きまぐれストロール

植物、風景などを主として

九州旅行(宮崎・熊本)

2012年11月28日 08時35分23秒 | Weblog

今年は夫婦そろって節目の喜寿・古希を迎えました。親思いな子供の計らいで、11月の3連休(23日~25日)

を利用して、九州旅行をして参りました。

当日は自宅を出て、熊本へ着いたのが13時17分。駅前にあるレンタカーにて市内にある中国料理店・会楽園

にて遅い昼食となりました。 その後、目的地である高千穂宮へ向かう。 すでに17時は過ぎていましたが参拝。

宿泊地・ホテル四季見で夕食後、再度、この日は「本祭り」と言うことで宿のバスにて、「夜神楽」見物に出掛けま

した。

さすがに神話が息づく里だけあって、「夜神楽」は見ごたえのあるもので、 2時間ほどで切り上げましたがアッと

いう間でした。

概略行程(一日目)     名古屋ー博多ー熊本ー高千穂宮ーホテル四季見(泊)ー夜神楽見物 

 

     JR新幹線のぞみ(名古屋ー博多)                JR新幹線さくら(博多ー熊本)

               JR名古屋駅にて                                                      JR熊本駅にて

 

    レンタカーで高千穂町メイン通り付近                   高千穂神社

                                    11代垂仁天皇の創建と伝えられている。御祭神は

                                  ニニギノミコトを始め皇祖の神々を祀り高千穂18郷88社

                                  の総社として広く信仰を集めている。

 

           高千穂神楽殿                             夫婦杉

     10番「沖逢(おきへ)」の奉納            根本が一つになっています。 この周りを手を繋いで

                                    3回まわると夫婦・友人なか睦まじく家内安全で子孫は

                                    繁栄の3ツの願いが叶うと言い伝えられています。  

                 

                           神楽殿前での奉納

ここからが夕食後。             重要無形民俗文化財

高千穂地方で伝承されている夜神楽は、天照大神が天岩戸に隠れられた折に岩戸の前で天鈿女命(あまの

うずめのみこと)が調子面白く舞ったのが始まりと伝えられ、古来この神楽を伝承して今日に及んでいます。

毎年11月末から翌年2月にかけて各地農村で33番の夜神楽を奉納し、秋の実りと翌年の豊穣を祈願して

います。(高千穂宮では11月23日が本祭でした。)

 

         神楽14番・五穀(ごこく)                          五穀

各々膳に穀をのせ舞った後、これを撒いて村人が拾い

持ち帰る。  米、粟、大豆、小豆、稗など

 

                        神楽18番・岩潜(いわくぐり)の衣装

 

              剣の舞                             剣の舞

      

                  

                        剣の舞いをしている間をくぐる

 

                          剣を振り回しながら舞う

 

         2本の剣を持つ                      2本の剣を持ちながら回転する

  

     背中の方に2本の剣を差しながら舞う           背中の方に2本の剣を持ち回転する

 


香嵐渓の紅葉

2012年11月22日 09時44分30秒 | Weblog

11月20日(火)晴、早朝7時に友人3人と待ち合わせ、豊田市小原町の「四季桜」を見るために出掛けました。

現地へ到着したのは9時頃でした。 例年この時期には、見事に咲き誇る名所「小原・ふれあい公園」及び「川見

四季桜公園」へと急ぎました。 ところが、花は満開に咲いているのですが、何しろ花数が少なく見た目に寂しい

状態でした。

友達と相談の結果、急遽、行先を変更し、豊田市にある紅葉の名所「香嵐渓」へと急ぎ、10時頃に到着しました。

ここは例年になく、「紅葉の当たり年」ということで「見事な紅葉」を見ることができました。 待月橋あたりの観客は

画像の通り、人ごみで立錐の余地のないほどの混みようでした。

 

         香嵐渓・待月橋上から                    待月橋を渡り、足助屋敷方面へ

 

