きまぐれストロール

植物、風景などを主として

陶の里・市の倉(オリベストリート)散策

2011年06月20日 07時55分43秒 | Weblog

6月15日晴天、恒例の探歩会で「美濃磁器発祥の地・陶の里市之倉」 (岐阜県多治見市)を散策。

市之倉・オリベストリート付近には窯元・製陶所などが50有余、その中でも窯元(見学可または販売有)

が20程あります。 これらの陶の里を自由に散策できます。  どの窯元を見学しても、それぞれ得意とする

分野があり様々でした。

代表的な織部焼、志乃焼、黄瀬戸などの製品をとってみても、形状、デザイン、色彩 など窯元により相異し

興味は尽きることはありませんでした。

さらに、時代の流れによる変遷、窯、土、釉薬など考えると陶の里の奥深さを肌で感じられました。

また、毎年4月第2土日には、窯元たちによって陶祖祭(陶器市)が、10月第1土日には陶の里フェス

ティバル(陶器市)がおこなわれ、多くの陶器ファンで賑わうとのこと。 

是非一度陶器市の賑わいをみたいものだと強く感じました。

 

 

美濃焼の基礎をつくった中興の祖、加藤常政の業績   オリベストリートの家並みの外壁面にこのような皿、受皿

を讃えて大正6年(1917)4月に秋葉山中腹に碑を    などが、飾られていた。

建立。 毎年4月に陶祖祭が盛大に行われます。 

 

 

玉山窯の織部焼製品の陳列棚。 窯元の御当主、玉置   広千窯の石垣:明治、大正、昭和の市之倉焼・登り窯

保夫は岐阜県重要無形文化財保持者です。歴史に培   で焼かれた染付の皿、茶碗などが石垣に埋め込まれて 

われた秘伝が四代に継なぎ、その伝統が創り出されて   いる。

います。

 

広千窯:ご当主のご厚意によりロクロを回しながらの   八幡神社の陶天井:地元窯元・美濃を代表する陶芸家

実演を見せていただきました。                 の方々による陶板の絵付け80枚の力作が休憩所の

                                     天井に張り付けられています。 (平成19年10月完成)

  

 織部ストリートの道路わきの一隅に飾られている。    さかずき美術館展示室:明治から昭和にかけて作ら

                                     れた市之倉の薄く精緻な染付盃をはじめ記念盃など

                                     展示されています。 

 

                         

                            幸兵衛窯本館前

               現当主である七代加藤幸兵衛は、独自の現代的な作風をはじめ、

               桃山陶やペルシア陶器といった幅広い作風を展開し活躍しています。

               そして七代幸兵衛の指導のもと、三十余名の熟練職人を擁し、

               品格ある和食器の制作を志しております。

               ☆☆☆6代目加藤卓男(1917~2005)は人間国宝に認定。

 

      幸兵衛窯の展示販売品の陳列棚          美濃系単室半地上式穴窯:桃山時代の頃まで盛んに

                                      つかわれた。 「登り窯」以前の形式の窯です。 赤松

                                      を燃料に約4昼夜焼成します。 今でも年に1~2回

                                      使用している。

         

         幸兵衛窯の煙突                       幸兵衛窯の外観

 

         幸兵衛窯の外観の一部                  幸兵衛窯の外観の一部

          


歴史街道を歩く(新町宿から深谷宿)

2011年06月16日 08時34分05秒 | Weblog

5月21日晴、今日が 2泊3日の最終日となりました。  まず、3日とも晴天に恵まれたことに「感謝」。

どの宿場町においても見所は数知れず多くありました。  時間の制約上、 あらかじめ計画した行程を通り過ぎる

ことで精一杯でした。  深谷宿の東・常夜燈が最後になりましたが、宿場町を去ったのは丁度15時頃でした。 

楽しい「思い出深い旅」でした。

とにもかくも、最大限の省エネで右往左往したところをできる限り、列挙させていただきました。

 

 

