若い自分に流行った歌には、正直に言って馴染みはない。
かろうじて、ラジオから流れるのを耳にする程度だ。
深夜に現場帰りの車のラジオから流れる、ナベサダのジャズが心の救いだった。
ナベサダがアメリカから帰って来た直後の頃だったのだろうか。
特別にジャズが好きだった訳ではない。
ほかに、心の救いが無かったのだ。
ナベサダの渡米前のレコードにも偶然に巡り合っている。
実演にも行っている。
狭い廊下で本人に何度もすれ違っている。
朝もはよから夜遅くまで、場合によっては次の日まで働いて来た。
テレビのゴールデンタイムも知らない。
だから、前述の流行り歌に馴染みなしとなるのだ。
今頃になって、当時の流行り歌を聞いている。
懐かしさで聴いているのではない。
良いなぁ、と素直に初見で聴いている。
当時はラジオからこぼれ落ちる何曲かは聴いてはいるのだが、時代を映す鏡としてしか認識をしていない。
若者の熱狂的な支持を受けていた流行り歌は自分の置かれている立場とは縁遠いものだった。
学園のキャンパスもなければ学生運動も関係ない。
駅で待ち合わせる彼女もいなければ、同棲している女性もいない。
まだ子供の肉体だった頃には酒と煙草は身体には毒だったが、これだけが楽しみだった。
毎日が恐怖だった、鉄砲の玉が飛んで来ないだけ、マシだとは、先輩上司の言葉だ。
確かに、命はとられないが先行きは不安だらけだった。
米国の戦争の土台の上に成り立っていた日本の景気。
英国の平和だ花だと唱えるおかっぱ頭の四人に注ぎ込まれた間接税。
あまりに人の良い将棋の打ち方に、昨今の首の回らぬアジア情勢。
何を血迷うたか、米国からの独立とな?
これでは太平洋戦争前夜ではないか。
バカンスだのサーフィンだのフリーウェーだの愛だの青春だのと流行った歌の跡には何が来るのだろうか。
六十を過ぎた大人達が行列をつくり一人のフォークシンガーに集う様を見て、
嗚呼、自分はこういう時代を支えてきた一兵卒だったんだなぁ、と微笑ましく思う。
ねえ、ミクスさん
あんたが一人で闘うと言うなら、俺も一人で加勢するけど、こういう人達を巻き添えにしちゃあイケナイよ。