きまぐれストロール

植物、風景などを主として

小坂の滝巡り(がんだて公園周辺コース)

2012年10月24日 06時39分11秒 | Weblog

10月22日(月)、ソフトボールOB会の「ウオーキング」に参加して、下呂市小坂にある「がんだて公園」

行ってまいりました。  雲一点もない日本晴れに恵まれて、マイペースでの「滝巡り」と、「こもれびの雑木林」

の中をゆったり散策。 その後、「ひめしゃがの湯」で癒し帰路に着く。 ただ一つ、残念でしたが、まだ少し

紅葉の時期には早かったようです。

次の期間内、10月26日~11月10日間の(金)(土)には巌立の「ライトアップ」が催されます。

                          概略コース(約6km)

がんだて公園⇒朱線に沿って、三ッ滝⇒桐の木穴⇒どんびき平⇒しもべり橋を渡る⇒黄線(林道)に沿って

 ⇒あかがねとよ・からたに滝⇒がんだて公園に戻る。

 

                       巌 立 

荒々しい山肌を見せる巌立は、御嶽山の大噴火によって出来た高さ72m幅120mの

柱状節理の大岸壁です。 対岸から見る造形美には、ただ々圧巻の一語に尽きます。

日本地質百選や岐阜県の天然記念物に指定されています。  

        左方向、牛の鼻づら。巌立峡遊歩道をはさんで、右方向は発電所

                               さぁ~、出発

            

                    三ツ滝の一番目の滝

                    三つ滝不動明王

           

                    三ツ滝の二番目の滝

                  階段で一番急な所

                   三ツ滝の三番目の滝

                  岩にしがみつく樹木

                      どんびき平

                     どんびき平・説明板

            しもべり橋を渡る直前に種子落としマット   

                 

                       あかがねとよ

                             「あかがねとよ」の説明板

                     からたに滝

           

                  からたに滝周辺・「紅葉の始まり」

                            日本一の溶岩流

                     ひめしゃがの湯

               歩いた後、ゆったりと温泉で癒す


敬老の集い

2012年10月19日 08時35分04秒 | Weblog

わが町の「敬老の集い」が、暑さを避けて1ヶ月遅らせての10月14日(日)開催されました。

今回、私もはじめて参加いたしました。

☆☆プログラムは 12:00~15:30まで、挨拶・祝辞にはじまり、福祉標語表彰、乾杯に続いて

お食事と歓談。  そのあと余興、おたのしみ抽選会、など行われました。

☆☆なかでも余興、抽選会について

若者たちによる元気溌剌とした「歌と踊り」など観覧して、先ず第一、私たちにも「元気」をわけて

戴いたこと。 それとその質の高さにも感動いたしました。 また、抽選会では 見事3番目に

当たりくじを引当て思わぬラッキーさに驚きました。 ともあれ楽しく過ごさせていただき「感謝」

一語に尽きる一日でした。

わが町の「社協代表」の御挨拶をはじめ、来賓祝辞ということで市長および自治会長

および子供会からお祝いの言葉など戴きました。

         子供会(小学校3年生)によるソーラン節・ミナモダンスなど

       笑扇(会の名前)による民舞・お面はすべて「お手製」だそうです。

                笑扇による、情緒豊かな踊り

              歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ)1

             歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ)2

                歌(児童合唱団かかみのキッズ)3

             高齢者には懐かしい唱歌ばかりを数曲を拝聴

                「キッズ」対「高齢者」によるジャンケン (4)

              歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ) (5)

              歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ) (6)                 

             歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ) (7)

                  躍動感あふれるダンス

             歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ) (8)

            歌と踊り(児童合唱団かかみのキッズ) (9)

              緑陽中学校吹奏楽部による吹奏楽

               緑陽中学校吹奏楽部による吹奏楽

              緑陽中学校吹奏楽部による吹奏楽と会場風景

                  (緑陽中学・体育館にて)


岐阜清流国体・観戦

2012年10月11日 06時21分26秒 | Weblog

岐阜県での開催は、47年ぶりの岐阜清流国体・観戦に10月6日及び8日と友人を誘って出掛けました。

観戦といっても、会場は県内全域ということですので、会場との関連で比較的近場を選択しました。

6日はわが町・各務原市の「市総合体育館」、8日は岐阜メモリアルセンター内の「で愛ドーム」で午前中、

午後も同じ場所にある「長良川競技場」としました。  

☆6日の「市総合体育館」では、銃剣道が催され、模範演技のあと各都道府県の対抗戦 が行われました。

いずれも、迫力のある試合内容でした。

☆8日は午前中は体操で男子は6種目、女子は4種目でした。(撮影禁止)

