「歴史街道を歩く会」の特別例会として有志17名が、中山道・坂本宿~深谷宿までの2泊3日の旅に出かけました。
第1日目、各務原・鵜沼を7:00に出発、中央道を貸切マイクロバスでひたすら走り、目的地、碓氷峠見晴らし台に
12:00頃到着。 小休止の後、限られた時間で行けるところまでということで松井田宿の 五料茶屋本陣までと
なる。 五料茶屋本陣では、閉館間際に滑り込みセーフ。 この時点で17:45は過ぎていただろうか。
熊野神社:碓氷峠の頂上に位置し県境に立つこの神社 1つ家の碑:この碑は「やまみちはさむくさみしなひとつ
群馬県民は「熊野神社」と呼び、長野県民は「熊野皇 やに、よごとみにしむももよおくしむ」と読む。 弁慶が
大神社」と呼ぶ。 爪で書いたといわれている。
この碑は後に建て替えられたものです。
峠越えの道:この道は安政遠足マラソンコースとして 人馬施行所跡:文政11年(1828)江戸呉服の与兵衛
使われており、5月の第2日曜日に例年開催される。 が安中藩より借り受け人馬の休む場所を建築した所。
陣場が原:戦国時代、武田方と上杉方の碓氷峠合戦記 山中茶屋跡:峠の真ん中にある茶屋で寛文2年(1662)
がある。笹沢から子持ち山の間は萱野原でここが古戦場 には13軒の茶屋があり、明治の頃小学校もあった。
といわれている。
栗が原: 明治天皇が御巡幸した道路と中山道の分岐 1里塚:座頭ころがしの坂を下ったところに慶長以前
点。群馬県で最初の「見回り方屯所」があったところ。 の東山道があった。 ここから昔は登っていた。
これが交番のはじまりです。
堀切:天正18年(1590)秀吉の小田原攻めで北陸 碓氷峠の関所跡:昌泰2年(899)碓氷の坂に関所を
信州軍を松井打田城主大導寺駿河守が防戦しようと 設けた場所と思われる。
した場所で道は狭く両側は掘り切られている。
道路標識:坂本宿まで2.5km、熊野神社まで6.4km 四軒茶屋跡:刎石山の頂上で、昔ここに4軒茶屋が
の標識。 あった。 今でも石垣が残っている。
覗:坂本宿を見下ろせる場所で山梨の老木がある 堂峰番所:堂峰の見晴らしの良い場所の石垣の上に
一茶は「坂本や袂の下の夕ひばり」と詠んだ。 番所を構え、関門は両方谷がせまっている場所を
さらに掘りきって道幅だけとした場所に設置されていた。
峠入口案内板:熊野神社に到達するまでの道のりが 旧信越線トンネル:現在は遊歩道「アプトの道」として
案内されている。 ハイキングコースとなっている。
峠の湯付近からの妙義山 八幡宮:狛犬は表情がユニーク、鳥居の額の書も必見
つたや:明治末期、若山牧水が一夜宿泊した旅籠 かぎや:坂本宿の面影を残す代表的な建物です。
酒屋脇本陣跡:現在地区の公民館として使われている 脇本陣(永井家)
佐藤本陣跡&坂本小学校発祥地:明治8年佐藤本陣を 碓氷関所跡:醍醐天皇の昌泰2年(899)に群盗を取り
仮校舎にあて坂本小学校を開校。 その後佐藤家は 締まるために、関所が碓氷坂に設けられた。この地に
移住。 現在の家屋はその跡地に明治34年に小竹屋 関所が移ったのは元和年間(1615~1623)といわれ
の分家として建てられたものです。 幕藩体制を中心とした徳川幕府の確立・安定を担った。
五料の茶屋本陣・お西:江戸時代参勤交代などで
中山道を通行する大名や公家などが休息した場所です。