きまぐれストロール

植物、風景などを主として

天然クロメダカ(メダカ科)

2006年06月29日 11時24分51秒 | Weblog
天然クロメダカ生息地(須衛方面の小川)
水槽の中のクロメダカ
水槽の中のクロメダカ悠然と泳ぐクロメダカちょっと窮屈だなあ側面からの泳ぎぷり生まれたばっかり

もう、飼い始めて十年くらいになるのかなあ~   須衛方面の太田川の改修工事の際、
メダカを保護するため捕獲した10数匹を分けてもらい大事に育て数を増やしたものです。
大半はもとの川にもどし、その一部を飼育し数を増やしております。

ところが、6/27の中日新聞の夕刊によると、「従来、メダカ目に属していたニホンメダカとカダヤシがカダヤシ目の新設を提唱されたことによりメダカの仲間が1,000種から→メダカ科のみの15種に限定されるのが国内でも主流を占め始めた。」との記事があり、
東山動物園のメダカ館内でも困惑とのこと。
この先、どう決着がつくやら……

歴史街道を歩いて(伏見宿から御嵩宿へ)③

2006年06月24日 20時18分55秒 | Weblog

嵩 

 

女郎塚 伏見宿本陣跡
願興寺 御嵩宿本陣

晴天のなか、会のメンバーとともに名鉄の明智駅で下車、地元ボランテアの出迎えを受け、伏見宿周辺の女郎塚をはじめ本陣跡などの説明を拝聴しました。

徒歩で21号線に沿って御嵩宿までの1時間超の間、顔戸城址、鬼の首塚を経て
御嵩宿に到着。、

願興寺では薬師如来をはじめ金箔の仏像を目の当たりにし、感動に浸りました。
また、尼僧の言葉巧みな「節法」と心に響く有難い「お経」にも心洗われる1日でした。


みたけの森

2006年06月10日 23時20分14秒 | Weblog
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情報を頂いて、友人とみたけの森に行ってきました。
毎年、この時期に見に行っていますが、今年も見事に咲いていました。
年々、自生地のエリアが広がっているように思います。


高原湿原

花は何も咲いていませんでした。八丁トンボの姿もなく、
なぜか、シオカラトンボのみが目の前に止まりました。
この湿原に咲く花はミミカキグサ、サワギキョウ、ラン類など
夏季
のものが殆んどであることが案内板でわかりました。


コーヒー、それともサクランボの木かな

2006年06月06日 17時05分56秒 | Weblog
サクランボかな


コーヒーの木を購入してから7~8年ですが、実をつけるようになったのはここ4~5年です。
寒さに弱いので気温が10度以下になるような時期には室内に取り込んでいます。
食すると甘くほのかに苦味があります。

種類は代表的なものにアラビカ、ロブスタ、リベリカ種がありますがこれは何種か全くわかりません。
誰か教えてくれませんか。 
                   (画像の上でクリックしてね。)

クリンソウを求めて

2006年06月04日 21時07分53秒 | Weblog
クリンソウ


宇津江四十八滝

友人とクリンソウをもとめて「花の森四十八滝山野草花園」へ行ってきました。
自然の地形を生かした山林の中にあります。
園内一面に広がる約7万本のクリンソウは5月下旬から6月中旬頃まで花を咲かせるそうです。見る人を圧倒します。
他にも、ササユリ、アジサイ等も6月下旬以降7月中旬頃まで楽しめるとのことです。

隣接する宇津江四十八滝にも足を運びました。滝からの涼風に吹かれ爽やかな一時を過ごしました。        


 五条川周辺の散策

2006年06月01日 13時35分54秒 | Weblog
のんぼり屋山内一豊の誕生地碑
誓願寺岩倉城跡

■岩倉市には2軒の「のんぼり屋」がある。ともに松浦の姓を持つ老舗である。
鯉のぼりを作るようになったのは大正末・昭和初期のころである。
「のんぼり屋」が有名になったのは伝統的な手法で作っていたからである。

なかでも工程の1つである「のりおとし」は、毎年2月から4月初旬の五条川の「のんぼり洗い」として一大風物詩となっている。
目の前のものは相撲力士ののぼりを天日乾燥中のものです。

■山内一豊は、天文14年(1545)7月に岩倉織田家の家老但馬守盛豊の次男として岩倉の地に誕生したといわれます。
一豊は信長が美濃支配をした永禄10年(1567)ころから信長に仕えるようになり
天正18年(1590年)には掛川(静岡県)で6万石の城主となりました。

秀吉死後は家康に味方し慶長5年(1600年)に土佐20万石の領主となり、高知城を築城。

■誓願寺は信安夫人が母の菩提寺として建立されたと伝えられます。
信安は岩倉城主の中でも最も著名な人物です。
境内には信安の子、津田新十郎によって立てられた信安夫妻の墓がある。

現在の仏殿は建立以来170年ですが昭和53年大改築をしその威容が
一段と際立っている。

■織田信長は天文24年(1555年)清洲城主となりました。
このころの岩倉城主は織田信安で、信長と反目しあい永禄元年(1558年)両者は
「浮野」で戦い永禄2年(1559)信長に落城させられるまで織田伊勢守の本城として
約80年間尾張上四郡支配の拠点となっていました。

いわくら塾(ボランティア)の案内により、探歩会のメンバーとともに五条川周辺を散策しました。
歴史について教えられることが多い1日でした