☆午後は陸上競技でトラック競技の走る種目が中心、一方、フィールド競技があり跳躍種目・投てき種目など

観戦することができました。 このような機会がなければ、このような立派な施設に足を運ぶこともなかった

のではと思います。 両日とも国体の雰囲気のなかで「スポーツの秋」を楽しむことができました。

10月6日

              第67回国民体育大会銃剣道協議会

          大会のマスコット「みなも」ちゃん(市総合体育館)

              大会役員による御挨拶のもと開催

                 大会を盛り上げる演奏

                各県の選手団と選手宣誓場面

                     形の模範演技

                   対戦前に対戦選手との御対面

                       激しい対戦

☆☆ここからは長良川競技場(10月8日午後)

                      長良川競技場

                       炬火台

                     スタートダッシュ

                 ハードルを飛び越える瞬間

                    競歩にて駆け抜ける

                        走高跳

                         400m競走

                     スタートの瞬間

                   これからが最後の力走

                         表彰台


日坂宿~金谷宿

2012年10月02日 06時30分58秒 | Weblog

9月22日(土)晴天、「歴史街道を歩く会」の9月の例会で東海道「日坂宿の日坂峠から金谷宿の石畳茶屋」

まで歩いてまいりました。 今回は、初秋という時期もよく、さらに自然環境にも恵まれたなかでの散策でした。

その上、宿場の見所も多くありました。

まず、①小夜の中山の歌碑・句碑の道 ②諏訪原城跡 ③菊川坂・金谷坂の石畳などがありました。

☆歌碑・句碑の関心のある方には、この峠は魅力的な道ではないでしょうか。 ②つ目の諏訪原城跡については

この城跡の規模の大きさに驚かされ、最後の菊川坂・金谷宿の石畳については、平成の「道普請」ということで

地元の方をはじめ多くの方々の尽力で、復元されたこと。 「万古不易」の石碑や「石畳の説明板」などではじめて

知り、まさに感動ものでした。 同時に「心温まる」思いでいっぱいでした。

 ◆午前◆

   

                       日坂宿の日坂峠より掛川市・久延寺付近まで

       中部建設協会発行の東海道さんさくマップをお借りしました。  有難うございました。

 

  この浮世絵は広重が天保13年(1842年)頃に            「二の曲がりと沓掛」

視点を変えて風景をとらえた「狂歌入東海道」の日坂   二の曲がりとは旧坂口町を過ぎて東へ向う沓掛へ

である。  倭園琴桜   「あたらしく今朝にこにこと   至るこの急カーブを指しています。 沓掛の地名は峠

わらび餅をかしな春の立場なるらん」            の急な坂道にさしかかった所で草履や馬の沓を山神

                                    に手向け旅の安全を祈願したという古い慣習に因る

                                    といわれています。

  

 保永堂版東海道五十三次 日坂・小夜の中山               夜泣石跡

            広重作                    妊婦の霊魂が移り泣いたという石が明治元年まで

                                   ここの道の中央にあったが明治天皇御東幸のみぎり

                                   道脇に寄せられた。

 

          涼み松広場                               妊婦の墓

かって夜泣き石のあった路の傍らに大きな松があり  松の根元で自害した妊婦(小石姫三位良政と月小夜姫

松尾芭蕉がこの地で休み、「命なりわずかの笠の下  との間に生まれた子)を葬った所で墓碑に「往古懐妊女

涼み」なる句を詠んだ。これに因みこの周辺の地名   夜泣松三界万霊…旧跡」と刻くしてありっます。

を「涼み松」というようになった。

 

   歌碑  壬生忠芩・新古今和歌集                  句碑   松尾芭蕉・野ざらし紀行

東路のさやの中山さやかにもみえぬ雲井に世をや          道のべの木槿は馬にくわれけり

尽くさん  

☆☆ 代表的な和歌や俳句の碑が、この峠の道沿いに多く建てられています。 遠い昔に想いを馳せながら

                  ゆっくり歩いてみてはいかがでしょうか。

 

  歌碑  藤原家隆朝臣・新古今和歌集                      鎧塚

ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れね人を      建武2年(1335)北条時行の一族名越太郎邦時が