         足助屋敷方面へ                        足助屋敷周辺

 

 

          吊り橋を渡る人々                        一の谷庭園

  

                        一の谷からつり橋方面を望む

 

        つり橋から右方面を望む(復路)                足助屋敷周辺(復路)

                        

                        一の谷から香積寺方面へ(復路) 

 

                            香積寺山門(復路)

  

                 香積寺本堂前から山門を望む(復路)

  

         日光が指している瞬間(復路)                シジュウガラが目の前に(復路)

 

          香積寺本堂の左横側(復路)             香積寺本堂前の白壁(復路)

 

                   香積寺本堂前の側壁にしなだれる紅葉(復路) 

 

                         待月橋上の人波

 

                       待月橋から上流を望む

           

                        待月橋付近の紅葉

                           待月橋付近の紅葉


橿原神宮・明日香村

2012年11月16日 07時17分12秒 | Weblog

11月9日{金)、サークル名・「ヒストリー各務野会」、恒例の秋の日帰りバス旅行に奈良方面に出掛けました。

例年ですと、この時期、数年来「正倉院展」が定番となっていました。 今年はちょっと趣向を変えてということで

このコースに決まりました。

何時もは、座学などが多いのですが、今回のように実地に歴史的な建造物や遺跡を見て歩くのも生きた教材

となり、勉強させていただきました。 たった1日でしたが、さらに歴史認識が深まったような気がいたします。

 

              社標   橿原神宮                              第一鳥居

                                     表参道広場から神域への入口となる第一鳥居

                 

                              深田池

                 中央部に橋がかかり対岸にも渡れて、遊歩道も整備

                 されています。

                             南神門

  南神門は素木建の八脚門で、屋根は切妻造。修復工事により重厚感のある銅版葺となりました。

  (パンフレット抜粋)

                             外拝殿

              壮大な入母屋造の外拝殿。 畝傍山を背景にしたその姿は

              豪壮かつ厳かな雰囲気を漂わせています。(パンフレット抜粋)

                      外神殿から内拝殿を望む

                主要な祭典に使用される内拝殿。その屋根越しには

                弊殿の千木と鰹木が金色に輝いて見えます。(パンフレット抜粋)

 

       外拝殿の一隅において菊花展                外拝殿前にて園児たちも参拝

 

      奈良県立橿原考古学研究所                      館内展示室

               付属 博物館                  葛本弁天塚古墳  特殊器台                   

 

          ICHIEにて昼食                          ICHIEの前庭園

                  

                            明日香民俗資料館

                            飛鳥寺

  飛鳥寺は32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、33代推古天皇4年(596)に創建された

     日本最初の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。

               飛鳥大仏(釈迦如来坐像) 銅製 重要文化財

     推古天皇13年(605)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し

       推古17年(609)鞍作鳥(止利仏師)によって造られた日本最古の仏像である。

    

         蘇我入鹿首塚                          甘樫の丘

「乙巳の変」で首をはねられた蘇我入鹿      頂上からは飛鳥一円が眺望できる標高145mの

の首がこの地まで飛んできたという伝説    小高い山である。

です。

 

         甘樫の丘からの眺望                          水落遺跡

     飛鳥の里(飛鳥寺)が眺められる。          斉明天皇6年(660)5月、皇太子中大兄皇子(のち

                                     の天智天皇)は日本で初めて水時計を作った。

                                     人々に時刻を知らせたと「日本書紀」に書かれてい

                                     ます。

  

         飛鳥資料館・庭の展示(!)               飛鳥資料館・庭の展示(2)                   

                 

                             飛鳥資料館内(石人像) 

