<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

メコンデルタの運河を作った人

2007-03-30 08:42:04 | ガルマルの鼻歌で散歩
ベトナム南部のカンボジア国境近くにチャウドゥックというところがあります。そこから、さらにカンボジアよりにサム山というベトナムの人の信仰の対象になっている山があります。山といっても、200メートルくらいの高さだと思います。今回の旅の最後にこの山に登ってきました。ふもとから頂上まで、歩いて40分くらいでしょうか。バイクタクシーで行くこともできます。

ところで、このサム山には、メコンデルタの運河を作った人が祭られています。写真の人なんですが、1761年の生まれだそうで、ということは、運河を作り始めて200年以上経っていることになります。200年かけてまっすぐな運河をいくつもいくつもベトナムの人は作り続けたんですね。

サム山からはカンボジアが見えるんですが、国境はすぐにわかります。運河のあるところがベトナムで、無いところがカンボジアなんです。

クレージーキャッツに憧れた頃

2007-03-29 08:13:29 | ガルマルの鼻歌で散歩
植木等さんがお亡くなりになったんですが、そのニュースを聞きながら、小学生の頃を思い出していました。私より、下の人達にとっては、ドリフターズなんでしょうが、私にとってはやっぱりクレージーキャッツです。なにって、憧れですよ。クレージーキャッツの全盛期の頃、私は小学生でした。同級生と、毎日のようにクレージーキャッツごっこをしていましたね。

あの頃の私の夢は、クレージーキャッツのような立派なコメディアンになることでした。友達が植木等になり切って、私は谷啓になりきって、遊んでいました。そんな、自分の小学生の頃の夢を植木等さんのニュースを聞きながら思い出していたんであります。

メコンデルタの運河

2007-03-27 09:07:19 | ガルマルの鼻歌で散歩
さて、今回の旅行の目的に一つはメコンデルタを見ることでした。本当にメコンデルタは広いんでありまして、運河があちらこちらに掘られています。ベトナム領になったのは17世紀頃と聞きましたが、それにしても、この運河の多さといったらどうでしょう。ベトナム人の勤勉さに驚くばかりです。

運河沿いには、なんとなく、気が落ち着くような人々の暮らしがあります。水辺の景観というのは、人工の運河であっても、人間をほっとさせるんではないでしょうか。そういえば、人類が二足歩行をするようになったのは、水辺に住んでいたからだという説があったような気がします。人間が水辺に住んでいたから、体毛の方向が泳ぐ方向なんだという主張だったと思います。確かに、水辺はいいもんですよね。

木の根元が白いわけ

2007-03-26 20:30:03 | ガルマルの鼻歌で散歩
えー、地面の近くの幹を白く塗ってある木があります。ラオスでも、中国でも見たことがあります。もちろん、ベトナムでもそうです。さて、理由はあまりはっきりしないんです。曰く「夜車を運転する際に目立つように」、曰く「虫よけだよ」、曰く「冬に幹が凍らないように」とまあ、人様々なんです。

てなことで、写真のように、ホーチミン市でも、木をきれいに塗ってありました。たまたま、ホーチミンの担当の人がいたもんで聞いてみたんですが、白く塗るのは国からお金をもらってるんだそうです。それで、理由は二つあって、一つは、虫や病気を防ぐため、もう一つは、飾りだそうです。

というわけで、ベトナムの街路樹の幹が白く塗られる理由は明らかになりました。でも、他の国では、どんな理由で塗られているんでしょうか。同じ理由なんでしょうかね。

裸で養蜂

2007-03-24 23:42:17 | ガルマルの鼻歌で散歩
ってなわけでございまして、正確には6日間で1631キロメートルを走破したベトナム南部なんですが、ロンアン省なんであります。そこを車で走っていると養蜂をやっているところが道路沿いにたくさんありました。そこで、車を降りて、見学させてもらったんであります。ちょうど、はちみつをとっているところなんでありますが、裸でやってんですよね。蜂に刺されている様子はなかったんですが、勇気ある行為ですよね。

