きまぐれストロール

植物、風景などを主として

九州旅行(宮崎・熊本)

2012年12月03日 19時36分23秒 | Weblog

11月25日、九州旅行も、最終日を迎えました。 

あと、予定されている行き先は、「阿蘇五岳の中岳」、「熊本城」そして「水前寺成趣園」を残すのみとなり

ました。 今日も出来る限り、多くのところを巡り見聞きし、頑張りたいと思っています。 

たった、3日間でしたが多くの名所旧跡を巡った成果は大きかったように思います。 このような機会を与

えてくれたことと、同時に案内までしてくれた子供に感謝の気持ちで一杯です。 生涯忘れることのない

「思い出」となりました。 本当にありがとうございました。                

                  ホテル・グリーンピア南阿蘇レストランから阿蘇五岳

 烏帽子岳左端の斜面中ほどの杵島岳(1,321m)、中央部より左側の鋭角部分の烏帽子岳(1,337m)、

      中央部やや右端寄り、こぶ状の中岳(1,506m)、中央部右端寄り1番高い・高岳(1,592m)、

                      右端の根子岳(1,433m)

              

                  中岳へ向かう途中での阿蘇岳の草モミジ

                         阿蘇中岳の噴煙

  中岳第一火口は南北に並んだ火口群の中で最北に位置する火口です。昭和に入ってから第4火口

第2火口の活動もありましたが、1934年(昭和9年)以降は第1火口のみとなって、現在に至っています。

火口は約60℃の鮮やかな緑色をなしています。               

 

         中岳避難場所                       アグルチネート(中岳火口園地)

                                    噴火の際に高温のスコリア(マグマの破片が発泡して

                                    黒っぽい軽石状になったもの)が火口周辺に急速に

                                    堆積し、くっつきあってできた岩石をいいます。

 

            黒牛の放牧                              草千里

                   

                              阿蘇の山々 

  

             熊本城                                石垣 

 二の丸広場から・左から小天守閣・宇土櫓・大天守閣        西大手櫓門から戌亥櫓にかけて                       

 

          西大手櫓門                              頬当御門

 

          五郎首掛石                             宇土櫓(国指定重文)

 横手五郎の父は天正18年(1589)天草一揆の       創建当時から残る唯一の多層櫓である。地上五階地下

とき加藤清正に一騎打ちをいどみ武運つたなく戦死   1階、他の城郭では優に天守に匹敵する。往時の熊本

した。父の仇を討とうとして、築城人夫として働いて   城にはこのような櫓が林立し、まさに難攻不落の巨大

いた。 ところが素性がばれ井戸掘りをしている時    要塞であった。

生き埋めにされたという。 この石の重さは1,800

kgであるが、築城当時に五郎が首にかけて運んだ

ものと伝えられる。  

                                    

                     

                              大銀杏 

ここは築城当時本丸御殿の庭があった場所で、清正が築城を記念してお手植えになったと伝えられる。

清正が亡くなる時、この樹が天守閣と同じ高さになった時、何か異変が起こるだろうと予言し、それは奇し

くも、明治10年の西南戦争のときであったと言われています。   

                            大天守閣&小天守閣

天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争開戦3日前に原因不明の出火で焼失した。現在の天守閣は35年に

復元したものである。 天守は高さ約30m、小天守は約19mである。内部には加藤家、細川家。西南戦争

の資料が展示されている。

 

      大天守閣から小天守閣を望む                大天守閣から宇土櫓を見る

                           二様の石垣

右側の石垣は熊本城の中でも古い年代物で、傾斜が緩やかである。左の石垣はそれと比して急であり

少し年代が下がってから継ぎ足されたことがわかる。 おなじような石垣の年代差は大小天守閣の石垣

にも見ることができる。

                      出水神社神苑 ・水前寺成趣園

                    桃山様式の優美な回遊式庭園

               東海道五十三次を模したといわれる趣のある風情

                       出水神社方面を望む

                        羽を休めている、ユリカモメ

 

           出水神社拝殿                      長寿の水&袈裟紋の水磐

細川家歴代の藩主を祀り、明治11年創建され、生活   細川忠利公がこの地に御茶屋を設けた意図は清冽

の守護神として御神徳を仰ぐ人々の参拝で終日賑い   な湧水が茶の湯に最適であったからと思われます。

をみせています。                          この水は「百薬の長」として多くの人々に親しまれて

                                     います。

                橋を渡ると、なだらかな小山(富士山を模した)

                なだらかな小山を背景にした松

               細川藤忠利銅像(向って左)&細川藤孝公銅像(向って右)

細川家三代忠利公(1586~1641)は加藤家の後を受け寛永9年(1632)に小倉より熊本城に入城され

当苑の創設者でもあります。 細川家初代藤孝公(1534~1610)は足利幕府の管領の流れを汲む武人

でありながら、和歌・茶道・能楽などにも堪能で文武両道の文化人でもあります。

 

        水前寺成趣苑の紅葉                         古今伝授の間

                                    後陽成天皇の弟君(八条宮智仁親王)に細川藤孝公

                                    が「古今和歌集」の奥義を伝授された建物、大正元年

                                    にこの地に移築された。

 

        古今伝授の間                                JR熊本駅

 

 


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