道標:倉賀野宿東、下の木戸をでると日光例弊使街道に分れる。 そこには道標、常夜燈がある。

道標には左日光街道、右江戸道とある。 ここから例弊使街道が始まる。 江戸時代日光東照宮には毎年4月に

朝廷からの使いが派遣されていた。 これを日光例弊使という。  右側の写真は後方にある閻魔堂です。

 

岩鼻代官所・岩鼻県庁跡:寛政5年(1793)徳川幕府により、この地に代官所が設置された。江戸の北辺りの守り

の中心となる。慶応4年(1868)岩鼻代官所崩壊。 旧代官所跡が県庁になる。 明治4年岩鼻県は廃止され

群馬県が成立した。   右側は小林本陣跡です。 木の柱に本陣跡と記載されているのみです。

 

新町宿・明治天皇行在所跡                      新町宿・高札場跡 

 

諏訪神社:新町の前進、苗木村の鎮守として、本屋敷   見通灯篭:上武2州の国境を流れる神流川は荒れ川で

に祀られていたが宝永5年(1708)に現在地に移る。   夜道の旅人の難儀を見、両岸に灯篭を立て通行の安全

                                      を祈願し建立。

 

  神流川古戦場跡:天正10年(1582)織田信長が     陽雲寺:曹洞宗のお寺である。 鎌倉時代初期の元久

本能寺に倒れた直後、関東管領滝川一益は信長の仇     2年(1205)の建立。

を討たんと京へ志し、これに対し好機来りと 北条氏5万    天正19年金窪の領主となった川窪信俊は義母である

の大軍を神流川に進めて、この地で大激戦を繰り広げ、    武田信玄夫人を伴って入封し、信玄夫人は境内に居住

滝川軍戦死者3,760人をだした。 この地に石碑を建立。  したが、元和4年(1618)に没した。

 

 浅間山古墳:古墳時代の末期、7~8世紀初頭まで     金鑚神社:金鑚神社の祭神は天照皇大神、素戔鳴命

 墓として使用されていたとされる古墳で直刀や鉄鉾      日本武命の3神である。創立は欽明天皇2年(541)      

 などが出土している。 上里町指定文化財。           と伝えられている。武蔵7党の1つである児玉党の                                             

                                        氏神として、また、本庄城主歴代の崇信が厚かった。

                                

 田村本陣跡:この門は本庄宿の北本陣といわれた

 田村本陣の正門です。

 

 本庄市歴史民俗資料館:旧本庄警察署は明治26年    円心寺:浄土宗の寺で山号を要行山先救院といい

 に建てられた洋風建造物として県内に残る遺構である。  本尊は阿弥陀如来である。山門は天明年中(1781~                                   

 昭和54年歴史民俗資料館として活用するため復元工  1789)の建立。(本庄市指定文化財)                          

 事がおこなわれ創建当時の外観によみがえりました。

  

百庚申:百庚申が建立されたのは幕末、万延元年(1860)  深谷駅の駅舎です。深谷は明治時代レンガ工場が

で、地元・有志により万延2年に完成。万延元年は徳川幕府  建設され、そこで作られた煉瓦を東京丸の内駅舎に

の大老、井伊直弼が暗殺されるという大きな事件があったり  も使われたということで、東京駅を模した駅舎が造ら

黒舟来航により開国など国情や民衆の生活不安などあった。 れました。 一瞬、本物の煉瓦造りと思ったほどです。

このような状況にあって、百庚申が造立された。 

   

 深谷常夜燈(田所町):江戸時代、中山道深谷宿の東と   菊泉・清酒菊泉の醸造元「瀧澤酒造」の煙突も

 西の入口に常夜燈がたてられ、旅人の便を図った。      煉瓦造りで人目を引く。                                                         

 

 糸屋製菓店: 和菓子の老舗                   深谷本陣跡:飯島家は宝暦2年(1752)より明治3年

                                       まで足かけ6代にわたって、本陣職を勤めた。

 

  東白菊・造り酒屋、藤橋藤三郎商店の高く聳える      深谷常夜燈:東の常夜燈。

  「煉瓦の煙突」も人目を引く。

 