     飛鳥時代庭園で使われていた、花崗岩製の噴水。男と女が絡み合った姿をしており、異国風の

     表現が注目される。男の口の杯と女の口から噴出する仕組み、明治36年(1903)に石神遺跡

     で発掘された。 1930年代以来、道祖神としても親しまれています。 


鳳来寺周辺散策

2012年11月13日 07時14分26秒 | Weblog

11月7日(水)、探歩会、恒例の散策で、愛知県新城市にある鳳来寺周辺を散策してまいりました。

鳳莱寺山は、再度訪れることになりますが、一回目は遠い青春時代であり、 ただ石段を一気に駆け登った

ことと、仏法僧が「ブッポウソウ」と鳴いていた声をかすかに覚えている程度でした。 今回訪れて初めて

鳳来寺山の由来など再認識となりました。 

それだけでなく長篠城址にまつわる「長篠の戦い」の史跡めぐりコースの一端を見る機会に恵まれました。

「設楽原の馬防柵」に立った時、今は何の変哲もない田園でしたが、往時の「設楽原決戦場」での生死を

分けた戦いの凄さましさが偲ばれました。

 

                             鳳来寺ハイクマップ

  パークウェイ山頂駐車場ー東照宮ー本堂ー鐘楼ー医王院ー松高院ー仁王門ーネズの木ーバス停

                

                      ハイクコースから本堂方面を望む

 

                                東照宮

 日光・久能山と共に日本三東照宮の一つ。 三大将軍家光の発願、四代将軍家綱が1651年に完成。

 祭神は徳川家康。 重要文化財指定

                              東照宮(全体)

                             本堂

      本尊は薬師如来。 大正3年に火災に遭い、昭和49年11月に再建。

                            仮本堂(火災後)

           

                               鐘楼

   徳川家康のご母堂が参拝し家康を授かったといわれる。 鐘楼は終戦後に鋳造され、棟方志功作の

   十二神将が描かれている。

   

              医王院                              若山牧水の歌碑

松高院と共に鳳来寺の学頭を勤めていた。また医王院           仏法僧仏法僧と鳴く鳥の

は、かつて真言宗の学頭で100石を受けていた。             声をまねつつ飲める酒かも

      

              松高院                                 傘杉

 その昔鳳来寺は真言宗、天台宗兼併の寺であった為   傘の形をしているところから笠杉と呼ばれる。

 松高院と医王院が交互に3年ずつ学頭を勤めていた。  樹齢 800年、周囲 7,5m、樹高 60m。

  松高院は天台宗の学頭で150石を受けていた。             新日本名木百選

 

                               仁王門

 鳳来寺の表参道に楼門ある。  両側に仁王像が建っているので仁王門とも言い、また山門とも呼ぶ。

                   

                                依田秋園歌碑  

                          木を植えてけふは日永し我心

                           太古の人に通ひけらすや   

 

                           利修仙人

 

                         利修千人の説明板

      

               芭蕉翁像                          若山牧水像

                      鳳来寺山歌碑・句碑案内

                            

                            ネズの樹(天然記念物)

                     樹齢 1,400年、 樹高 9m、 周囲 3,52m。       

  

                        長篠の戦い・史跡めぐりコース

 武田信玄の跡を継いだ勝頼は、天正3年5月、Ⅰ万5千の軍で長篠城を包囲した。 城主奥平貞昌以下

五百の兵は、武田軍の連日連夜の攻撃に耐えたが、兵糧倉も底をつき落城寸前にあった。 この急を岡崎

の家康へ伝令すべく、鳥居強右衛門が使者に立った。 彼は重囲を抜け出し岡崎へ、使命を果たし再び

城中に入ろうとして捕えられた。 武田軍は助命と恩賞を条件に、城中に向かって「援軍来らず」と報告する

よう強要した。 彼は敵の裏をかき大音声で援軍の近いことを告げ、ついに磔にかけられた。  

 そして、織田・徳川連合軍と武田軍の「設楽原決戦」が開始された。(長篠城址史跡保存館資料抜粋)

 

                             長篠城祉・縄張慨図

 

          長篠城址入口                             長篠城址

 

         長篠城本丸跡                  長篠城址前にある長篠城址史跡保存館

 

