<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

やっぱり歩きすぎだった

2020-05-31 21:43:17 | 蜘蛛膜下出血
働くのが好きな人をワークホリックと言ったりしますが私はどちらかというとウォークホリックだとおもいます。歩きすぎてしまいます。歩きすぎて足が痛くなるからと散歩を一日3回に分けて1万歩を目指すと言ったくせに昨日は一回の散歩で1万歩歩いてしまいました。足が痛くならないといいなと思っていたのですが、やっぱり足が痛くなりました。昨日の最後の方は体が左に傾いていました。くも膜下出血手術の後遺症として左の手足に麻痺が残っているのですが、歩きすぎると左手足が思い通りに動かなくなります。転ばなかっただけでも幸運だったと思います。気をつけないと。

今日は歩きすぎたかもしれない?

2020-05-30 22:55:41 | ガルマルの鼻歌で散歩
いつもは3回の散歩をして合計で1万歩歩くようにしてたのですが、今日は天気が良かったことと未†を間違えたこともあって1回の散歩で1万歩歩いてしまいました。最後の方は体が左に傾いて転ぶかなと思い、ました。幸い転ぶこともなく家に戻ることができました。体が強くなったこともあるんですが、ジムのトレーナーさんに見つかったら「体が左に傾いて倒れそうですよと注意されるかもしれません。頑張りすぎたかもしれません。反省です。明日からは無理せずに3回に分けて散歩をしたいと思います。

雨の降る日の散歩は疲れる

2020-05-29 22:08:04 | ガルマルの鼻歌で散歩
60歳の2015年6月に北海道に出張した時に滞在先のホテルで動脈瘤が破裂してくも膜下失血で倒れました。泊まったホテルのある町には脳外科がなくて2時間ほど救急車に乗って北見の脳外科病院に運ばれました。その間に多くの病院では手術すらしないというグレード5のj二位になって意識がなく瀕死の状態になっていたそうです。北見の病院では手術をしてくれてそのまま急性期のリハビリを受けました。2015年の9月には自宅近くの脳外科のある総合病院に移って回復期のリハビリを受けることができました。リハビリ療法士さんたちの努力にも関わらず、脳真幕下出血のせいで急性期と回復期を過ぎても,歩くことができず話すこともできませんでした。回復期の後は療養等でリハビリをしました。そして2016年6月には退院して維持期乗りがビリを自宅ですることになりました。その間は外来のリハビリを受けました。2018年5月からは同じ病院内にあるジムで筋トレをしながらリハビリを続けることになりました。2018年9月からはフラとヨーガをスタジオプログラムで受けることになります。それなのに、このコロナウィルスでジムが閉鎖されてしまいました。リハビリとしてジムに通っているので自宅周辺をリハビリのつもりで毎日歩いています。歩かないと体がなまってせっかくリハビリで歩けるようになったのがなくなってしまいそうで怖くて毎日1万歩以上歩くようにしています。
今日は晴れたので気持ちよくあるkrたのですが、梅雨の深まりのせいで雨の日の散歩が続いています。雨の日の散歩は困ったことがいくつかあります。まず歩くのに疲れた時に気軽に座れないことです。いつも歩いている公園にあるベンチの位置は覚えているのですが、全て雨で濡れていて座れないのです。くも膜下出血の前に比べると長い時間を歩けなくなっているのでベンチに座ることでひっくり返って転ぶ前に椅子に座るのは重要なのです。退院してすぐの頃は、どの程度まで歩けるかがわからなくて随分無理をして歩いていました。疲れてくると理由がわからずに倒れてしまうのです。公園の中央にある池にいつの知らぬうちに入ってしまって池の中で転んだこともあります。幸い浅いところだったので服がびしょ濡れにはなりましたが大事には至りませんでした。私にしても自分が倒れるのはどういう時かを確かめたくてわざと倒れるまで無理やり歩いていました。そんなことで前を見てなかったのでしょう。池に突っ込んでしまったのです。退院して現在で4年経ちますからもう足も安定してきて突然倒れることも池に入ってしまうこともなくなりました。それでも雨の日はベンチが濡れてて困るのです。
かといって晴れた日も最近は困っています。外出自粛で人が多いのです。いつもは座っている人もなく空いているベンチが埋まっていることがあるのです。あそこのベンチで休もうと思っていくと埋まっていて次のベンチに行かなければならなくなります。それでも多少混んでいても倒れることなく歩くことができるようになりました。そんなわけで雨の日には持ち運べるような携帯椅子でもあったらいいのかなと思っています。

