年をとったら日々は穏やかなものであると思うのは、若いときの勝手な思い込みであった。
自分が年をとってみて初めてわかるのだが、存外、気分は若いころのままなのである。
よく、生きてきたように死ぬと言われるが、まさに過ごしてきた人生の延長でしか年をとれないのである。
激しくやり合ってきた夫婦が、年をとったからといって、急に温和な夫婦にはなれないのだ。
長年連れ添った夫婦でも、互いに見栄も外聞もある。
近頃、耳が遠くなったじいさんは、ばあさんにそれを言われるのがいやなのである。
ある朝、鶯が鳴いた。
ばあさんが、あ、鳥が鳴いた、と言うと、じいさんは聞こえなかったという。
間をおいてまた鳴いた。
ほら、鳴いたでしょう、と言うと、聞こえなかったと言いたくないじいさんは、ほんとだ、と頷いた。
意地悪なばあさんが,なんて鳴いた? と訊くと、チュンチュンだ、と答える。
チュンチュンじゃない、ホーホケキョです! とばあさんは勝ち誇るのである。
ああ、美しき老いとは難しいものである。
自分が年をとってみて初めてわかるのだが、存外、気分は若いころのままなのである。
よく、生きてきたように死ぬと言われるが、まさに過ごしてきた人生の延長でしか年をとれないのである。
激しくやり合ってきた夫婦が、年をとったからといって、急に温和な夫婦にはなれないのだ。
長年連れ添った夫婦でも、互いに見栄も外聞もある。
近頃、耳が遠くなったじいさんは、ばあさんにそれを言われるのがいやなのである。
ある朝、鶯が鳴いた。
ばあさんが、あ、鳥が鳴いた、と言うと、じいさんは聞こえなかったという。
間をおいてまた鳴いた。
ほら、鳴いたでしょう、と言うと、聞こえなかったと言いたくないじいさんは、ほんとだ、と頷いた。
意地悪なばあさんが,なんて鳴いた? と訊くと、チュンチュンだ、と答える。
チュンチュンじゃない、ホーホケキョです! とばあさんは勝ち誇るのである。
ああ、美しき老いとは難しいものである。
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