カンザの塩田

2007-03-24 09:43:58 | ガルマルの鼻歌で散歩
えー、南部ベトナム六日間で1631キロの旅をしたわけですが、これは、カンザという広大なマングローブリンの中に展開する塩田です。ちょうど、塩のやまを作ってまして、ここから天秤棒で倉庫小屋に運んでいました。

ところで、いまでこそ、マングローブ林ではありますが、ベトナム戦争中は(ベトナムの人はアメリカ戦争といってます)枯葉剤によって、何もなかったところなのです。まあ、大量の枯葉剤がまかれたところなので、そこで、作っている塩も変な物質が入っているような気がして心配なのであります。

ところで、この塩田を作るとき、海の水をせき止めるダムを造るため、せっかく植えたマングローブが枯れたり指定す。塩田の人達にいわせれば自分たちのほうがマングローブよりも早くいたということで、既得権があるらしいのです。そうはいっても、マングローブ林を管理しているホーチミン市にしてみれば、マングローブが枯れる原因なわけで、頭の痛いところのようです。

カンザのマングローブ林

2007-03-23 09:34:00 | ガルマルの鼻歌で散歩
ベトナム南部のホーチミン市の南にカンザというところがあります。悪名高いアメリカ軍の枯葉剤作戦によって、丸裸にされたところです。そこには、以前、広大なマングローブ林が広がっていました。ベトナム戦争が終わった直後から、ホーチミン市はマングローブを粛々と植栽続けて現在、38000ha以上のマングローブ植林地があります。

今回の南部旅行で、ホーチミン市の担当者にお願いしてボートで案内してもらったのですが、行けども行けどもマングローブの植林地が広がっていました。それはいいのですが、同行していくれたベトナムの人が担当者に変な紹介をしたらしくて、担当者の人が私のことを大学の先生と間違ってしまったようです。

ボートから降りてマングローブ林の中を歩いたのですが、担当者の人が「ガルマル教授、ここのマングローブが枯れてるけどどうしてかなあ?」などと聞いてくるのです。学者嫌いの私ではありますが、そんな言い方をされると悪い気はしないもんであります。世の中の学者先生達が、威張るのもしょうがないかなと思った次第であります。

とはいいながらも、なんで枯れたかなんて聞かれてもちっともわからないんでありますが、ここで、「わかりません」というのも、なんなので、「うん、ここのマングローブは根性が無いからな」などと、おためごかしをしていたのであります。

そんなわけで、マングローブ林を歩いていると潮が満ちてきまして、あちらこちらに深い水たまりができたのであります。そんな中を担当者の人達は私の荷物をもって、歩いてくれたりしたんですが、なんとなく、自分がベトナム戦争中にジャングルの中をベトコン兵士と歩いているような錯覚をしたんであります。

六日間で1600km

2007-03-22 00:16:13 | ガルマルの鼻歌で散歩
実は、河内を離れて南部のベトナムに一週間ほど行ってました。なにしろ、メコン川を見たかったのです。今まで見たことのあるメコン川といったらいわゆるゴールデントライアングルといわれるタイ、ミャンマーとラオスの国境が交差するところと、ビエンチャンとルワンパバーンだけだったのです。河口のメコン川を見たかったのです。そんなわけで、メコン川だけでなく、メコンデルタを六日間で走り回ったのです。そうしたら、車の走行距離が六日間で1600キロを超えました。おかげで、尻が痛くて痛くて。

とまあ、そういうわけで、ホーチミン市から向かうとメコンデルタの入り口といわれるミトーといわれるところから見たメコン川です。幅三キロ、その中に長さ12キロ、幅1キロの中洲まであるのです。その中洲では大勢の人が暮らしていました。ところで、このメコン川の広さを写真で表現するのは本当に難しいですね。

