3月23日(土)晴、今回の例会は「阿部川から府中宿の清水寺」までとちょっと足を延ばして「静岡浅間神社
(通称おせんげんさま)」を見てまいりました。サークルとして活動していても、 府中宿場内は人通りも多い町中で
見るところも多く、遺跡場所を通り過ぎてしまった所も多い。 歩いて見て、印象に残ったところは、阿部川の義夫
の碑。 かつて、ここでと思われる意外な場所にあった駿府銀座発祥の地、山岡・西郷会見の史跡、そして、武将
ゆかりの諸々の神社など がありました。
最後に足を延ばした「通称おせんげんさま」の漆塗り・極彩色のその美しさには、心奪われる思いでした。
府中宿(阿部川~常盤公園まで)
阿部川 阿部川の義夫の碑
阿部川の義夫の碑の説明板
元祖・阿部川餅せきべや 「創業文化元年(1804)」 阿部川架橋の碑
この石碑は阿部川架橋の顛末を後世の人に伝える
ために明治41年に建立。 (昭和61年3月 静岡市)
阿部川川会所跡
阿部川の川会所跡の説明板
府中一里塚跡
別雷神社(わけいかづち) 常盤公園
応仁4年(273)に創建され、玉依姫命と別雷神の 午前の休憩
二座が祀られました。京都の賀茂別雷神分霊社で
あり、足利善政、今川家、武田家、豊臣秀吉、徳川家康
ら武将の崇拝も厚かった。
府中宿(常盤公園~清水寺&浅間神社)
)
十辺舎一九の生家跡伝承地 駿府銀座発祥の地
「膝栗毛」で名高い江戸の戯作者、十辺舎一九は 駿府に銀座が置かれたのは慶長11年(1606)のこと
駿府町奉行同心の長男として明和2年(1765) です。 しかし慶長12年(1607)に江戸に移動。
この地、両替町1丁目で生まれ幼名市九、名は貞一 この銀座があったのでこの地が両替町となった。
という。 38歳「東海道膝栗毛」を刊行し、一躍、一九
の文名は有名になった。
札の辻址 小梳神社
交差点のある高札場のあった場所
小梳神社の説明板
新庄道雄の碑(小梳神社内) 駿府城の石垣
駿府江川町に生まれた町人学者で幼いころから漢籍 近くを通り過ぎた時に撮影
天文・和歌等に親しみ、後には国学者平田篤胤に師事し
「駿河国新風土記」を著わした。この石碑は道雄の死後
の天保7年(1836)に追悼のため設立された。
西郷・山岡会見之史跡 上伝馬本陣・脇本陣跡
ここは慶応4年3月9日東征軍参謀西郷隆盛と幕臣
山岡鐡太郎の会見した松屋源兵衛宅跡でこれに
よって江戸が無血開城されたので明治維新史上最も
重要な史跡です。
下伝馬本陣・脇本陣跡 珠賀美神社
寶泰禅寺 久能山東照宮道
興津の清見寺、静岡の臨斎寺と並ぶ駿河三刹の一つ
です。衰退した大寺院を永徳元年(1381)後醍醐天皇
の皇子が再建し、170年後に雪峰禅師が再興した
臨済宗の寺院です。
久能山東照宮道の説明板(1)
久能山東照宮道の説明板(2)
清水寺
清水寺の説明板
大歳御祖神社 (おおとしみおや)
神部神社・浅間神社(以上二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげん
さま)と申し上げ、何れもご創立は千古の昔にさかのぼり、駿河国総社として広く信仰されている。三社とも
鎌倉時代以降、歴代幕府の崇敬を受け、特に江戸時代には徳川家の厚い尊敬をうけて、寛永・文化年間両度
の大造営がおこなわれた。 ことに文化元年(1804)から60年余の歳月と、当時の金額で十満両の巨費を投
じて建築されたのが現在の社殿群である。
八千戈神社(重文)(境内社)
神部神社(かんべ)・浅間(あさま)神社大拝殿(重文)(二社同殿)
神部神社・浅間神社舞殿(重文)(二社同殿)
神部神社・浅間神社楼門(重文)(二社同殿)
神部神社・浅間神社本殿(重文)(二社同殿)