風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

疎開

2018-06-27 12:06:39 | 昭和つれづれ

 

戦時中、空襲を恐れて都会から田舎へ移転することを疎開と言った。

学童疎開といって学校単位の疎開もあったが、

わたしはまだ小学校入学前だったから母子4人で長野県へ疎開した。

父は仕事があるので、ひとり東京に残った。

広島に父方の祖母がいたので、そちらへ行くことも視野にあったらしいが、

嫁の立場の母がそれを嫌った。

長野には知り合いがいたわけではないが、父の職場の人の斡旋で決まった。

いわば、私たち家族が広島の原爆に遭わずにすんだのは、

嫁姑の不仲からということになる。

人生、どこに運命の岐路があるかは誰にもわからないものである。

   


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