きまぐれストロール

植物、風景などを主として

渡り鳥・ヒレンジャク

2015年02月26日 08時08分12秒 | Weblog

2月21日(土)晴天、太田宿の中山道会館へ行ってまいりました。

渡り鳥である「ヒレンジャク」は、情報によると、通常は「午前9時ころまで」と「夕方頃」には間違いなく

「エノキ」にいるとのこと。  その時間にあわせて、8時半過ぎに現地に到着。中山道会館内には

既に数人のアマチュアカメラマンが来ていましたが、待ちのポーズでした。  そこで1人に声を

かけたところ、中山道会館に隣接している「もう1本の木」には来ているとのことでした。

早速、そちらへ行き、撮影した画像を今回掲載しました。 撮影後、ヒレンジャクは木曽川の対岸方向へ 

群れをなして飛び去っていきました。 そこで、中山道会館内に戻り、声をかけた人に、再度訪ねますと

「「中山道会館内」 のエノキには、そのすぐそばにポンプ式の古井戸と石製の手洗場があり、

そこへヒレンジャクが水を飲みに来るのを待っている。」 とのことでした。 

なるほど、その水飲み場が一番の至近距離で、しかも「カメラポイント」であることは誰もが

周知していることでした。 

私も、以前に一度撮影済み。ただ、鳥さん頼みですので、いつ戻って来るか否か不明なので、

この時点で、帰途につきました。

    中山道会館に隣接している「エノキ」の大木で日光浴している 「ヒレンジャク」

                        同一場所(2)

                        同一場所(3)

                        同一場所(4)

 


水の都・大垣巡り(2)

2015年02月23日 07時30分34秒 | Weblog

 水の都・大垣巡り(2)

   2月18日(水)晴れ、恒例の「探步会」で岐阜県大垣市へ行ってまいりました。

    午後からは芭蕉の句碑の一部と美濃路の一部を散策しました。

  さすが水の都と呼ばれるだけに、至るところで清水の流れが目に止まりました。

    なお、この地方では、和菓子の有名店が多いということでも評判です。

 

自噴井でボトルに水汲みに来ている近隣の方達           水門川に遊泳している「カモ」

                                         「水草」と「カモ」の遊泳に癒されます。

 

   ますやの店頭に一時、目をとめる              「灯台」と当時の「はしけ」に往時が偲ばれた。

  

  芭蕉の句碑と旧友木田の句碑及び手前の道標            手前の芭蕉翁と旧友木田翁

 

         道標・大垣船町川湊                     奥の細道むすびの地記念館

 

       記念館内のたらいの船                                   船町道標

船頭さん他三名まで乗船できるそうです。                 この道標は大垣城下京口御門(西総門)の南、美濃路

                                         沿いに確立されたものである。

                                       左 江戸道 右 京みち と記されている。

       

          美濃路  京口御門跡                       西総門(京口門)

                                     三重の堀に囲まれた水の城「大垣城」の総堀内には

                                     古来からの町家である本町、中町、魚屋町、竹島町

                                   俵町があり、その町家を縫うように美濃路が通っていた。

                                  西総門は京都方面にあることから京口門と呼ばれていた。

 

     和菓子屋店・柿羊羹の店で有名                    大垣宿本陣跡

  

          午前中は水門川A~Dに沿って歩いた後、大垣城へ。

    午後からは四季の森C~Dを鑑賞した後美濃路に沿って歩いて参りました。

             

          大垣宿問屋場跡                          本町道標

                                        左  江戸道、   右   京道

 

 

        

        田中屋煎餅総本店                                         大垣宿脇本陣

                                          本町大手北側にあった。 

                       

                       大垣宿高札場

             本町の北隅にあり、この地を札の辻と呼ばれていた。                

 

 


水の都・大垣巡り(1)

2015年02月20日 14時46分57秒 | Weblog

          2月18日(水)晴れ、恒例の「探步会」で大垣へ行ってまいりました。

           今回は、ボランティアガイドさんに案内をお願いいたしました。

JR大垣駅から水門川沿いの「芭蕉翁の句碑」と復路は「芭蕉の句碑」の残りと「美濃路」を楽しんでまいりました。

        途中、「大垣城への入館」「奥の細道結びの地記念館」へも立ち寄りました。

 一度に、往路に芭蕉翁の句碑と復路に歴史街道を歩いたことで、少しキャパシティーオーバー気味でした。

       ☆☆ 画像が多いので、午前(1)と午後(2)の2回に分けて掲載させていただきました。         

 

