<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

野茂、がんばれ。

2005-07-20 08:47:31 | ガルマルの鼻歌で散歩
へっ、へっ、へっ、珍しくスポーツネタが続きます。野茂が戦力外通告を受けたそうです。しかも、日本には帰らないそうです。でも、彼のことだから、どこかの球団が評価してくれるでしょう。がんばれ、野茂。

野茂選手が日本から大リーグを目指した時はマスコミの非難の嵐でした。元来ひねくれ者で、それほどスポーツに興味もない私ですが、密かに応援していました。ところが、アメリカに渡ってからの活躍は目を見張るばかりでした。それに伴って、手のひらを返したようにマスコミは野茂を褒めはじめました。アメリカで評価されることが、マスコミの判断基準なんです。

これは、中国でも同じでした。テレビを見る限り、中国人民の信じるものはアメリカが評価したものだという感じがします。これは、マレイシアの元首相のマハティールとは正反対です。マハティールは、西洋人を前面に出しているコマーシャルフィルムに対して、西洋人の容貌が美の基準だという誤った方向に持っていくものだと禁止してしまいました。そういう思いがあるからこそ、ルックイーストと称して、日本、韓国を見習えといったんだと思います。アジアにはアジアのやり方があるというのがマハティールの考えです。彼くらい日本びいきのアジアの要人は少ないのですが、日本の外交政策はアメリカ一辺倒ですね。

日本の学者もアメリカの評価を自分の判断基準にしています。アメリカではやりの学説を日本に紹介することが研究だと思っている学者はたくさんいます。特に、社会学、教育学ですね。自分たちの考えよりも、アメリカの考えが正しいと思っています。仲間の中に、アメリカの考えを否定するヤツがいたら、みんなでつぶしにかかるでしょう。

そんなアメリカびいきの日本社会にとって、アメリカ大リーグに挑戦する野茂は困った存在だったんでしょうね。日本人はアメリカ人よりも数段劣るというのが前提ですから。だからこそ、アメリカの評価を自分の判断基準してきたのでしょう。それが、日本の投手が活躍すると困るわけです。日本の評価がアメリカに通用したら困るわけですよ。

たぶん、学者の世界もそうでしょうね。日本人が考えた学説がアメリカで評価されたらほとんどの学者が困るんです。アメリカの学問を紹介すれば自分の評価が上がっていたのに、それができなくなりますからね。

というわけで、野茂選手には日本に帰らず、あくまで大リーグにこだわって欲しいと思います。

女子バレー、中国に負ける

2005-07-19 09:41:20 | ガルマルの鼻歌で散歩
というわけで、しょうがないですよね。中国の選手、強そうな顔してるもんな。中国で一人っ子政策がはじまって、20年くらい。両親とそれぞれのおじいちゃん、おばあちゃんの寵愛を一人の子供が受けるので、中国では一人っ子は小さな皇帝と呼ばれていると聞きました。そんな子達が大きくなってきた時、厳しい訓練に耐えられるのだろうか、ちょっと心配です。つまり、この強さはいつまで続くのだろうということです。

ところで、日本も東京オリンピックの頃は強かったのに、あの強さはどこへ行ったのでしょう。やっぱり、日本の選手はみんな優しい顔だもんな。中国選手に比べると顔で負けてるよ。キューバの選手もかわいい顔が多かったから、中国に負けたんだよ。これからは、顔で勝負ですね。

花の多いヒマワリ

2005-07-19 08:38:16 | ガルマルの鼻歌で散歩
先日、駐車場の真ん中に咲いたヒマワリの話を書きました。その時は、花が一つしかありませんでした。ところが、いつの間にか、一本のヒマワリからいくつもの花が出てきました。写真は一本のヒマワリから出てきた花です。たくさんの花でしょう。ちょっとまわりとは違うヒマワリです。花の色も少し薄いです。何代も育てているので、野生化したのでしょうか。ちょっと、かわったヒマワリなので、来年もタネをとって育てたいと思っています。

スズメと高血圧

2005-07-18 10:13:36 | ガルマルの鼻歌で散歩
今日は朝からスズメが庭に来ていました。つがいのようでした。人間がいるかどうかを伺うようにしながら、庭におりていきました。たぶん、地面の虫を食べているのだと思います。庭の花に悪さをする虫を食べてくれるんだと思っています。時々、せっかく育てた作物を食べたりして憎たらしいところもありますが、その作物に害を与える虫も食べてくれるのでありがたいと思います。

