晩年に東国へ下る途中この岡部宿に宿泊。この橋の
上で立ち止まり、ふと橋の下の水面に移すと、そこには
長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていた。そして過ぎ
し昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだと
言う。
問屋場跡 岡部公園
岡部公園内にある本陣跡は整備中ということで見るこ
とができなかった。工事期間:24年9月14日~25年
2月22日まで。
大旅籠柏屋(かしばや) キャラクターの弥次さん、喜多さんがお出迎え
(国指定有形文化財) (大旅籠柏屋、玄関口)
住まいの随所に創建当時の痕跡がみられます。
1階の八畳通し間は和風庭園をゆっったりと眺める 江戸時代の旅人が持参していたものなど展示されて
ことができます。(大旅籠柏屋) いる。 その他当時の旅籠の様子、人々の暮らし振り
など、一目でわかる貴重な資料が展示されていました。
(大旅籠柏屋)