夢と現実の境を行ったり来たり

2020-05-13 18:10:39 | ガルマルの鼻歌で散歩
クモ膜下出血で入院中は夢を見てそれが現実だと思って周りの人に話していたことがあります。例えばある日病院のベッドに知り合いが来ました。それで言うのです。「いいか、生物は最初に生まれた時は原始的なものだった。それがどんどん進化してクモになったんだ。その時にできたのがクモ膜だ。だからクモ膜で出血を起こすとくも膜ができる以前に戻ることなんだ。だからお前は話すこともできないし、歩くこともできないのだ」というのです、その時は私にクモ膜のウンチクを話してくれたのは知っている人だと思いました。すぐに誰か分からなくなりました。このことを見舞いに来てくれた人に得意そうに話していました。目を開けたり、目をずっと開けていただけで周りの看護師さんや理学療法士さんが驚いていた時期です。突然小難しいことを言ったのでびっくりしたそうです。その時は現実だと確信していました。ただすぐにそれが誰だったのがわからなくなったのです。今考えれば現実的な夢を見ていた可能性が高いと思います。それにしてもくも膜は生物が進化してクモになった時にできたものではありません。
その頃私は自分がどこにいるかも、くも膜下出血を起こしたことさえ知らなかったのです。周りの人に「あんたはくも膜下なんだよ」と言われてあまり深く考えずにボーっと聞いていたんだと思います。
これは回復期のことですが、回復期のことはほとんど記憶にありません。出血したせいで一時的な記憶を保存していく機能が極端に減ったのではないかと思っています。一時的な記憶は海馬に送られて長い記憶になるのでしょうが記憶できる量が小さくなって海馬に送られる前にどんどん短期記憶から捨てられたのでしょう。それで残った記憶が何もないんだと思います。そんなわけで夢で見たものでも現実だと思ったのかもしれません。回復期から維持期にかけてもこんな夢と現実が混ざったことが続きます。

最近、鼻歌を歌わなくなった

2020-05-08 21:27:07 | ガルマルの鼻歌で散歩
このブログを始めた頃は鼻歌を歌えるくらいの速度で歩きましょうと言うことでしたから鼻歌を歌いながら歩いていました。5年前にクモ膜下で倒れて歩けなくなってからは歩くだけで大変なので鼻歌を歌っている余裕がなくなりました。ブログのタイトルを変えた方がいいくらいです。
今日も昨日もステイウィークの最中も朝昼夕型と短い散歩を3回くらいにしています。足の疲れが少なくなった気がします。そのうち鼻歌を歌う余裕も出てくるかもしれません。鼻歌を歌うこと自体がなくなったのでどんな歌を鼻歌にしようかと言うアイデアが出てきません。