地元のガイドさんの説明によると、メコン川の大きな流れは二つあって、一つはミトーを通って、もう一つはカントーを通るんでそうです。ミトーのメコン川は6っつにわかれ、カントーのメコン川は3っつにわかれ、合計9つの河が南シナ海に流れるんだそうです。それで、九つの河を竜に例えて、九龍川というんだそうです。

今日はキャンドヒート

2007-03-21 23:19:55 | ガルマルの鼻歌で散歩
元モップスの鈴木ヒロミツさんがお亡くなりになったんです。それで、今日はキャンドヒートを聴くんです。なんでかというと、キャンドヒートのボーカルってちょっと太ってるし、何だか不健康そうで、前から鈴木ヒロミツさんに似ているなと思っていたんです。

というのは、鈴木さんを偲んで曲をかけようと思ったんですが、モップスの曲が一つもないんです。それで、かわりといっちゃ何ですが、キャンドヒートをかけて鈴木さんを偲ぶことにしたんです。

モップスの鈴木さん

2007-03-21 15:57:11 | ガルマルの鼻歌で散歩
モップスというグループはなんていうか、グループサウンズとフォークソングの間みたいな気がしていました。そのころ、グループサウンズというのは、コマーシャルベースに乗ってなんとなく、フォークを歌っている人たちは馬鹿にしていた気がします。そんな二つの勢力を繋いでいたグループがモップスって感じです。

鈴木さんが何かのラジオ番組に出て、昔のグループサウンズのことを面白おかしく語っていました。たとえば、貴公子といわれたビ○ッジシンガーズは女の子の好みがおんなじでいつも同じ女の子を取り合ってたとか、彼が飛行機に乗っていたとき下を見ると前の席から床を伝わって何かが流れてくるのが見えたんだそうです。それで、前の席をみたらゴー○デンカップスのボーカルがシンナーを吸っていて、それが後ろの鈴木さんの席まで流れてきたとか、結構、面白い話をしていました。

というわけで、「いますぐ、あいたい、あさまでえまてない」ということでした。

ベトナム最後の王朝

2007-03-13 00:22:39 | ガルマルの鼻歌で散歩
まあ、なんです、えー。ベトナムの正月、これは、中国の正月と同じなんですが、日本でいうところの旧正月です。そんなわけで、テトの時にベトナム最後の王朝があったフエという町に行ったわけです。そこは、ベトナムで一番、仏教徒顔おインだそうです。

ところで、ごらんの写真なんですが、確か、四代目の皇帝で小さいときに天然痘かなんかにかかって子供ができなかった皇帝の住んでいたところだと思います。

牛の前世は虎だった

2007-03-09 10:57:19 | ガルマルの鼻歌で散歩
インドのベンガル地方での出来事らしいのですが、ニワトリが襲われるので近所の犬かなと地元の人は思っていたらしいのです。ところが、見回りをしていた人が見つけたのは、飼っていた牛がまるで虎のようにニワトリに襲い掛かってむしゃむしゃとニワトリを食べている姿でした。

まあ、牛が肉食をするというのは、たまにあるそうなので、それほど驚くことではないらしいのですが、ちょっとびっくりですね。インドのことなので、牛は聖なる動物なので、肉食をするのは地元にしてはショックでしょうね。

それで、地元の人の感想が面白かったんです。その鳥を襲った牛の前世が虎だったろうってんですね。さすがインドです。

ホイアンの福建会館

2007-03-07 08:41:46 | ガルマルの鼻歌で散歩
朱印船の時代に日本人街があったことで有名なホイアンですが、中国人も多かったようです。というか、どちらかというと、中国人街の一角に日本人が住んでいたといったほうがいいようです。

そんなわけで、世界遺産であるホイアンの町にも中華会館とか、福建会館があります。北の河内市では考えられないことです。写真は福建会館の中にあった船の飾り物です。ご先祖さんは船で来たということなんでしょうか。