まあ、こんなスズメですが、中国では、毛沢東が作物を食い荒らして農業生産をさげるとして皆殺しを命じたことがあります。それはそうでしょう。せっかく育てた稲が収穫間際にスズメに食い散らかされたら誰だって頭に来ます。特に、毛沢東のようなすべてが自分の言うままになると思う共産主義者にとっては我慢ができなかったに違いありません。

農民は偉い毛沢東のいうがままにスズメを捕獲し続けました。その結果、何が起こったのでしょうか。確かに、スズメが減ったので、スズメが米を食べる量は減りました。でも、スズメは米を食べるという悪いことをするだけの生き物ではなかったのです。同時に、色々な虫も食べていました。その虫の中には、農作物に大きな被害を与える虫もいました。そんな虫達を食べていたスズメがいなくなったために、虫の被害があちらこちらに出るようになりました。農作物の被害はスズメのいた頃よりも、スズメがいなくなった頃の方がはるかに大きくなったのです。

私は共産主義というのは、科学を教祖とする宗教だと思っています。ちょうど、キリスト教がキリストを教祖とするのと同じです。そして、科学というのは、この毛沢東のスズメ撃退命令に象徴された愚かな面というのがあります。それは、生き物などに一つの役割しか与えないということです。スズメは農作物に害を与えるという役目を与えます。そのせいで、虫を食べるということを考えることができません。これが、還元主義という科学の長所であり、欠点です。一つの面でしか物事を切り取ることができないのです。だから、スズメを作物を食べるという側面でしか切り取れなかった毛沢東は、スズメ殺しをやらせたのだと思います。たぶん、スズメの歴史の本では、舌切り雀の悪いおばあさんと並んで毛沢東が、スズメの最大の敵であると書いてあるに違いありません。

これが高血圧を薬で治したくない理由です。薬を飲めば確かに血圧は下がるでしょう。科学とは、一面からしかみませんから、血圧を下げるということしか考えることができません。でも、考えてみてください。私の体が血圧を上げるというのは何か理由があるはずです。その理由はむやみに血圧を下げると悪いことが起こるような理由かも知れないと思います。だから、総合的に体を見ることで血圧を考えるべきだと思っています。スズメと高血圧の関係はここにあります。科学的なもののみかたでは、やっぱりいかんでしょう。もっと、色々な角度から自然を観るべきだろうというのが、高血圧を薬で下げたくない理由なのです。

女子バレーがキューバに負ける

2005-07-18 07:59:40 | ガルマルの鼻歌で散歩
というわけで、私にしては珍しく、スポーツネタです。昨日は女子バレーを観ていました。ところが、あまりにも、審判が日本びいきなので、キューバがかわいそうになって途中で観るのをやめてしまいました。キューバはオリンピック3位だそうで、とてもつよいチームなので多少のハンディキャップが必要だったのかも知れません。

それにしても、サッカーもそうですが、ときどき、攻撃する方向をかえるのはやめて欲しいと思います。サイドが変わっているのに気付かず、危うく、キューバの応援をしそうになりました。着ているユニフォームの色で覚えればいいのでしょうが、なかなか覚えられるものでもないし、キューバだと髪の毛の色が日本と同じなので遠目にはわからないのですよね。

こんなことを言うのも、私があまりスポーツに関心がないせいですが、まあ、今度は応援するチームをまちがえないようにしよっと。

一番下は0階? 1階?

2005-07-17 08:38:02 | ガルマルの鼻歌で散歩
0を発明したのはインド人だったという話ですが、今回は物事の始まりは0か1か? ということです。

日本では、産まれた子供は0才です。でも、私の子供のころは、1才でした。中国も、1才です。たぶん、産まれた子供が1才という習慣は、中国から日本に持ち込まれたのかも知れません。産まれた子供が0才という習慣は、やはり西洋諸国からでしょうか。

同じような話題を、もうひとつ。ビルの一階は日本では一番下の階です。つまり、地面に付いた階が1階です。私がいたマレイシアでで1階というと、日本では二階にあたる階です。日本での一階はグラウンドフロアーか0階です。イギリスの植民地だったので、日本の二階を一階というのだと思います。その証拠に、その隣の国のタイでは、日本と一緒で、日本の一階がタイでも一階です。中国も一階は日本の一階です。つまり、建物の位置を表すのにも0からはじまるところと、1からはじまるところがあるようです。

