風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

東京&博多

2010-08-01 17:42:51 | 歳月
 東京には空がない、という詩があるが その東京から、博多の街に風子ばあさんが移り住んだのは、まだうら若き新妻のころだった。
 当然のことだが、まだ、風子は「ばあさん」でなく、フーちゃんと呼ばれた。

 博多の街に来てまず驚いたのは、山が間近に見えることだった。
関東は平野だから、東京にいて山は見えない。山の見える景色は遠足や旅行の非日常のときのものであった。

 来たばかりの博多には、友だちもなく、肉親も遠かった。ただ夫の身内だけが待っていた。敵の陣地にただ一人、の心境だった。
 山の見える景色はひどく寂しく、碧く美しい空を行く飛行機を見ては、濁った空の東京が恋しかった。

 あれから、幾歳月、ばあさんはしっかり博多に根をおろした。大勢の良き友も得た。だが、気がつくと、みんな、あちこち身体に不具合がでる齢になっていた。
 博多生まれ、博多育ちの仲良しが、一人で暮らせなくなって、東京に住む娘さんのところへ引越して行った。
 
 電話がかかってきて彼女は言った。
 風子さん、何が寂しいって、東京では山が見えないんだよ、と彼女は嘆いた。
 ああ、私はこちらに来たとき、山が見えてがっかりしたもんですよ、でも、そのうち、馴れますよ、と慰めた。
 だがしかし、彼女は、もうあの頃のフーちゃんのように若くはない。山の見えない景色に馴れるまで、彼女が元気でいるだろうかと、ばあさんはひそかに案じているのである。

 お互いにふるさとも友も遠くなってしまった。ままならぬは浮世である。


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2 コメント

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ふるさと (翔龍)
2010-08-03 10:20:24
生まれ育った博多の青い海と岩に当って砕ける白い波が好きでした。
でも移り住んだ有明海は黒っぽくて波が無いんですよね。
寂しかったです。

でも、どこまでもつづく干潟の夕暮れもいいもんです。

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翔龍さま (fuuko)
2010-08-03 23:14:14
おお、翔龍様、九州男児でしたか。
どこか好ましいお方とお見受けしてましたが、やっぱりねえ。干潟の夕暮れにたたずむ男、絵になります。
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