退院直後、維持期にガキギャグに遭遇

2020-05-06 21:36:58 | 蜘蛛膜下出血
2015年6月初め頃北海道紋別に出張していた時宿泊していたホテルで動脈瘤が破裂してクモ膜下出血になりました。すぐに救急車で病院に運ばれましたが脳外科病院が近くになく北見まで救急車で2時間かけて脳外科病院に着きました。家族にも連絡が入り翌日駆けつけてくれました。先生は家族がつくまで瀕死の私の手当てをしながら待ってくれて「グレード5の状態で普通は手術をしないのですが手術をしてもいいでしょうか?」と家族に聞いて「お願いします」ということで手術を受けました。家族が着くまで先生は気を揉んでいたみたいで疲れ果てていたそうです。手術の後リハビリがすぐ始まり、急性期。回復期、療養期と続いていきました。療養期とは回復期のリハビリでは歩くことができなかったので自宅に戻って維持期を過ごすことができないだろうということで病院が配慮してくれて病院内の療養棟でリハビリを受けたことを意味しています。療養期の間になんとか歩くことができたので2016年6月下旬に退院して維持期に移りました。退院直後である維持期の初め頃は立って歩くことができましたが、足はずってましたし、誰かが一緒にいてくれないとまっすぐ立っていられない状態でした。おまけに瞳孔の調子が悪く急に明るくなると眩しくて目を閉じてしまいますし、急に暗くなると何も見えなくなっていました。さらに右目と左目で見る景色を一つにすることができなくていつも色々な物が二重に見えていました。そのため片目をつぶって二重に見えないようにしていました。思い返せば足を引きずって歩いているおじいさんが片目をつぶって歩いていたわけです。誰が見てもおかしいおじいさんだったと思います。
いつも散歩していた公園には小学校、幼稚園、保育園が隣接してあります。ちょうど小学生の下校時だったと思います。足を引きずりながら片目をつぶって歩いていると前の方に小学生の低学年の子供たちが歩いていました。その子たちは私の方に向かって歩いていました。その中の先頭を歩いていた子が私を見ながらにやにや笑っているのです。しかも片目をつぶって足を引きずりながら歩いているのです。まるで「僕おじいさんの真似してるんだよ」と得意げな顔をしていました。私は自分が知らない人からはこんなにみっともなく見えるのかなと思いました。それにしても最近問題になっている同調化圧力ってこんな小学生の頃からあるんだなとも思いました。自分が理解できないことをしているのはからかう対象になるんでしょう。
この子は小学校でも動きのおかしい子がいるとその真似をしていじめているんだろうなと思いました、
私はよくみんなに笑ってもらおうと思って面白くない冗談を言うのですが、オヤジギャグと言われて怒られます。そう、オヤジギャグとは面白くなくて好感度が下がるギャグなのです。この私の真似をして周りの子達を笑わせようとする小学生を見た時からこの手のものをガキギャグと呼んでいます。ガキギャグっていじめの遠い原因になってませんか?この子だって私をからかってるわけではなくて周りの子達に喜んでもらおうとしてガキギャグをしてるのかもしれません

「長時間を少ない回数で歩く」から「短時間に回数を多くして歩く」にします

2020-05-05 17:06:20 | ガルマルの鼻歌で散歩
コロナの影響でジムが閉鎖になりました、これからも閉鎖が続くので筋力が低下したりしてこの休みが終了して再び歩けるようになるか心配でした。i家には筋トレの道具もないので歩くことで筋力を落とさないようにしました。それで毎日散歩をして歩いていましたが、疲れる上に足の麻痺がひどくなりました。そこで一気に1万歩を歩くのではなく短く短時間の散歩を昨日からすることにしました。今日も朝と昼と夕方に散歩をしました。合計は1万3千歩でした。昨日からそうしましたが今日は足が全く痛くなかったのでこの方法で数日続けます。これからは短時間でぁいすうのほうほうを「ガルマルメソッド」と呼ぶことにします。ガルマルとは私のブログネームです。

散歩は3回に分けて

2020-05-04 21:23:46 | ガルマルの鼻歌で散歩
この頃は1万歩を超える日が続いていましたが、足が痛くなってしまいました。足が疲れると歩き方が下手になります。左足があまり上がらないので地面を擦りながら歩いてしまいます。左足が地面につくtsびにキュッキュッと靴がずれる音がします。疲れずに足が痛くならないようにしたいですし、かと言って何にも運動しないわけにも行きません。そこで一気に1万歩歩くのをやめることにしました。今日は朝昼夕型と三回sんぽにいってそれぞれ2000歩から3000歩ずつ歩きました。それで1万歩以上を歩き巻いた。足は前ほど痛くならなかったのですが、明日足がそれほど痛くなかったらこんな風に一気にたくさん歩くのではなく、何回かに分けて少しずつ回数を増やして歩く方法にしたいと思います。

歩きすぎは良くなかった

2020-05-02 11:08:10 | ガルマルの鼻歌で散歩
外来のリハビリが終わっても上手に歩けなかったのでジムに移って筋トレを始めました。筋トレをしているうちに気がついたのはうまく歩けなかったのは筋力が足りなかったからだということです。ところがこの感染症が流行っているせいで、ジムが閉鎖されたました。この頃は、毎日歩く練習をしています。おとといは3キロちょっと、昨日は2キロちょっと歩きました。この三日くらいは1万歩くらい歩いています。最近は8千歩くらいが良くて1万歩は歩きすぎと言われてるようですね。でもずっと1万歩歩くことが習い性になっていたのでなんとなく1万歩を目指して歩いています。ただ昨日までのように一気に長い距離を歩こうとするのはやめようと思っています。体が重くなってきたのです。短い期間を1日のうちに何回か歩いて1万歩を歩こうと思うようになりました。クモ膜下で倒れた私のように歩き方を忘れた場合は焦って頑張っては行けないと思います。頑張りすぎないようにこれからも頑張りたいと思います。