          愛宕神社                            大垣市・岐阜町道標(錦町)

   愛宕やま、恵比寿やま収納庫             左 きそ路、  右 京みち、 北  たにくみミ道

 

            噴水                            奥の細道矢田立初の句碑

                                            行春や鳥鳴魚の目に泪

                                    芭蕉は深川の草庵を人に譲り、元禄2年早朝墨田川を

                                    船で上り、千住大橋(東京都)あたりに上陸したと思わ

                                    れる。

  

        堀抜井戸発祥跡(岐阜町)                    水門川を飛翔する青サギ

天明2年(1782)岐阜町のこんにゃく屋文七が、川端に

2m程の穴を堀りそこに5mの木材を打ち込みそのあとへ

節を抜いた青竹を力いっぱい打ち込んだ。するとその竹

の先から、綺麗な水が噴出したという井戸。

       

        大垣城の東総門の跡              ボランティアガイドさん曰く、この字読めますか?

                                            (岩手県平泉町)

                                    この字の形では、我々では到底読めません。

                                          夏草や兵どもが夢の跡。

                                       あの有名な句なんだけど。とのこと。

  

    蚤虱 馬の尿する 枕元 (岩手県平泉町)      涼しさを 我が家にして ねまる也 (山形県尾花市)

     のみしらみ 馬のばりする まくらもと                

 今の若い人は、のみ、しらみとは、知らないのでは

  ないでしょうか。  「とボランティアさん曰く」

 

    水門川沿いに子供たちのモニュメント          閑さや 岩にしみ入 蝉の声 (山形県山形市)

 

 さみだれを あつめて早し 最上川 (山形県新庄市)       明治19年の大洪水(大垣城の石垣)

                                       角の石三段目に横線が入っているところまで

                                        水位があった。  

                                       お城は一段と高台ですが、民家は知って知るべし。

              

                         大垣城天守閣

  大垣城は、天文四年(1535)、宮川吉左衛門慰安定が築城したと言われ、水門川の流れを

    外堀に利用して築かれた。関ヶ原の戦いのおりには、西軍石田三成の本拠地となった。

    寛永12年(1635)、戸田左門氏鉄が入城し、その後11代にわたって善政が続いた。

  

                         天守閣の変遷

                      「天守閣へIN」

  

                     関ヶ原合戦前後の模型

                            

        藩主・戸田家初代                            藩主・戸田家11代

                         

                                     古地図をもとに作成されたもの

                           天守閣OUT

 

        藩主・戸田氏鉄公の騎乗像                  戸田家の菩提寺(円通寺)

                          「八幡神社IN」

                

                          八幡神社本殿

  

         八幡神社内さざれ石                            菅原道真公歌碑

                                

                                           大垣祭の祭やま行事

                     大垣祭は八幡神社の例大祭です。

                         「八幡神社OUT」

 

          戸田公御帰城絵図                                   大垣城・カメラスポット                             

擬宝珠に城が乗せられ、欄干の手すり部分の横側に

行列が描かれている。

                     

           

             鉄門跡                                 鹿城の滝

         このあと昼食タイム。


今尾の左義長(岐阜県海津市平田町今尾)

2015年02月14日 09時13分29秒 | Weblog

2月11日(水)晴れ、今回は4人連れで8時半過ぎに現地に向かいました。 現地着は10時10分過ぎでした。

行事は正午からですので、それまでの過ごし方として、町内を散策、そして軽食を摂ることで一致。

既に本町通りには13町村の神輿は運ばれていました。

正午からの行事は順調に推移しました。(マイクによる分かりやすい行事内容の、同時、説明がありました。)

13町内の神輿が「一基一基燃やされ→灰よけされる」これで一町村が完了となります。

13町村のうち、3町村の行事鑑賞完了後、家路につきました。

                             ☆☆

13町内の神輿がすべて燃え尽きた夜には、この残り火で災難よけの餅焼きをし無病の願いをします。

          燃え残りの青竹は持ち帰り、屋根の上に上げて火難除けをします。

今尾の左義長は「どんど」とも呼ばれ「火を崇め火伏せを祈願する」神事として旧正月に行われ、400年の歴史を持ち

13町内の神輿を一基一基を神社境内につりこんで燃やしていくという大掛かりなもので、岐阜県の「重要無形民俗文化

財」に指定されています。(海津市主催の写真コンテスト用チラシ抜粋)

    

                         今尾の左義長(神社内掲示板)

 

