きまぐれストロール

植物、風景などを主として

津谷川の彼岸花&養老の滝

2011年09月30日 07時08分03秒 | Weblog

9月28日晴天、探歩会の例会で岐阜県海津市養老町にある「養老の滝」&海津市南濃町にある津谷川の

「彼岸花」を見てまいりました。午前中は養老公園内の「こどもの国PA」から「養老の滝」間の往復路の散策。 

午後は「津谷川の彼岸花」&道の駅「月見の里南濃」へと終日楽しんでまいりました。

 

     岐阜県こどもの国の入口前出発                     養老の滝方面へ向かう

       

大野万木句碑:「さりかたき滝の養老夕もみじ」大野伴睦             養老の滝

は郷土美濃国が生んだ大政治家です。俳号を「万木」と

いいました。岐阜西濃両地区に18句碑を残しています。

 

            滝つぼ                   養老の滝:滝の水が酒に変わったという「孝子源丞内」

                                    の昔話秘め、古来、文人墨客に親しまれてきた名瀑で

                                    である。 落差30m、巾約4m(日本滝百選の指定)

 

         1丁と刻まれた自然石             養老公園の丁石:丁石は神社仏閣などへの距離を示

                                    した道標の1種です。 養老公園にも滝までの距離を示

                                    した丁石が幾つか残っています。ここには1毛~1里ま

                                    でが表示されています。たとえば、1毛=0.0303ミリ 

                            1丁=60間=109.09メートル、1里=36丁=3.9273メートル

 

           リフトのりば                  養老神社:美濃の国神明帳に養老明神。永正元年(15

                                    04)、菅公を合祀して菊水泉のほとりにあるので菊水

                                    天神とも呼び、明治の初期養老神社と改称、北の行宮

                                    跡(神社)から元正・聖武天皇祭場を奉移しました。

 

菊水霊泉:霊亀3年(717)元正女帝は奈良の都から     名水を汲む場所として設けられている。

行幸になり自ら飲浴され、「老いを養う霊泉」と元号を

養老と改められました。養老山地から湧き出るミネラル

を含む水は病にきく「菊水泉」と名付けられた。(日本の

名水百選に指定されている。)

                                                                                                               

横綱鬼面山碑:第13代横綱鬼面山谷五郎は文政九年

養老山麓鷲巣の農家に生まれました。京都力士を経て

25歳の時、江戸相撲武隅部屋に入門して修業しました。

鬼面山は全盛時代6尺1寸(186センチ)、39貫(146

キロ)の巨漢でした。  明治2年横綱に昇進。 

 

         津谷川の彼岸花(6~7分咲き)                     彼岸花

 

             彼岸花                                彼岸花

                  

                               彼岸花

 津谷川の彼岸花:地元の人の談によると、今年はこの地方でも15号台風の影響を受け平常時の水位より

1.5mほど高く水嵩が増したとのこと。 その影響で堤防のすそのは、泥が付着しているのが眼にクッキリと

確認できました。  すべて広角で撮影したものからのUPとなりました。   残念でした。

 

      1日駆けずり回って足湯でスッキリ!               行き先の周辺地図


中山道鵜沼宿完成記念祭

2011年09月25日 06時27分08秒 | Weblog

9月23日晴天、平成18年から中山道鵜沼宿再生整備計画を実施し、5年の歳月をかけ鵜沼宿が往時を偲ば

せる町並みに再生しました。 完成、そして新たな歴史の始まりという思いをこめ「中山道鵜沼宿完成記念祭」を

開催いたします。 また、犬山市と各務原市との間でまちづくり盟約を結び、これから木曽川をはさんだ両市が

交流をしていきます。(完成記念祭・資料参照)

その記念祭のなかで、主なイベントを次に紹介いたします。

①開会式

②木遣(やり)音頭

②ららら・わん丸君写真撮影会

③虚無僧行列及び籠行列など

 

各務原あすか太鼓保存会による和太鼓の演奏後、に  鵜沼宿完成に御尽力された方々が整列されていました。

開会式が行われました。                     

 

 

順次、 御尽力された方々の御挨拶とともに今後の鵜沼宿  開会式後、木曽川鵜飼の実演披露もありました。

の取り組み、また、よりよい宿場に育ていきたい旨の抱負

などの御言葉を拝聴しました。

 

犬山市のキャンペーンクルーによる広報活動等。      各務原のゆるキャラ「ららら」と ミス各務原による写真

                                      撮影会。

  

各務原のゆるキャラ「ららら」と犬山市のゆるキャラ「わ   交流館前に整列した虚無僧たち。

ん丸君」が同時に登場すると共に両市のミスが街道に華

を添えました。

  

袈裟を掛け、編笠をかぶった虚無僧が街道の中央部  鵜沼宿場内の路肩を流れる川で、どっぷりと涼をとり

で尺八を演奏しました。                    御満悦のお子様。 そのかわいらしさに思わずカメラマン

                                   たちがカメラを向けていました。

                      虚無僧が演奏しながら宿場内を行脚。

 

 

 

 

 


