<関市円空館・円空入定塚・円空の墓(右端)
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円空は若くして出家し岐阜県を中心に北海道から近畿地方の諸国をめぐり、修行を重ねながら、おびただしい数の像を人々の幸を願いながら彫り続けました。
現在、知られている像は5,200体ほどあります。晩年関市池尻の弥勒寺を中興し、1689年の時、滋賀県園城寺尊栄から血脈を受けその末寺となりました。
1695年死期を悟り円空は7月13日弟子円長に血脈を与え7月15日長良川河畔で入定し、64年の生涯を終えました。(パンフレットより抜粋)
■関市円空館 弥勒寺西遺跡の場所にある関市円空館に入館。 最初に『円空を訪ねて』の映像が上映され、その後展示室に入りました。
展示品は円空関係と軍衙(役所)関係物品があり円空関係では仏像のほか円空自筆の文書(写し)、史料(近世畸人伝)など。
軍衙関係では弥勒寺跡から発掘された瓦、須恵器(弥勒寺東遺跡)などを観察しました。
なお、関市内にはこれまでに294体ほどの円空仏が知られているそうです。
円空仏の素朴な微笑みに心なごんだ1日でした。
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弥勒寺(H6.建立)・弥勒寺遺跡群
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円空が中興した弥勒寺には古い歴史があります。
飛鳥時代、この地方の豪族であった身月君広(ムゲツキミヒロ)氏は壬申の乱(672年)における功績が認められ中央政府の援助を受け七堂伽藍を備えた寺院を建立した。
この寺は弥勒寺跡として昭和34年に国指定史跡になりました。
平成6~12年の弥勒寺跡の東区域一帯の調査で武儀役所跡がみつかり、又平成14年円空館建設に伴う西側の谷の発掘調査で祭祀場跡が見つかりました。さらに西の白山神社の裾にはムゲツ氏の祖先の墓と考えられる池尻大塚古墳もあり、この一帯はムゲツ氏の拠点でした。
このような遺跡群は全国的にも稀で強い関心が寄せられているそうです。
(パンフレットより抜粋)