            医王寺                         武田勝頼公本陣跡(医王寺境内)

永正11年(1514)克補契薿(コクホカイギョク)大和尚

・二世琴室契音(キンシツカイオン)大和尚によって創立

された曹洞宗のお寺です。

 

  

          説楽原の戦いでの 馬防柵              設楽原決戦に備えて構築した「鉄砲構え」乾堀と

  連吾川に面して延長2粁余に及んだ。         馬防柵と銃眼式の目隠し(土塁)の三段構えであった。              

  

 


金谷宿~島田宿(歴史街道を歩く会)

2012年11月07日 05時41分45秒 | Weblog

10月27日、「歴史街道を歩く会」の10月の例会で東海道金谷宿~島田宿を歩いてきました。

今回は、何といっても大井川の川会所にかかる「施設」や、また「川越業務」など知るにつけ、そのスケールの

大きさ、そこで働く人足達の生活を支えてきたことなど往時を偲ぶことができました。

もう一つ、東海道とは直接関連が薄いかもしれませんが、近くまで来た関係で幸運にも、木造の橋で世界一長い

「蓬莱橋」も見る機会に恵まれました。  有難うございました。

次の例会では、いったん島田一里塚跡へ立ち寄り、青島一里塚跡周辺から藤枝宿へ向かいます。ホームが岐阜県

ですので、いつも逆コースを歩いていますが申し訳なく思っています。

 

                                                      概略行程図

                        JR金谷駅~大井川橋~島田宿~川会所(午前中)

    

             JR金谷宿                          定飛脚問屋(三度屋)跡

                                     田町の南側に「朝倉屋何衛門」北側に「黒田屋重衛門」

                                     という定飛脚の問屋がありました。定飛脚とは「三都定

                                     飛脚」ともいい江戸と京・大阪を定期的に往復した民間

                                     の飛脚で月に三度出したところから「三度屋」とも呼ば

                                     れました。またこの飛脚がかぶった笠を「三度笠」と

                                     呼びました。

   

           お七里役所跡                           金谷宿本陣跡(柏屋)

徳川御三家の一つ紀州家が重要書類の送信のために

七里ごとに置いた飛脚の継立所(飛脚小屋)のことです。

  

         金谷宿本陣跡(佐塚屋)                   金谷宿本陣跡(山田屋)

                                    元禄~正徳(1688~1715)頃には本陣は柏屋・佐塚

                                    屋でしたが、貞享元年(1684)に脇本陣から3番目の

                                    本陣として格上げになった。

  

    西照寺(顕女上人絵像・市指定文化財)                清水川起点・一級河川

 顕女上人絵像は安土桃山時代に活躍した浄土真宗       東海道・金谷中町交差点から東へ進んだところで

 本願寺12世顕如上人(1,543~1,592)を描いた絵図   三つの川の合流点での表示板を見てビックリ。

 で、当山創建時より寺宝として伝えられています。     川には藻が生えて水も汚れが目立っていました。   

   

           日本左衛門首塚                            加藤家跡

日本左衛門は本名浜島庄兵衛といい歌舞伎の白波      ここに平成16年まで江戸時代に建てられた旧家、加藤

五人男」のモデルになった義賊。追われて京都で自首し  家が残っていました。地元では、しとみ戸などを含め

、延享4年(1747)、根城としていた見付宿(現在の    昔の姿の復元を目指しています。

磐田市)でさらし首になった。 その首を恋人の「小まん」

がひそかに持ち帰り、宅円庵に葬ったといわれる。

  

          金谷宿川越し場跡                        仲田源蔵翁碑・水神公園 

    

                                      仲田源蔵翁・経歴

   

                             大井川橋

    大井川橋は昭和3年に架設された鋼製のトラス橋です。  橋の長さは1,026.4mです。

                 

            島田宿                            島田市博物館

                                     川越しや島田宿の資料が展示されている。

                         