正ヶ洞棚田&阿弥陀滝

2011年09月22日 06時19分19秒 | Weblog

9月19日晴、早朝友人に誘われ、ふらりと岐阜県郡上市白鳥町前谷地区にある「日本棚田百選」の1つである

「正ヶ洞棚田」に出掛けました。 正ヶ洞棚田は戦国時代から江戸初期にかけて開墾された水田で、その規模は

24枚 、2.7haです。  その集落はその棚田を囲むように形成され、周囲の景観はのどかな山里そのもので

した。  また、この白鳥町は古くから白山信仰の登拝拠点となっており、前谷地区から石徹白地区への旧道は

かつて白山信仰として栄えた歴史街道でした。そのあと、すぐ近くにある阿弥陀の滝へと足を進めていました。 

以前、来た時より水量が増し、水煙を吹き上げる迫力のすさまじさは、感動ものでした。

 

      正ヶ洞展望地付近で農作業中の人                正ヶ洞展望地付近の棚田

                          正ヶ洞棚田(日本棚田百選)

 

展望地からさらにその先にある高鷲町小洞地区の棚田            小洞地区棚田

 

                      

       阿弥陀ヶ滝入口付近                         阿弥陀ヶ滝への途中で

            

        阿弥陀ヶ滝の途中で                      阿弥陀ヶ滝(入口から300m) 

                     

            阿弥陀ヶ滝                         阿弥陀ヶ滝の滝壺

                   

                         阿弥陀ヶ滝:落差60m

 

 

 

 

 

 

 


土山宿~坂下宿

2011年09月12日 09時44分58秒 | Weblog

   9月10日晴天、「歴史街道を歩く会」の例会で、東海道の「土山宿から坂下宿」まで歩いてきました。

   本来「5月の例会」で予定されていましたが、 天候不順が続き今月まで延期となりました。

   ♪♪ 坂は照る々鈴鹿は曇る間の土山雨が降る ♪♪   この唄に歌われているように 非常に雨の多い所

  で有名です。

  この日の鈴鹿峠は、心地よい冷風が吹き心身ともに癒されました。  その後、峠を越え 坂下宿まで散策

  しましたが、終日好天に恵まれました。 

  ☆予定されたコースは終了しましたが、まだ、もう少し時間的な余裕がありましたので次会予定の亀山宿の

  一部(2か所)を急遽見ることなりました。   

 

田村神社:社伝では弘仁3年(812)に創建されたという。  田村神社境内内にある高札場跡

坂上田村麻呂が鈴鹿の山賊を退治したという伝承で

知られている。

 

蟹坂古戦場跡:天文11年(1542)伊勢の国司北畠具   榎島神社:白川神社の末社。 神木のシイの木は

教は甲賀に侵入しようとして、山中城を攻めさせた。     樹齢400年以上。

当時の山中城主は山中丹後守秀国であり、秀国は

直ちに防戦態勢を整え北畑軍を敗走させた。 

 

明治天皇聖跡碑&旅籠中屋跡                 山中一里塚公園

 

 

歴史街道を歩いていた他のサークルの人達。       十楽寺:浄土宗 清浄山十楽寺、開基 文明18年(14

                                    86)寂照。 本尊は阿弥陀如来。 

 

万人講常夜燈:江戸時代に金毘羅参りをする旅人の   鈴鹿国定公園の標識(向って右側)

道中安全を祈願して建立されたものである。 重さ38

トン、高さ、5m44cmの自然石。

 

鈴鹿山の鏡岩:硅石の断層によってこすられた露出面   馬の水飲み鉢

につやが出たもので、昔、峠に住む盗賊が旅人の姿を

この岩に映して危害を加えたという伝説から「鬼の姿見」

とも言われている。

 

片山神社:延喜式内社で鎌倉時代にここに鎮座してい  小竹屋脇本陣:「坂の下では大竹小竹 宿がとりたや

たという。 平成11年に本殿など焼失し、現在は神楽   小竹屋に」。 大竹は坂下宿本陣のこと。 この時代、

殿のみが残り、高い石垣にかつての面影をとどめてい  本陣には一般の旅人は宿泊できなかった。小竹屋は

る。                                  大竹屋の分家格の脇本陣。 せめて有名な小竹屋に

                                    一度は泊ってみたいものだナァとの願望を唄ったもの

                                                                                                                                                                

法安寺:坂下宿で唯一の本陣建物の遺構・「松屋本陣  梅屋本陣跡:坂下宿は難所の鈴鹿峠を控え、江戸時

門」がこの寺の「庫裡の玄関」として残されている。    代後期には大竹屋・松屋・梅屋の本陣、小竹屋脇本

                                    陣がありました。

 

松屋本陣跡                             鈴鹿馬子唄会館:鈴鹿馬子唄と鈴鹿峠の歴史文化

                                     について常設展示されています。

 

和田一里塚 :亀山宿内に野村一里塚とともに所在す  石上寺:空海が創建したという。 鎌倉時代には建久 

る一里塚です。                            6年(1195)将軍家代々の祈願所に定められていた。