12月17日晴天、「歴史街道を歩く会」の例会で東海道・「吉田宿から二川宿」まで歩いてきました。
「吉田宿と二川宿」2駅の宿場間は、時間的制約から、とくに何もないと思われたことから省略し、貸切バス
を利用し通過しました。
どの宿場も見所が多くありました。 それらをじっくりと時間をかけて見物したいと常に想っていました。
復路についても、R1の車窓からながめる吉田城の隅櫓や山上の聖観音立像を遠望しながらの帰路となりました。
吉田宿案内図
湊神明社:伊勢神宮とのかかわりが深く天照皇太神 湊築島弁天社
を祀る。境内の池には弁天社が建つ。
旅寝塚句碑:「寒けれど 二人旅寝ぞ たのもしき」 豊橋空襲犠牲者追悼の碑(弁天社境内)
(芭蕉句碑)
豊川(旧吉田川) 吉田宿西総門跡
吉田宿本陣跡:吉田宿には本陣は二軒あった。 市電:ゆっくり走っている路面電車がなんとなくスマート
その一つである。 に感じられました。
吉田宿問屋場跡 豊橋市公会堂:昭和6年建立。鉄筋コンクリート造り
3階建て。
豊橋市公会堂内に建てられている豊橋市のシンボル 吉田城三の丸口門跡
豊橋ハリストス正教会:大正2年に建てられたロシア 安久美神戸神明社:二月10日・11日に行われる
正教の教会。ビザンチン様式の白亜の聖堂は、非常 鬼祭りは、国の重要無形文化財に指定されている
に美しい。(国の重要文化財) 天下の奇祭。暴ぶる神(赤鬼)と武神(天狗)が戦
暴ぶる神の退散を喜んで舞う神楽は有名。
安久美神戸神明社内の鬼 史跡曲尺手門址:城内に入る入口として関屋口・外
天王口・本町口・大手門などの門があった。
そのうちのひとつ曲尺手町口のあった場所に石碑が
建てられた。
東総門跡 秋葉山常夜燈:文化2年(1805)、東海道と本坂通
りの分岐点に建立されました。戦後豊橋公園内に
移築されていましたが、平成13年、現在地に移築。
總本地不動院の山門 寿泉禅寺
寿泉禅寺の「三重ノ塔」:説明板に薬師瑠璃光如来と 向山の大池 :吉田藩は新田開発とともに多くの農業
あった。 用ため池を築造。向山の大池もその1つだが、現在
は緑地公園の中にあり、多くの市民の憩いの場とな
っている。
二川宿案内図
岩屋江道標:三河国三十三霊場の二番札所岩屋観音への
道標として、弘化4年(1847)にたてられたものです。
大岩神明社 :文武天皇二年に岩屋山の南に建てら 西問屋跡:二川宿では二川と大岩の2ヶ所の問屋場
れたのが最初と伝えられる。 大岩村の氏神。 で交代で勤めていた。
高札場跡 二川宿本陣資料館&旅籠屋(清明屋):昭和63年
より改修工事を行い江戸時代末期の姿を再現した。
本陣入口 本陣上段の間
本陣・内部の展示品 旅籠屋(清明屋):本陣東に隣接する清明屋は平成14
より改修復元工事を行い江戸時代末期の姿に復元しま
した。
資料館 脇本陣
まちなか公園:旧宿場の中心にある憩いの場です。 商家「駒屋」:江戸時代後期の建物、往時の商家の形
式をよく残している。 文化11年(1814)に建立。
路地裏の風景(枡形) 二川宿のシンボル・タワー
妙泉寺:寛政10年(1798)に建立され、明治12年 あじさい花塚{妙泉寺境内):芭蕉の句碑があり
に隣の十王院から移築された。 「阿ちさゐや藪を小庭の別座敷」という句と、世話人
である二川宿の俳人9人の名が刻まれている。
二川1里塚・観光案内所:江戸日本橋より数えて 高札場:二川宿では二川・大岩境の枡形南側に東向
72番目の1里塚。{手前の道標)及び二川宿観光 きに建てられていた。
案内所。