                          朝顔の松 

   浄瑠璃「朝顔日記」では、恋する人を慕って朝顔という名の三味線引きとなって流浪する盲目の娘深雪が

   大井川のほとりで、川留めの悲運に泣くが、その時、奇跡的に目が治るくだりがあり、当時江戸で大評判

   となった。 このことから地元では大井川畔の巨松を「朝顔の松」となずけた。現在は後継の松が川風に

   ゆられている。

  

                            川会所

  元禄9年(1696)に川越制度が改正されてから、川役人が川越業務を行ってきたところです。現存する建物

  は安政3年(1856)に建てられたもので、明治以降数回に及ぶ移転を経て昭和45年(1970)に建立当初

  の近い現在地に復元保存されました。

     

                                  概略行程図

                    川会所~大善寺~大井神社~島田一里塚跡&蓬莱橋

  

                      島田宿大井川川越遺跡略図

  大井川を渡る旅人のために元禄9年(1696)年に川越制度ができ、川庄屋がおかれた。 川会所には

この制度に基づき、川越賃銭の決定、渡渉順次の割り振りなど川越業務の管理運営を行った所。

川会所をはじめとした建物は昭和45年島田宿大井川川越遺跡として現在地に復元された。

   

                川越茶屋                             札場

                                      川越人足が川札を換金するところで、昔ながらの

                                      位置に保存されています。

   

         吉三郎の墓(関川庵境内)                        二番館

      八百屋お七の恋人、吉三郎の墓           人足たちの集合場所が一番宿、二番宿とよばれた。

                                       

    

         島田市博物館分館                   塚本家(上段の間が存在する。)  

                                             

   

             大善寺                         大善寺の梵鐘(中央部部に見える)

   

                               説明板

   

                         大井神社・島田の帯祭り 

 大井神社は島田の産土神の神社。元禄元年に始まった、3年に1度、10月中旬の3日間の帯祭りが有名。

島田に嫁いだ女性が氏子になった報告と安産を祈願して大井神社に詣でた後、晴れ着で街中を披露した

のが、やがて持参の帯を大奴に託し披露するようになったのが始まり。

               

             島田宿本陣跡                      島田宿本陣跡&からくり人形

  

               定時になると扉を開き、カラクリにより帯踊りをする場面

   

        カラクリによって帯踊りをする。(アップ)               島田一里塚跡

    

                             蓬莱橋入口

  明治12年(1879)に開拓した牧之原の茶畑へ行く橋として作られた全長897.4m、通行幅2.7mの

  木製橋です。平成9年(1997)に世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに登録されています。

  名前は、明治3年(1870)開拓している幕臣の激励のため牧之原を訪れた静岡藩主、16代徳川家達

  からつけられたとされています。

  

                            蓬莱橋を対岸から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 


曽爾高原・いろいろ

2012年11月02日 07時12分43秒 | Weblog

10月31日、探歩会にて、秋の長距離日帰りバス旅行で奈良県宇陀郡曽爾村にある「曽爾高原」へ行って

まいりました。  観光バスにゆられて片道約4時間をかけての到着。

斜面を覆う高原のすすきが魅せる一面銀色の世界。 なめらかなスロープを描く倶留曽山の大自然の中

好天にも恵まれのんびりと散策。歩いたコースは、曽爾高原入口⇒お亀池⇒曽爾高原⇒亀山峠⇒遊歩道

をとおり一周。 そのあと(曽爾高原ファームガーデン」に立ち寄り一休み。  心から癒された1日でした。

                          お亀池周辺の憩いの場所

                 憩いの場所からの周辺景色(お亀池とは反対方向)

                         亀山峠への登り口

                   亀山峠への途中から「お亀池」を望む

                亀山峠方面から「国立曽爾青少年自然の家」を望む

                        お亀池周辺(1)

                          お亀池周辺(2)

                       お亀池周辺から反対方向を望む(3)

                        お亀池周辺(4)

                        お亀池周辺から反対方向を望む(5)