    駐車場の関係で10時10分には到着            開始前に今尾の本町通りを散策

      イベントは正午に開始                 竹で作られた鼓状の神輿(高さ・周囲共約6m)。

                                   また、当日早朝、今尾神社で神事が行われた後、御旅所の

                                   秋葉神社の近くに左義長が各氏子の手で運ばれたもの。

 

     神輿中央部分に挟み込まれた神札          本町通りに別の町内のものが用意されていた。

 

    更に別の町内のものが並んでいた。                本町通りにある今尾神社

                                        境外社 : 秋葉神社…今尾神社の御旅所

 

          今尾神社本堂                        軽食後早めに秋葉神社へ

                                      既に入り口に運び込まれた、宮元の「万町神輿」

                                      1番初めに燃やされる。

                                                                    中央にしめ縄、門松など燃やされた灰

[行事の準備]

 

  神社内でイベントを行う若衆たちの参拝         開始に先立って、この道具を使って「灰よけ」を行う

 

  恵方方面(西南西)に「灰よけ」を行うが最後に     13町内の最初の神輿を「長襦袢に白足袋姿」

  灰を竹竿の先で観光客の方へも跳ね上げる。        若衆が入り口付近から中央部に引きずり回す。

[行事]

    

                    いよいよ、最初の行事行われる。

   当番町内の氏子総代が烏帽子・袴姿に身を正し、宮司の手より総代の持つ藁の束に御神火を受けて

     総代が本殿から「御神火」を手に持ち「神輿」付近まで降りてきて「藁」に火付けする。

   

        用意されて藁に「御神火」が移され、若衆が藁を手に持ち「神輿」に放たれる。

  

                  神輿は勢いよく天高く燃え上がる。

         

          途中、神輿が倒れないように、予めくぐりつけられた

       湿った縄の先を持ち、若衆が左右にに周囲を走り回り倒れるのを防ぐ。

   

        燃え尽きた灰を次の町内の神輿のため、「灰よけ」しバトンタッチする。

   

        最後に灰を竹竿で跳ね上げる。観光客にも風下の方には灰が飛散します。

           初回である宮元の「万町神輿」の行事はこれで完了します。

   

     2回目の始まり、用意されていた、次の町内の神輿が引きずり回され中央部に設置される。

   

                 子供用、大人用の2基が並んで設置(1町村分)

   

      恵方方向(西南西)の残り火から若衆が火のついた藁を手に持ち、馬跳びしたあと

          神輿に火付けしているところです。

           

                  神輿が倒れないように若衆が左右に縄を

                         巻き付けている。 

   

         2基同時に焼かれた灰ですので、「灰よけ」にもかなりの時間を要しました。

                       (2町村分完了)            

              

                   3回目の様子、これも2基用意されていました。

          雨の降る中、竹探しを行ったそうで、最初は火付が悪かったようですが

          燃え始めるとすこぶる順調でした。

   

                                 燃え尽きた瞬間       

   

               恵方方向(西南西)への灰寄せです。(3町村分が終了)

   

                    観客に答えて、「若衆のサービス」

          最後までと思いましたが、連れもあり3回ほど鑑賞したあと家路につきました。

      

 

 


木曽川のコハクチョウ

2015年02月10日 11時12分07秒 | Weblog

 2月7日(土)晴天、早朝、木曽川のコハクチョウを撮りに半分下見のつもりで1人で出かけました。

いつも飛来しているところですが、川の周辺がすっかり変化しているのに驚きました。 

というのも、その辺りは樹木が生い茂っていたところが、すっかり無くなり堤防の下に更に歩道ができており

その歩道から川全体が見渡すことができました。 すぐ目前にコハクチョウの姿が眼に飛び込んできました。

コハクチョウは朝食後の休憩といったところでしょうか、静かな動きでしたので、その場に1時間ほど観察

したでしょうか。 こんな近くで、しかも至近距離(10mほど)で見られる喜びを胸に帰路につきました。

                   コハクチョウの静かなひと時

           向こうに見える伊吹山、比較的浅瀬で休んでいるコハクチョウ

                  朝食後の一休みといったところ

                 幼鳥もかなりの数が見られました。

                       コハクチョウ(1)

                       コハクチョウ(2)

                       コハクチョウ(3)

                        コハクチョウ(4)


