7月21日晴天、いよいよ家族旅行も3日目の最終日となりました。 今日の概略行程は次の通りです。
概略行程:朝の散歩(白鳥路通り)→忍者寺→武家屋敷→21世紀美術館
→金沢駅構内にある「あんと」にて手土産を購入→帰途
楽しかった旅に感謝!!!
【朝の散策】
白鳥路の小道 人物像
小道の両サイドには銅像が沢山並んでいる。 左側から室生犀星、泉鏡花、徳田秋声
白鳥路の小道の銅像 白鳥路の小道
白鳥路の銅像 前田利家銅像
兼六園下・金沢城のメイン道路沿いです。
ここから引き返しました。
復路
他にも種々銅像がありました。
白鳥路では6月中旬~7月上旬にかけてホタルが沢山見られます。
【忍者寺への道】
犀川大橋 蛤坂の道標
3階建ての家 妙立寺(忍者寺)
妙立寺の由緒
本堂
4階7層29階段、複雑な仕掛け。
部屋数23、階段数29もあり、最上階の物見台ともとれる望楼は
各方面を遠望でき、金沢城への逃げ道といわれる大井戸など、出城
としての要素を数多く秘めている。(加賀3代藩主前田利常が奇抜の建立)
【武家屋敷へ】。
武家屋敷の土塀・石垣
武家屋敷の土塀・石垣
長町界隈
武家屋敷の土塀・石垣(1) 武家屋敷の土塀・石垣(2)
武士の家は広い敷地を囲う土塀が道に沿って連なり
をみせ、入り口には家格に応じた門構えが設けられて
います。これらの屋敷構えは、武士だけに許されたも
のです。
武家屋敷の土塀・石垣(3) 武家屋敷の土塀・石垣(4)
武家屋敷の土塀・石垣(5) 武家屋敷の土塀・石垣(6)
大野庄用水:犀川桜橋付近で取水している。長町武家
屋敷付近では土塀沿いを流れ、その流れは今でも屋敷
内庭園の曲水に利用されている。
武家屋敷跡 武家屋敷の庭(野村家)
加賀藩千二百石・野村家門構え 上段の間、付書院から眺める多宝塔、各種の春日灯篭。
天正11年(1583)藩祖前田利家が金沢城に入城 六尺に及ぶ大雪見灯篭を配しさくら御影石の大架け橋
して、加賀百万石の基礎が築かれた。直臣として従 など。
った野村伝兵衛信貞家は禄高千2百石を賜り、代々
を御馬廻組々頭、各奉行職を歴任しこの地に千有坪
の屋敷を拝領し家督は11代にわたって、明治4年の
廃藩にいたるまで由緒深い家柄であった。
野村家のお庭(別の方向から) 野村家の調度品(1)
野村家の調度品(2) 野村家の上段の間
壮檜作りの各天井、黒檀、紫檀材を使った緻密な細工。
畳下が銅版張りであることなど々。
武田家の門構え 武田家の長屋門
長屋門の説明板
足軽資料館 足軽
武士の家は広い敷地を囲う土塀が道に沿って連なり 足軽とは戦闘時に駆出される歩兵のことです。戦国
をみせ、入り口には家格に応じた門構えが設けられて 時代には弓・鉄砲の部隊を編成して活躍しましたが
います。これらの屋敷構えは、武士だけに許されたも 江戸時代には武士の最下位に位置づけされました。
のです。
加賀藩の足軽たちは、小さいながらも接客を重視した
武家屋敷のながれを汲むれっきとした庭付き1戸建
屋敷に住んでいました。
【尾山神社】
尾山神社の由緒
尾山神社の神門 尾山神社の本殿
おまつの坐像 前田利家の像
お松の方坐像の説明板
本堂にて参拝模様。 尾山神社の庭園
【卯辰山から】 【21世紀美術館】
【
卯辰山からみる風景 21世紀美術館
左方のビル日光金沢、やや低いビルは中央ホテル金沢 外回りが円形状に造られた建物
右方のビルは石川県庁舎
及びその左方の塔はNTTその後方は日本海
金網で仕切られている円形の部屋 館外での風景
上から下を見ると、こんなところも 木梨憲武展・大盛況
ありました。 絵画のようです。