きまぐれストロール

植物、風景などを主として

伊勢街道・白子~河芸上野(歴史街道を歩く)

2013年08月28日 06時52分28秒 | Weblog

8月24日(土)曇天、「歴史街道を歩く」会の8月例会で、伊勢街道・白子~河芸上野を歩いてまいりました。

各務原市鵜沼の集合時間7:30分に出発し、四日市付近での渋滞を予想して近鉄白子駅への到着時間は

10:30分頃と計算していました。 ところが、渋滞もなくスムースに走り、予定より30分程早く到着。

この1週間ほどは猛暑続きでしたが、この日は曇天でしたので、比較的見て歩くのには順調な散策でした。

【午前中】は白子駅~堀切川の蓬莱橋付近まで。 ここから貸切観光バスにて上野城跡まで直行し小休止。

【午後】からは上野城~甕釜冠地蔵尊間を逆コースで歩く。

 したがって、掘切川付近~甕釜冠地蔵尊間(約2km)は八幡神社以外遺跡などなく省略しました。

見所としては、伊勢型紙資料館・子安観音寺・上野城跡などあげられると思います。

                 近鉄白子駅スタートし、旧伊勢街道沿いに歩く  

 

 

            ①伊勢型紙資料館                             ②龍源寺

伊勢型紙は、着物の柄や文様の染色に使う型紙で     臨済宗妙心寺派。  本山 京都花園 妙心寺

鈴鹿市の白子・寺家を中心にして千年あまりにわたり

栄えてきました。和紙を3枚柿渋で張り合わせて加工

した型地紙に、熟練した技術と精神を指先に集中させ

て掘り抜いていきます。

                  

                       ③旧河芸郡役所跡(白子東町公園内)

  明治時代になり、県政が敷かれた後、この地に明治26年(1893)白子町民の力で河芸郡役所が

  新築設置された。この郡役所はそれから30年後の大正12年4月には、群制廃止により役所の機能

  が消失した。その後昭和28年7月火災により消失した。その後、現在の東町児童公園となった。

                     旧伊勢街道沿いに、久留間神社へ 

  

        ④久留間神社                                  道標

 くるま神社と読みます。 元、福徳神社             昭和12年建立。 さんぐう道と刻まれている。

                

                                町並み

         旧伊勢街道沿いに歩いた後、津市上野城跡展望台へ貸切観光バスにて移動       

              

            

             ⑤目付け役所跡                         ⑥子安観音寺 

目付け役人は政事や家臣の非違糾察、秩序維持    この寺は聖武天皇の天平勝宝年間(749~756)の

を目的とする監察、つまり代官以下庄屋に至るまで   創建で縁起によれば「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり

の素行、品行、身持ちを監視する役人で、俸禄      怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り観世音の尊像上ら

200石~250石(米俵にして500俵~625俵)     せ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺と

2年ほどで交代した。                      なりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているほか

                                    奈良東大寺古記にもこのことが記されている。

 

               

                    ⑥子安観音寺境内・天然記念物:不断桜

 

                         ⑥子安観音寺の説明板

               

                         ⑥子安観音寺境内・三重塔

                       ⑥子安観音寺境内の説明板

                

                         蓬莱橋たもとの道標

                                    右 いせみち と刻まれている。

  

     津市上野城跡展望台にて小休止後、逆コースにて旧伊勢街道沿いに河芸千里方面へ歩く

  

                                 上野城・現地のの説明板

 

    上野城跡展望台にて小休止(本城山)                2階から伊勢湾内が一望         

 

            ⑦道路元標跡                             ⑧弘法井戸

上野住吉町の旧参宮街道路傍に上野村の道路元標   元和年間(1615~1623)のころからあるといわ

が建てられていました。現物は損傷が激しいので     れる。このあたりを中町といい、宿場の中心街で

中央公民館の中庭に保管されており、現在は石造りの  西側に本陣・東側に高札場・問屋・脇本陣があった。

道路元標が建てられ昔の位置を保存しています。

                  旧伊勢街道・田中川堤付近に設置されている。

               

                      ⑨田中川河川改修竣工記念碑

                        田中川を渡り千里方面へ歩く

 

 

             ⑩田中地蔵                             丹羽君碑

丁度、年配の方が数人縁台に腰をおろし雑談中       このあたりに、円応寺組15ヶ村の大庄屋があった。

 でしたので、地蔵尊の扉が開かれていた。

  

            ⑪本福寺                                ⑫尾前神社                                                                                                    

 親鸞の弟子、西念房の創設による。             雨乞いのかんこ踊りが行われていた。街道沿いから              

                                       移設された山の神が3体あります。   

                                                                 

                     ⑬甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶり)   

