2016年の9月3日に描いた下書きのものにペン入れをした。
この年、16枚の短編を半年かけて描き上げて翌年の2月に東京の出版社に持ち込みをした。
その時のキャラクター達だが上のひとりは登場していない。
現実の時間は過ぎているのだが自分の時間は止まったままだ。
スクリーントーンは一切使わずに着物の柄も手描きにこだわった。
時間がかかるのだが昔の挿し絵画家達は全て手描きに終始していてそれに憧れる。
子供の頃は漫画よりも、むしろ小説や読み物の挿し絵に心酔していた。
今のペースは心身にストレスを与えずに進行できているので良いのだが、他人から見れば怠けているように見えるのだろう。
自分を追い込んで病気になってもしょうがない。
今は長生きしたいと思う。描き上げたい作品があるからだ。
半面自分に絶望の波が定期的に押し寄せて来るのだ。
それに上手く乗って平均を保っている日々だ。
恰好良く書いているが惨めだ。
結局、他人は商品にならなければ認めてはくれない。
いつかはきっとという気持ちがなければ、劇画はやってはいられない。
この年、16枚の短編を半年かけて描き上げて翌年の2月に東京の出版社に持ち込みをした。
その時のキャラクター達だが上のひとりは登場していない。
現実の時間は過ぎているのだが自分の時間は止まったままだ。
スクリーントーンは一切使わずに着物の柄も手描きにこだわった。
時間がかかるのだが昔の挿し絵画家達は全て手描きに終始していてそれに憧れる。
子供の頃は漫画よりも、むしろ小説や読み物の挿し絵に心酔していた。
今のペースは心身にストレスを与えずに進行できているので良いのだが、他人から見れば怠けているように見えるのだろう。
自分を追い込んで病気になってもしょうがない。
今は長生きしたいと思う。描き上げたい作品があるからだ。
半面自分に絶望の波が定期的に押し寄せて来るのだ。
それに上手く乗って平均を保っている日々だ。
恰好良く書いているが惨めだ。
結局、他人は商品にならなければ認めてはくれない。
いつかはきっとという気持ちがなければ、劇画はやってはいられない。
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