      さやの中山                      世に言う「中先代の乱」のおり京に上ろうとして、この地

                                   において足利一族の今川頼国と戦い壮絶な討ち死に

                                   をした。 頼国は邦時の武勇をたたえここに葬った。

 

         佐夜鹿(小夜の中山)一里塚                   西行法師歌碑

                                    年たけてまた超ゆべしとおもいきやいのちなりけり

                                    さやの中山

 

             久延寺                                        久延寺夜泣石(小石姫供養塔)

奈良時代の行基が開基と伝えられる名刹。       夜泣き石と同じ形で「南無阿弥陀仏」と書かれている。

                                   この石は夜泣石物語の小石姫を弔うために建てられた  

                                   供養塔である。 

 

             茶亭跡(久延寺境内)                   御上井戸

慶長5年(1600)掛川城主山口一豊は境内に茶亭   掛川城主山口一豊が徳川家康を茶亭でもてなした

を設けて大阪から会津の上杉景勝攻めに向かう     時の井戸水、これを御上井戸とよばれている。

徳川家康をもてなした。 関が原合戦後その功績が

認められ土佐20万石に栄転した。

◆午後◆

    

                          久延寺から石畳茶屋まで

              中部建設協会発行の東海道さんさくマップをおかりしました。

 

     歌碑 衣笠内大臣・新五選和歌集                       道標

旅ごろも夕霜さむきささの葉のさやの中山あらし      日坂宿(掛川市)  ・ →  菊川の里(島田市)

ふくなり

 

    このあたりは産地だけあって茶畑が多く                菊川由来の石

  見られます。                         付近の川から菊川紋の石が多く出土されました。その

                                   石は菊石と呼ばれて川の名前を菊川と名付け地名も

                                   生れました。 白菊姫の伝説による菊石は北の1km

                                   位のところにある佐夜鹿公民館の傍にあります。

 

 

        菊川の里 さんぽ茶屋                         間の宿 菊川

                                    間の宿は普通、2宿間の距離が3~4里に及ぶ時に

                                    置かれますが金屋宿と日坂宿のように1里24町でも

                                    急所難所が続くような場合は特別に「間の宿」「菊川」

                                    が置かれました。

 

             道標                               菊川坂登り口

 ← 金谷宿    菊川の里      日坂宿→           菊川坂石畳 頂上まで600m

宿境まで18町  (島田市)     宿境まで一里

                               菊川坂石畳

   

            菊川坂石畳                             万古不易                              

                                               菊川坂石畳を上りつめると頂上には石畳完成を記念  

                                               し「万古不易」の記念碑が建てられていた。  

      

                            菊川坂と金谷坂                                                                

 

           諏訪原城跡                            諏訪原城跡天守閣跡

天正元年(1573)、武田勝頼が家臣の馬場美濃守

氏勝に命じて築城。現在も空堀、井戸など九割の遺構

が残されています。別名扇城ともいわれ甲州流築城法

の典型を見ることができる。城内には武田家の守護神

諏訪明神が祀られています。

 

      天守閣跡付近からの眺め                         諏訪原城跡

                                    東海道武田領の先鋒を勤める重要な拠点金谷台に

                                    天正元年(1573)武田勝頼の臣馬場美濃守の縄張

                                    に築かれた山城の跡である。

  

           お堀跡                                金谷坂の石畳

                                     平成3年、町民約600名の参加を得て実施された

                                     「平成の道普請」で430mが復元された。今街道の

                                    石垣で往時を偲ぶことができるのは、この金谷坂の

                                    ほか箱根峠、中山道十曲がり峠の3ヶ所となりました。

         

  

            すべらず地蔵                                             金谷石畳

金谷坂石畳の途中には町民有志が建立した「すべらず

地蔵」がある。旅人の足元を守ってきた「すべらない山石」

にあやかって、「すべらず」「ころばず」歩けるようにと願って

建立。

                   

                                 庚申堂

               現在のお堂は昭和40年に移設されたもので、中には猿を従えた木造

               「青面金剛明王」が祀られています。 その昔、元の庚申堂では盗賊

               日本左衛門が度々盗賊の身支度をしたと伝えられています。

                    

                                          金谷宿一里塚跡

                  延享3年(1746)の「東海道巡覧記」によれば「金谷1里塚榎木」

                  とある。