             参宮参りの旅人の無事を祈願し、茶を接待した休憩所。

             屋根の上の露盤の代わりに瓦製のかまを置き、その上に 

             宝珠の代わりに水甕が伏せてある。 その理由は不明。


夏の犬山キャンペーン

2013年08月20日 08時20分22秒 | Weblog

近隣の愛知県犬山市の「夏のキャンペーン」のうち、その1つである、期間8月13日~17日、時間18時~21時までの

「犬山 夜天気球」を友人とともに行って参りました。 熱気球から、犬山の美しい夜景を眺めるのが本来ですが、

近くであることもあり、14日~17日まで4日連続で参りました。 というのも気象条件が晴天だけではなく風速4m以上

の場合は中止となります。14日~16日までは風速4m以上ということで、いずれも20時過ぎには諦め帰宅しました。

最後の17日は、やっと、幸いにも風も治まり「夜天気球」を目の当たりにすることができ、4日連続通いつめ、報われた

感があり、喜びもひとしお大きかった。 「終わり良ければすべて良し」としましょう。 聞くところによれば初日も良かった

とのこと。

 

 会場付近の薄暮、左方木曽川を挟んで伊木山     会場(犬山城第一駐車場)すぐ横にある「犬山丸の内

    夕日が沈む方向 各務原市内方向。          緑地」。

 

     会場から木曽川下流を望む。             会場から犬山丸の内緑地・国宝犬山城を望む。

    この方向から風が吹いていた。                                               

                  

                    14日~17日は3日連続風速4m以上で

                 残念ながら、地上だけでの搭乗ということでした。       

        

             17日最後の日はご覧のとおり地上で見事、順風満帆。

        

              浮力調整のため火力を弱めて降下寸前のところ

               気球の明るさ・色合いが極端に違ってくる。

          地上26m程あがったところ、右端にはライトアップされた国宝犬山城。

        ここが唯一犬山城のライトアップがみえる場所( 犬山市武道館前から撮影)。

 

 

 

 

 


伊勢街道(伊勢鉄道・鈴鹿駅~白子駅)

2013年08月03日 05時55分24秒 | Weblog

7月27日曇り、歴史街道を歩く会の7月の例会で伊勢街道(鈴鹿駅から白子駅)まで歩いてまいりました。

道中、四日市市へ向かう中、渋滞に巻き込まれ、予定より30分ほどの遅れとなりました。 これも織り込み

済みでしたので、それほどの影響はなく予定通りの行程をこなすことができました。  また、行程の1部で

彌都加伎神社~菅原社間は大きな工場などで何もなく省略しました。 蒸し暑い時期でしたが、曇空の

おかげで、全行程を難なく消化することができました。

                         旧伊勢街道に沿って歩く

 

     伊勢鉄道・鈴鹿駅からスタート                           宇気比神社

                      

                                山ノ神

                       この付近だけで3ヶ所ほどありましたが

                       どの山ノ神の前にも鳥居がありました。

                          伊勢街道に沿って歩く

 

             表忠碑                                正信寺

                                                真宗 高田派

                          

                                             弥都加伎神社

          主な祭神 大土御祖神・土之御祖神・植安比賣神  

                      旧伊勢街道に沿って歩く

               

           菅原社                                                             老農彰功碑

        祭神  菅原道真公                                  水原政次翁は近郷や県下の農業者に米作技法

                                                                     など啓発指導した。 

                      旧伊勢街道に沿って歩く

  

                北の端の地蔵                                         役行者神変大菩薩                        

 この地蔵は、今より800年前の鎌倉時代に作られたもので 17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。

 石造本体周囲に六体の菩薩が刻まれている。六体とは    その後、葛城山で山岳修行を行い熊野や大峰の

 六体とは五体の優世(うれいよ)に六道(地獄・餓鬼・畜生   の山々で修行を重ね吉野で金剛蔵王大権現を  

修羅・人間・天上)に迷う衆生を救う六分身をあらわす。     会得し、修験道の基礎を築いた。                        

  

          絵島若宮八幡神社                                               絵島陣屋跡

この神社には、江戸時代承応元年(1652)ごろからの        ここ絵島は、江戸時代初期までは天領であったが

絵馬が120余面があり、三重県民俗資料指定文化財         その後、紀州藩旗本の領地となり享保年中には小笠原

となっている。 これらの絵馬は白子廻船業者が渡航安全     肥前守の知行地となり、この地に陣屋が建てられた。

商売繁盛を祈願して奉納したもので図柄には七福神・武者    又明治2年3月には明治天皇が伊勢参拝の帰路この

馬などのほか町絵図廻船図などあり、当時の白子の町や港   陣屋で小休止された。

の様子が偲ばれる。

                                                                                                                                                                                        

   安濃津治安裁判所・登記所・法務局跡               體用山青龍寺・真宗高田派 

明治時代になって、私有財産権が認められ、住民の

土地田畑等の所有権を公に登記する必要な行政機関

として国内各地にその役所がおかれた。これが治安裁

判所であり、白子地区にも明治21年(1888)10月に

設置された。現在この役所は神戸1丁目24に、津地方

法務局鈴鹿出張所となっている。 

 

             高札場跡                           旧河芸郡役所跡

 高札は幕府や諸藩で行われ幕府の正札は正高札   明治時代、県政がしかれた後、この地に明治26年

といい、キリシタン札、徒党札、人馬賃銭札、浦高札  (1893)4月18日白子住民の力で河芸郡役所が新築

など内容によって、それぞれ呼び名があった。      設置された。この郡役所はそれから30年後の大正12年

                                   (1962)4月には軍制廃止により役所の機能を失くした。

                     

                                近鉄中川線白子駅