■岩倉市には2軒の「のんぼり屋」がある。ともに松浦の姓を持つ老舗である。
鯉のぼりを作るようになったのは大正末・昭和初期のころである。
「のんぼり屋」が有名になったのは伝統的な手法で作っていたからである。
なかでも工程の1つである「のりおとし」は、毎年2月から4月初旬の五条川の「のんぼり洗い」として一大風物詩となっている。
目の前のものは相撲力士ののぼりを天日乾燥中のものです。
■山内一豊は、天文14年(1545)7月に岩倉織田家の家老但馬守盛豊の次男として岩倉の地に誕生したといわれます。
一豊は信長が美濃支配をした永禄10年(1567)ころから信長に仕えるようになり
天正18年(1590年)には掛川(静岡県)で6万石の城主となりました。
秀吉死後は家康に味方し慶長5年(1600年)に土佐20万石の領主となり、高知城を築城。
■誓願寺は信安夫人が母の菩提寺として建立されたと伝えられます。
信安は岩倉城主の中でも最も著名な人物です。
境内には信安の子、津田新十郎によって立てられた信安夫妻の墓がある。
現在の仏殿は建立以来170年ですが昭和53年大改築をしその威容が
一段と際立っている。
■織田信長は天文24年(1555年)清洲城主となりました。
このころの岩倉城主は織田信安で、信長と反目しあい永禄元年(1558年)両者は
「浮野」で戦い永禄2年(1559)信長に落城させられるまで織田伊勢守の本城として
約80年間尾張上四郡支配の拠点となっていました。
いわくら塾(ボランティア)の案内により、探歩会のメンバーとともに五条川周辺を散策しました。
歴史について教えられることが多い1日でした