  

  


松井田宿から高崎宿まで

2011年06月11日 10時51分03秒 | Weblog

5月20日晴天、第2日目松井田宿、安中宿、板鼻宿、倉賀野宿および高崎宿までの5宿の街道沿いを

足早に通り過ぎました。

宿場間はフルに貸切マイクロバスで移動、歩いた距離はおよそ8kmくらいでしょうか。

各々の宿場には、史跡、見所は数え切れないほどの名所がありましたが、今回の旅は、街道に面した所だけを

ざっと見て歩く行程を主眼としていました。 

この先のことになりますが、次の「特別例会」熊谷宿江戸日本橋まで、とにかく曲がりなりにも辿りつきたい

という、会員皆様の強い願い」あるからでした。 

  

日本最古の温泉記号:万時四年(1661)の絵図に     磯部からの妙義山(宿泊先からの早朝散策)

描かれていた磯部温泉を示す記号。調査した結果、

この温泉記号は日本で使われた最古のものと判明。 

(宿泊先からの早朝散策)

 

 松井田八幡宮:建久8年(1197)鎌倉右大将頼朝が  松井田脇本陣跡:字下町徳右衛門屋敷跡、江戸時代の

立ち寄るの記録がある。(県指定重要文化財)       宿駅で大名や公用役人の休憩所・宿泊所として設けら

                                     れた。

 

明治天皇御休所跡:当時ここに茶屋本陣があり、明治    原市杉並木:安中宿と松井田宿の「間の宿」として

天皇がお立ち寄りになったところであり、高札場の跡     位置づけられている。 杉は総数344本植えられ

でもあった。 (原市)                         管理されている。

 

 新島邸:天保一四年神田1ツ橋にあった安中藩上屋敷   便覧舎址:安中の醤油醸造の有田屋が明治5年

に生れた。キリスト教の伝道につとめた。アメリカから     日本最初の図書館、便覧社を創設した。

帰国したが、両親と再会した家は潰されています。

没後は、彼の活動を伝える資料館となっている。

 

 

旧安中藩武家屋敷跡:群奉行宅と道を挟んで、武家     旧碓氷郡役所:明治11年(1878)郡区町村編成法

屋敷が復元されています。茅葺の並んだ敷地内に      が公布される。群馬県には11の郡役所が設置された

井戸が掘られ、往時の暮らしぶりが偲ぶことができる。   その1つである。大火により明治44年10月1日再建

                                       これが現在の役所の建物である。

 

 安中宿本陣跡:安中郵便局の脇に碑が建っており     熊野神社大ケヤキ:安中市指定天然記念物、樹齢推定

 須藤本陣と呼ばれいた。                     1,000年。

 

 板鼻宿本陣跡:現在は安中市板鼻公民館となっている。  旧本陣書院:文久元年(1861)11月10日、皇女

                                      和宮が14代将軍家茂へお輿入れのため宿泊された

                                      場所。(公民館用地となった時、公民館裏へ曳移転)

 

 長伝寺:書家・川島蘭州、学者・原思斎、和算家・松本   長伝寺の石塔群:庚申塔や二十二夜塔など様々だが

 左右助、画家・松本凌波等多くの文人、学者の墓や    江戸時代のものと思われる。

 古文書がある。(板鼻宿)

 

  安楽寺の異形板碑:板碑は、「板仏」・「平仏」・「板石塔婆」  高札場跡 (倉賀野宿)

 等と呼ばれ追善供養のために建てられ板状の石材を

 使用した「卒塔婆」の1種である。(倉賀野宿)

 

 脇本陣跡(倉賀野宿)                        脇本陣跡(倉賀野宿)

 

 

倉賀野宿本陣跡:スーパーの入口にある。                 小林山達磨寺:開基は、厩橋城主酒井忠挙。新春恒例  

                                                                     だるま市の日には昼夜を通じて参拝客でにわう 。

 

 

