道楽にギターを弾く。
たいがいの人が、「もう何年くらいしていますか」と訊く。
これがつらい。長年やっていれば上手なはずと相手は思いこんでいる。
ところがそうはいかない。
「ええ、まあ、長いばかりで」
と答えても、まだ追求してくる人がいる。仕方がないから、
「さあ、十年は超えているかしら」
とかわす。実は私のギター歴は、もう少し長い。
この根性はなんだかいやらしい。
長くやっているんですが、こんなに下手なんですよ、と正直にご披露する潔さがない。
人前での演奏となると、足が震える。
足の震えはまだいいとしても手が震えて弦に指が届かない。
弾く方も聴く方も気持のいい演奏にはほど遠い。
一人静かに爪弾いて、人前では弾かないことにすればいいが、練習した成果は聴いてもらいたい気持ちが少しだがある。
幸いなことに長年のギター仲間がいるので、このごろはもっぱら合奏のお付き合いをして、独奏はご勘弁願っている。
合奏も、これはこれで難しいが、それでも一人で弾くより、はるかに心理的負担が軽い。
それなりの発表の場にいたるまでのその過程が楽しい。
自分のパートが間違いなく弾けるようになると、そのうち、周りの音が聞こえるようになる。
互いの音が合い、響きあうのを確かめて、次ぎのフレーズに入りこんでいく呼吸があったときなど、痺れるような快感がある。
少しずつ曲が仕上がっていくのを実感して喜び合える仲間がいて、風子ばあさんはなかなか齢をとれないのである。
たいがいの人が、「もう何年くらいしていますか」と訊く。
これがつらい。長年やっていれば上手なはずと相手は思いこんでいる。
ところがそうはいかない。
「ええ、まあ、長いばかりで」
と答えても、まだ追求してくる人がいる。仕方がないから、
「さあ、十年は超えているかしら」
とかわす。実は私のギター歴は、もう少し長い。
この根性はなんだかいやらしい。
長くやっているんですが、こんなに下手なんですよ、と正直にご披露する潔さがない。
人前での演奏となると、足が震える。
足の震えはまだいいとしても手が震えて弦に指が届かない。
弾く方も聴く方も気持のいい演奏にはほど遠い。
一人静かに爪弾いて、人前では弾かないことにすればいいが、練習した成果は聴いてもらいたい気持ちが少しだがある。
幸いなことに長年のギター仲間がいるので、このごろはもっぱら合奏のお付き合いをして、独奏はご勘弁願っている。
合奏も、これはこれで難しいが、それでも一人で弾くより、はるかに心理的負担が軽い。
それなりの発表の場にいたるまでのその過程が楽しい。
自分のパートが間違いなく弾けるようになると、そのうち、周りの音が聞こえるようになる。
互いの音が合い、響きあうのを確かめて、次ぎのフレーズに入りこんでいく呼吸があったときなど、痺れるような快感がある。
少しずつ曲が仕上がっていくのを実感して喜び合える仲間がいて、風子ばあさんはなかなか齢をとれないのである。
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