ところで、0を発明したインドではどうなのでしょうか? イギリスの植民地だったし、きっと、0階が日本の一階でしょうかね。

はたして、人間の生理として、0からはじめるのが良いのか、1からはじめるのが良いのか? たぶん、0というのは、インド人の思弁の中から出てきた観念なので、実際の生活の中では1から始めるのが、自然なような気がします。

0と無限

2005-07-16 08:44:12 | ガルマルの鼻歌で散歩
0が発明されたのはインドと言われています。でも、誰が発明したかはわかっていません。青い発光ダイオードを発明したから何十億円をよこせといっているひとがいますが、0の発明者はもっとたくさんの受け取る権利があるでしょうね。国家予算くらいあげてもいいと思いますよ。でも、そうなると、0を使うたびにお金を払わなければいけなくなります。お金をたくさん扱う人ほど発明料を払わなければいけません。ざまあ、みろというところです。

この0のおかげで、無限を考えることができるようになりました。たとえば、漢字では五百です。0があれば、これを500と書くことができます。この500に0を付け足せば、どんな大きな数も表すことができます。たとえば、
50000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
という具合です。上の数字をなんと読むのかはわかりませんが、これに0を付け加えることでもっと大きな数字も書くことができるわけです。まさしく、無限大の大きさまで想像することができます。そんなわけで一番小さい数の0と無限は意外に強い関係があるなと思った次第です。

医者が信用できるか!

2005-07-14 15:40:12 | ガルマルの鼻歌で散歩
昨日は人間ドックでした。半日コースです。病院に行く前に、オムロンの血圧計で測ったら最高132、最低90でした。まあ、ひどくはないなと思って、病院に行きました。病院に行って測ると、なんと、170と110になっていました。深呼吸したりして、何回も測りましたが、同じでした。私は病院の血圧測定がおかしいと思うのですが、病院の医者や看護師は家の血圧計がおかしいといいます。わたしは、病院に行くと極度に緊張するんですよね。まあ、医者を信用していないのです。だから、血圧が病院に行くたびに上がるのだと思っています。

医者は薬を飲めば血圧が下るから治療するようにといいます。でも、私は薬で血圧を下げるという発想が嫌いです。血圧が下っても他の部分に障害が出ると思っています。なんとか、自力で血圧を下げるつもりです。そのためにも、運動をしたり、歩いたりしています。医者なんかに騙されないで生きていくつもりです。

ところで、肺活量が5110ccでした。30年以上前の学生の頃は4800ccだったので、年をとっても増加しています。肺増大症にでもかかったのかも知れません。ああ、子供の頃、ロックギターリストになろうなんて思わずに、ジャズトランペットをやっておけば良かったと、反省しました。

雨の散歩

2005-07-14 15:29:30 | ガルマルの鼻歌で散歩
茨城県は梅雨空です。今は少し、雨が止んでいますが、昼の散歩は雨が降っていました。傘をさして、歩いてきました。久し振りの日本での散歩です。草のあるところを歩いたのでズボンがずぶぬれでした。

今日の鼻歌はジンギスカンです。サビの部分しか知らないので、同じフレーズの繰り返しになります。

今日のしっかり歩き6978歩、53分でした。毎分131歩です。

和文タイプは今

2005-07-13 13:58:55 | ガルマルの鼻歌で散歩
今から30年くらい前のことです。和文タイプと英文タイプがありました。私も、どちらを習ったほうが就職に有利だろうかと相談されたことがあります。そのころは、和文タイプの資格を持っているほうが、英文タイプを持っているより有利だったような気がしたので、和文タイプを勧めたのを覚えています。

和文タイプは、その後、ワープロ専用機に取って代わられました。現在は、ほとんど見かけなくなりました。そして、一世を風靡したワープロ専用機でさえ、コンピュータのワープロソフトにとっとかわられ、ほとんど見ることが無くなりました。和文タイプのお仕事をしていた人たちはどこへ行ったのでしょうか。

もうひとつ、キーパンチャーという職業はどうなったのでしょうか。コンピュータプログラムやデータを入力する人です。紙に穴をあけて、コンピュータに読ませます。一時期は花形の職業でした。その頃は、環境問題はありませんでしたから、紙を湯水のごとく使っていました。今は、その湯水さえ、湯水のように使えない時代です。