上豊岡の茶屋本陣:江戸時代の上級武士や公卿の     高崎城乾櫓&東門:2層で本瓦葺で入母屋造りの

喫茶や昼食あるいは関所の時間待ちのためにつく      屋根を乗せ腰屋根をめぐらした平入りの建物である。                                          

られた休息場所です。

                                  

               高崎白衣大観音:高さ41.8m、重さ5,985tのコンクリート造り

               胎内は9階より成り、各界合わせて20体の仏像が安置されている。

               (昭和11年建造)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

  

 

  

 

                   

 

 

 


四十八滝山野草花園・花の森

2011年06月08日 11時21分29秒 | Weblog

 6月7日晴、早朝、高山市国府町にある「宇津江四十八滝公園」へマイカーを走らせていました。

今年は寒さが遅くまで続いたせいでしょうか、花の咲くものは、どの花も1週間から10日ほど遅れたように思います。

☆☆ 関係者によると、クリンソウの開花も残雪が遅くまであり、開花が遅れたとのことでした。

    待ちに待ったその分だけ、クリンソウは林間にピンクなど色鮮やかに咲き誇ってくれました。

             ☆☆☆ 6月11日~12日までは花まつり」開催される予定です。

 

 

           林間に広がりを~                               クリンソウ

 

           樹間に水の流れ道                           クリンソウ

 

           縞模様 1                                 縞模様 2     

 

           縞模様 3

 

                            じっと花を見つめて

 

                            花と後方に樹幹が整列して

    


徳澤園のニリンソウを訪ねて

2011年06月05日 21時08分02秒 | Weblog

6月4日晴天、耳寄りな情報を得て、早朝、友人とともに 上高地目指してマイカーを一目散に走らせていました。

目標は徳澤園に咲く群生するニリンソウを撮影することでした。   ニリンソウは白い可憐な花だとのイメージが

強くあり、画像として捉えられるかどうか、少し心配でした。  ともかく、現地に到着後、無心に撮影し続けました。 

撮影している方も少なからずいましたが、大半の行楽客は、のんびりと腰を掛け大自然の中に身を委ねているよう

でした。

 

           河童橋を行き来する人達                    河童橋から上流方面へ

 

           明神池方面へ向かう木道                      明神池

 

            明神池                                 明神池付近

 

         徳澤園へ向かう人たち                徳澤園 へ向かう散策道の傍らにツバメオモト

 

            二リンソウのアップ                         徳沢園前付近の風景

  

         川辺に咲く二リンソウ 

 

                      巨木の間に群生するリンソウ

 

 

                         あたり一面に咲き競う二リンソウ


環水平アーク、日暈及び幻日環が同時に

2011年06月01日 19時32分37秒 | Weblog

5月31日うす曇り、岐阜県高山市国府町宇津江にある四十八滝山野草花園「」へ2年ぶりに出かけました。

現地には午前10時丁度に到着。  花園入口付近には人影が見あたらず、この時期、まだ見ごろには早かったのでは

とすぐに察知しました。 園内を一巡りしたあと、1週間後が見ごろの時期と判断し出口をでました。

ところが、千載一遇のチャンスと申しましょうか。 このあと幸運にも、つぶさに大空の天体ショウの幾つかを同時に

みることができました。

 

 花園で一番日当たりのよいところを探して~           雨降り続きで水嵩を増した四十八滝の平滝

       

         入口付近から花の森・花園方面に見られた環水平アーク。(5月31日、11:22分)

        ☆ 環水平アークは上層にある薄雲の氷の粒に太陽光が屈折してできる現象とのこと。 

       

        入口付近の頭上にある日暈(ひがさ)と環水平アーク(5月31日、11時1分撮影)

        ☆ 日暈も環水平アークと同様の現象です。

       

         頭上にある日暈と幻日環(5月31日、11時9分撮影)

        ☆ 白い輪が幻日環であり、太陽を通る光の輪が見られる現象である。

       

        日暈と幻日環及び環水平アーク(5月31日、11時17分撮影)

        ☆ 日暈と幻日環は頭上、環水平アークは花園方向に見られた。(カメラアングルを変えて)