8月24日(土)曇天、「歴史街道を歩く」会の8月例会で、伊勢街道・白子~河芸上野を歩いてまいりました。
各務原市鵜沼の集合時間7:30分に出発し、四日市付近での渋滞を予想して近鉄白子駅への到着時間は
10:30分頃と計算していました。 ところが、渋滞もなくスムースに走り、予定より30分程早く到着。
この1週間ほどは猛暑続きでしたが、この日は曇天でしたので、比較的見て歩くのには順調な散策でした。
【午前中】は白子駅~堀切川の蓬莱橋付近まで。 ここから貸切観光バスにて上野城跡まで直行し小休止。
【午後】からは上野城~甕釜冠地蔵尊間を逆コースで歩く。
したがって、掘切川付近~甕釜冠地蔵尊間(約2km)は八幡神社以外遺跡などなく省略しました。
見所としては、伊勢型紙資料館・子安観音寺・上野城跡などあげられると思います。
近鉄白子駅スタートし、旧伊勢街道沿いに歩く
①伊勢型紙資料館 ②龍源寺
伊勢型紙は、着物の柄や文様の染色に使う型紙で 臨済宗妙心寺派。 本山 京都花園 妙心寺
鈴鹿市の白子・寺家を中心にして千年あまりにわたり
栄えてきました。和紙を3枚柿渋で張り合わせて加工
した型地紙に、熟練した技術と精神を指先に集中させ
て掘り抜いていきます。
③旧河芸郡役所跡(白子東町公園内)
明治時代になり、県政が敷かれた後、この地に明治26年(1893)白子町民の力で河芸郡役所が
新築設置された。この郡役所はそれから30年後の大正12年4月には、群制廃止により役所の機能
が消失した。その後昭和28年7月火災により消失した。その後、現在の東町児童公園となった。
旧伊勢街道沿いに、久留間神社へ
④久留間神社 道標
くるま神社と読みます。 元、福徳神社 昭和12年建立。 さんぐう道と刻まれている。
町並み
旧伊勢街道沿いに歩いた後、津市上野城跡展望台へ貸切観光バスにて移動
⑤目付け役所跡 ⑥子安観音寺
目付け役人は政事や家臣の非違糾察、秩序維持 この寺は聖武天皇の天平勝宝年間(749~756)の
を目的とする監察、つまり代官以下庄屋に至るまで 創建で縁起によれば「この浦(鼓ヶ浦)に鼓の音あり
の素行、品行、身持ちを監視する役人で、俸禄 怪しみて網を下ろしけるに、鼓に乗り観世音の尊像上ら
200石~250石(米俵にして500俵~625俵) せ給う、帝これを聞こしめし、伽藍建立ありて勅願寺と
2年ほどで交代した。 なりぬ。妊婦安産の霊験あり」と記されているほか
奈良東大寺古記にもこのことが記されている。
⑥子安観音寺境内・天然記念物:不断桜
⑥子安観音寺の説明板
⑥子安観音寺境内・三重塔
⑥子安観音寺境内の説明板
蓬莱橋たもとの道標
右 いせみち と刻まれている。
津市上野城跡展望台にて小休止後、逆コースにて旧伊勢街道沿いに河芸千里方面へ歩く
上野城・現地のの説明板
上野城跡展望台にて小休止(本城山) 2階から伊勢湾内が一望
⑦道路元標跡 ⑧弘法井戸
上野住吉町の旧参宮街道路傍に上野村の道路元標 元和年間(1615~1623)のころからあるといわ
が建てられていました。現物は損傷が激しいので れる。このあたりを中町といい、宿場の中心街で
中央公民館の中庭に保管されており、現在は石造りの 西側に本陣・東側に高札場・問屋・脇本陣があった。
道路元標が建てられ昔の位置を保存しています。
旧伊勢街道・田中川堤付近に設置されている。
⑨田中川河川改修竣工記念碑
田中川を渡り千里方面へ歩く
⑩田中地蔵 丹羽君碑
丁度、年配の方が数人縁台に腰をおろし雑談中 このあたりに、円応寺組15ヶ村の大庄屋があった。
でしたので、地蔵尊の扉が開かれていた。
⑪本福寺 ⑫尾前神社
親鸞の弟子、西念房の創設による。 雨乞いのかんこ踊りが行われていた。街道沿いから
移設された山の神が3体あります。
⑬甕釜冠地蔵堂(かめかまかぶり)
参宮参りの旅人の無事を祈願し、茶を接待した休憩所。
屋根の上の露盤の代わりに瓦製のかまを置き、その上に
宝珠の代わりに水甕が伏せてある。 その理由は不明。