とまあ、今日は、なくなった職業のことを考えていました。考えてみれば、今は花形の職業でも、テクノロジーが進むにつれて不必要になるものもたくさんあるでしょうね。私は、そうなっても経験に裏打ちされた知識が伴う職業は残ると思っています。いくらエキスパートシステムを開発しても、絶対に真似のできない経験というのはあるはずです。たとえば、有機農法。これは、農協の作ったマニュアル通りに仕事をすれば良い慣行農家とは全く違うものです。自分の経験に基づいた知識を、その年の天候、土壌、作物の種類などに応じて適応していきます。慣行農家の方法はエキスパートシステムで真似できたとしても、有機農法をまねすることは無理でしょうね。ITでも、できないものはできない。高級な技術よりも、一見、ローテクに見える技術のほうが、ITは苦手だと思っています。

日本から

2005-07-13 07:12:19 | ガルマルの鼻歌で散歩
予約便の当日キャンセルと変更便の2時間以上の遅れという合わせ技で一本取られましたが、何とか日本に帰ってきました。一本取られたというのは、一日、帰国が予定より遅れてしまいました。チャイナエアーという中国一の航空会社ですが、当日いきなりキャンセルをするんですよ。しかも、お客が少ないかららしいのです。違う便に乗せられたんですが、それが遅れに遅れて、結局、日本往きの飛行機に乗り遅れて北京で余分な一泊ををするはめになりました。中国おそるべしです。

まあ、そんなわけで、今日は日本からです。

元大関の貴乃花が亡くなったそうで

2005-07-11 11:16:56 | ガルマルの鼻歌で散歩
いまごろ、気がつくのも何ですが、元大関の貴乃花が亡くなりましたね。子供の二人が遺産相続をめぐって大げんかだそうです。まあ、遺産相続って円満に解決することが珍しいですよね。貴乃花も人の子だったんだなあと、感心しています。

ところで、私がはじめてテレビを見たのは、小学校に上がってからでした。もちろん、それまではラジオで大相撲を聞いていたわけです。その頃は、大鵬とか、柏戸という横綱がいました。この二人は最後まで優勝争いをして、千秋楽に決戦というパターンが多かった記憶があります。

当時は、大鵬、巨人、卵焼きといいまして、子供は大鵬と、巨人を応援して、卵焼きを食べなければいけませんでした。当時から、ひねくれ者だった私は、野球は阪神が好きでしたし、卵焼きは好きでしたが、高くて、キャベツばかり食べていました。いまでも、キャベツはご馳走です。豚カツ屋さんに行っても肉を食べずにキャベツだけ食べています。

そんなひねくれ者の私でも、大鵬だけは応援していました。なにしろ、北海道という郷土が生み出した英雄ですから。まあ、はらはらしながら、千秋楽の両横綱の相撲をラジオで聴いていたわけです。

ところで、今考えるととても不思議なのですが、その頃相撲というのは、背中合わせで戦うとずっと思っていました。ラジオで聴くので、勝手にそんな光景を想像していたのだと思います。でも、考えてみると、友人達と相撲を取る時は、ちゃんと普通に向き合って取っていたんですよね。なんで、大相撲だけ背中合わせで戦うと思っていたのか、今でも不思議なことの一つです。

そういえば、子供の頃は休み時間になると相撲を取っていました。今の子供たちはどうなのでしょうか。やっぱり、サッカーが主なのでしょうかね。西洋のものがやっぱりかっこいいですよね。

庭のアジサイ

2005-07-10 08:12:26 | ガルマルの鼻歌で散歩
庭のアジサイが満開です。駐車場を占領したヒマワリと違って、庭の隅に植えているので誰の邪魔にもなりません。

二年前に近所のホームセンターから鉢植えで買いました。その時は三つくらいの花でしたが、今はその5、6倍に増えています。三月に紹介した梅の木の下にいます。かなり暗いところですが、めげずに育っています。

アジサイというのは、もともと日本原産で、ヨーロッパ人が持って帰って育種をしたんだそうです。たぶん、今あるアジサイは故郷に錦を飾った花なのでしょう。日本は、昔からヨーロッパやアメリカが認めないと自分たちのものなのに評価できなかったんですね。まあ、海外で箔を付けるというやつですが、海外というのはヨーロッパかアメリカです。まあ、これは日本だけではなく、中国、韓国をはじめ東南アジアもそんなところあります。白人の言うことは聞くけれど、同じことを自国の人が行っても誰も信用しないということが起こります。

アジサイはどう思っているのでしょうね。「へんっ、俺はね、洋行帰りさ。日本人と違ってヨーロッパの血が混ざってるんだよ。一緒にするなよ」とでも思っているのでしょうか。まあ、そんなこともなく、粛々と毎年花を咲かせていると思います。植物は人間より偉いなと思う瞬間です。