宝光院の裸祭り

2015年02月02日 16時36分11秒 | Weblog

2月3日(火)、毎年この時期、大垣市野口にある宝光院の「裸祭り」に、友人と共に、駐車場の関係で

早朝9:00に出かけました。 行事予定は午後ということですので、午前中は周辺の散策と午後に備えて

昼食をとることでした。 午後からの行事は予定どうり進行、最後のイベントである、福俵の投入→利権木

の争奪戦、終えるか否や、帰りの混雑を避け、帰路に着きました。

             大垣市野口の村落付近の風景(雪山は伊吹山)

      この地方では「伊吹おろし」といい冷たい風が吹き荒れる様をいう。

       この日を御多分にもれず、まともに北風が吹き荒れていました。

                        宝光院の由緒

                       行事予定

   裸男の出場開始は午後1時半から~福俵の利権木の争奪戦まで、

       午後3時半までの予定時刻が記載されている。

               

                      宝光院本堂

         

                  宝光院本堂前の天井絵   

       

                 本堂前広場の豆まきの状況

             午後からは1時間ごとに豆まきが行われる。

 

            午後1時半頃に裸男のご登場(約百名程の人達が出場)

 

                 円陣を組んでもみ合い

             円陣を組みもみ合った後,本堂で厄払い

                 本堂から広場へ、再度もみ合い

 

               村はずれのところを流れる杭瀬川へ

                     順番に杭瀬川の中へ

                 全員が揃ったところで万歳!

                      みそぎ川渡り(1)

                     みそぎ川渡り(2)

                  橋の上からの観光客が大勢

       みそぎを済ませた裸男たち,「心男」が本堂から降りてくるのを待ち受ける

       「心男」が本堂から降りてきて裸男達に担ぎ出される直前。

                   裸男達に担ぎ出されて

            担ぎ出された心男が、裸男達に触れられて

                      心男は本堂へ

 

 

           福俵の投入され、福俵のなかに利権木が入っており

                  裸男達が争奪戦を行う。

             争奪戦の模様(かなりの時間がかかっていました。)

   利権木を掴み取った人は、この1年幸せに過ごすことができるとのことです。


仁徳天皇稜古墳

2015年02月02日 09時26分27秒 | Weblog

11月14日晴後曇り、「ヒストリー各務野の会」・年1回の恒例バス旅行で『仁徳天皇陵』へ行って参りました。

                   ☆☆ 世界遺産を大阪に!!

百舌鳥・古市古墳群は1500年もの間、人々の暮らしとともに数々の危機を乗り越え、今、私達に受け継がれています。

その中には、世界最大級の墳墓・仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大前方後円墳などが含まれており、日本の古墳

文化を物語る貴重な遺産です。この宝を人類共有の遺産として、次世代に引き継いでいくため、私たちは百舌鳥・古市古墳群

の世界文化遺産登録を目指しています。(カタログ抜粋)  

     百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議(大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市)

                    是非、我々も願っています。   

 概略行程図:岐阜各務原IC(7:00)⇒東海北陸・名神・第二京阪・近畿阪神HW⇒堺IC⇒堺市役所ロビー(10:30)

⇒堺市博物館⇒仁徳天皇稜見学⇒昼食⇒応神天皇陵(車窓)⇒藤井寺IC⇒西名阪HW⇒天理IC⇒名阪国道

⇒亀山IC~各務原IC(18:30)

[この間、パソコンのトラブルにて下書きのまま保留されていましたので、改めて下書き部分を掲載させていただきました。]

 【堺市役所展望ロビー】      

              堺市役所展望ロビーから『百舌鳥古市古墳群』の眺め

百舌鳥古市古墳群は、堺市内の東西・南北約4kmの範囲に広がる古墳群です。 古墳時代、この

一帯は100基を越える古墳が造られました。しかし都市化の進展などによってその半数が失われ、

現在は4世紀後半から5世紀後半にかけて造られた44基の古墳が残っています。(カタログ抜粋)

【堺市博物館】

                        大仙公園内案内図 

            中央部に位置する池の周りにある茶色部分が堺市博物館

                       堺市博物館・慶長大火縄銃(府指定文化財)(1)

    堺と近江国友の鍛冶が合作した長さ3m、重さ135kg世界最長とされる火縄銃         

 

           

          堺市博物館展示品(2)                     堺市博物館展示品(3)

           仁徳天皇稜古墳                        

             

                    堺市博物館内から外部風景

【仁徳天皇陵へ】

 

       仁徳天皇陵外苑                            仁徳天皇陵の外部ヘンス

                

                         仁徳天皇陵の外堀

                    仁徳天皇陵正面

【帰路】

 

        秤目御前(穴子御前)                      奥の里山が応神天皇陵

                                             車窓からの眺めです。