11月11日雨、「ヒストリー各務野会」、恒例であります年1回のバス旅行で、過去数年は奈良の正倉院の
見学が通例でした。 今回は、会員全員のご賛同をえまして、「安土城と石山寺」の見学をすることに決定し
ました。 当日はあいにく雨模様でしたが、 幸いにも、小雨が降る程度でした。
やはり、直に名勝史跡を見て廻りますと、その有意義さを感じた1日でした。
大手道入口:幅6m、全長130m。 直線の大手道。 豊臣秀吉邸址
両側には石組の水路がある。
前田利家邸址:大手道を挟んで秀吉邸のまえに位置 總見寺仮本堂(徳川家康邸跡):入口に「本日の特別
したところにありました。 拝観終了しました。」の看板がありました。
石段は天守閣まで続く。 石段:この石仏は築城の際に大手道の石材として使
傘を差し足元に注意しながら登る。 われたものです。
武井夕庵邸 :戦国時代の武将、茶人。 黒金門跡:積まれた石材が他の場所よりも大きな石が
使われていた。
仏足石:この上に仏足の形状が刻まれている。 二の丸跡&本廟:左側が二の丸、奥まったところが廟
二の丸跡 本廟:羽柴秀吉は天正11年(1583)に太刀、烏帽子
等の遺品を埋葬して本廟とした。
本丸跡:「信長公記」によればこの建物には天皇を招 天守閣への階段
き入れる「御幸の間」があったと記載されている。
天守閣跡:礎石の跡が浮き出て見られた。 天守閣から琵琶湖方面の眺望、往時はすべて湖面で
この礎石の上に5層7階、高さ33mの木造高層 した。
建築が、当時、聳えていた。
織田家四代の墓 :左から二代目高長 、三代目長頼 三重の塔:室町時代の建物で、天正3~4年に信長
四代目信武、初代信雄。 公が甲賀の長寿寺(甲賀市石部町)から移建したも
のとされる。
三重の塔付近からの眺望 二王門:棟木に「元亀2年(1571)7月甲賀武士山
中俊好建立」とある。 信長公が天正年間に甲賀か
ら移した。
信長館 館内の天守閣:1992年「スペイン・セビリア万国博覧
会の日本館のメイン展示品として安土城天主の最上部
5階6階部分が東大、東京芸大等の指導あって内部の
障壁画と共に原寸大にて忠実に復元された。
天守閣5階黄金の間:仏教の世界観による理想郷を 6階内部:信長の座所、座敷の内外はすべて金。
象徴しています。 襖絵には中国の偉人が描かれていた。
石山寺界隈
石山寺東大門:建久元年(1190)源頼朝の寄進に 参道
より創建。慶長年間に大修理。
右から観音堂、毘沙門堂および御影堂と並び観音堂 本堂前
には西国33ヶ所の観音様が祀られています。
本堂(国宝):永長元年(1096)に再建されたのが 堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いた所
現在の建物で、天平宝宇頃ものとほぼ同じ規模を持 と伝えられている。
つ滋賀県で最も古い建物です。
三十八所権現社本殿:石山寺の鎮守社として創建さ 経蔵:石山寺一切経・校倉聖教等を収蔵する建物で
れた。 現在の建物は慶長7年(1602)に建てられた ある。
もので一間社流造、桧皮葺で極彩色に彩られた桃山
時代の神社本殿建築の遺構として貴重である。
芭蕉句碑:「あけぼのはまだむらさきにほととぎす」の 多宝塔:源頼朝公による寄進と伝えられ、建久5年
句碑(右)が紫式部供養塔(左)と並んで建っていま (1194)に建立。この度、平成23年4月1日から
す。 平成24年3月31日の事業期間で、屋根(桧皮葺)の
全面葺き替えを行い、見学用通路を設け一般参拝者
の方々に間近に見学することができます。
芭蕉庵&月見亭:中秋の名月には石山寺のライト 豊浄殿での「紫式部展」を開催中
アップがあります。
心経堂:花山法王が西国三十三所観音霊場を再興し 若宮:建立平成14年12月。祭神に天照皇大神を拝し
1000年記念事業として長年にわたって納められた 大友皇子(弘文天皇)を崇る。
心経を永久に保存するため建立されました。
鐘楼塔:源頼朝の寄進による。鎌倉後期の建物で 御影堂:室町時代に建立され、内部須弥壇上に弘法
ある。 大師、良弁、淳裕の三祖神を祀る。
大湯屋 大黒堂:石山寺大黒天は万寿元年(950年前)3人の
僧の同じ夢のお告げにより湖水より出現したとされて
います。
公風園:入口付近の風景 拾翠園:入口付近の風景
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