<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

鼻が遠い

2022-12-02 05:10:28 | 蜘蛛膜下出血
くも膜下出血で倒れて入院して一年間の入院生活をしました。退院しイェからもしばらく歩くことが安定していなかったのでリハビリを兼ねて病院内のジムに通っています。コロナの影響でなかなか自由にはできないのですがピラティスやポルカブルなどを習っています。そのインストラクターがピラティスの最中に「私の声は聞こえますか?」と言ったので「聞こえますよ。私の鼻は遠いので匂いはわかりませんが耳は聞こえます」と答えました。くも膜下出血の後遺症なのかわかりませんが、最近匂いがわからないことに気がついたのです。インストラクターは「耳が遠いとおっしゃる方はいますが鼻が遠いという人はいないです」と大笑いしてました。まぁ受けたので良しとすることにします。

さて匂いがわからないことを医学的にはなんと言うのだろう?

匂いがわからないと料理が焦げたりしてもわからないし、火事になっても気づかないでしょう。匂いがわからないことで命を落としたりすることもあるかもしれません。100歳まで生きるのが目標ですが、そのためにも匂いがわかるようにしたいと思います。

鬼嫁宣言

2021-04-28 12:30:28 | 蜘蛛膜下出血
鼻歌で散歩用に,こんな替え歌を作ってみました。
私の経験からクモ膜下出血で維持期になって退院して家に帰った時のことです。
家でのリハビリですからどうしてもさぼり気味になります。
病院で何一つ不自由なことなく過ごして退院しているので無理にでも必要なことはさせないとダメです。
それには鬼嫁が必要なのです。
心を鬼にしてなるべく何もしないようにすることが大切です。


鬼嫁宣言

お前はクモ膜下出血で入院したが
退院する前に言っておきたいことがある
家に帰ったら行きたいところには
自分で行け
その時はベンチのあるところに行け
すぐに座るものがないと転ぶぞ
怪我のないように一人で歩け
転びそうになっても
私は助けない
私が助けるといつまでも
お前は何もできない

お前が浮気をしても
私は嫉妬はしない
だけど覚悟はしろ
お前のクレジットカードで
膨大な買い物をする
お前が一生かかっても
払いきれないだろう
それからトイレに入って紙がないようにするぞ
紙持ってきてくださいと言ってもほうっておくぞ

ここにはお前にしかできないことは何もない
だから何にもせずに黙って外を歩いていろ

初心忘るべからずっと

2020-12-30 23:12:01 | 蜘蛛膜下出血

当時血圧が高く「鼻歌ウォーキングが血圧を下げる」と聞いて15年くらい前にこのブログを始めました。それが6年ほど前にクモ膜下出血で倒れてつい最近まで休止していました。退院後体力がついてやっと再開できるようになったおかげです。

出血した時に動脈瘤が3っつあるということがわかりました。脳ドックを受けていれば動脈瘤のことがわかってもう少し違った行動をとることができたかもしれません。人の運なのでどうかはわかりませんが、高血圧だったことが関係あったのでしょうかね。今は降圧剤を毎日飲んでいることもあって上が110で下が80くらいになっています。朝に一錠降圧剤を呑んでいるのですが一日中安定しています。つまり、あまり薬の呑んだ時間と血圧に関係がないのです。飲まなくてもいいのかなとは思いますが、かといって勝手に降圧剤をやめるわけにも行きません。かかりつけの医師に色々聞いてみようと思っています。

クモ膜下出血で歩けなくなり、喋れなくなって、すべてのものが2重に見えるようになりました。それでもリハビリ中は歩くことにこだわっていました。このうログを続けることを気にしていたからだと思います。退院してから近くの公園で散歩しています。退院直後は安定して歩けませんでしたが、今ではだいぶ歩けるようになりました。でもまだ出血前ほど長い距離を歩けません。これから長く歩く練習をして鼻歌で散歩をしていきたいと思っています。


洗濯には最高の日だ

2020-11-15 11:04:26 | 蜘蛛膜下出血

今日は天気が良くてお日様が当たります。洗濯物も乾くと思います。そういえば回復期のリハビリに作業療法というのがあってOTと呼ばれてました。リハビリを終えて家に帰っても困らないように家の作業ができるようにするリハビリです。OTの中で料理の時間もあるのでリハビリ室の中は作られた料理のいい匂いがしていました。その匂いの中で私は洗濯物を干したり、乾いた洗濯物をたたんでしまう練習をしていました。OTの療法士は洗濯物をミリ単位でたたむような人でした。秋から冬にかけては空気が乾いて洗濯物がすぐに乾くので洗濯にはいい日が続きます。今日は晴れて日の照る日なのでそんなOTの作業を思い出しながら洗濯物を干しました。


記憶の距離感を喪失しました(クモ膜下出血手術後の目と記憶の距離感)

2020-08-06 10:39:13 | 蜘蛛膜下出血

くも膜下出血で手術を受けてリハビリを受けてから一年間ほど入院後してから退院しました。手術の後は喋れず歩けずたべれなかったのですが目もちゃんと見えなくなっていました。物が全て二つに見えたのです。眼科のクリニックに行きましたが手術で右目と左目をつなぐ神経を切ってしまったからだと言われました。神経を切ったと言うのは医者の感想なのかもしれませんが、手術をした病院の記録に残っているのかもしれません。どちらかはわかりません。

退院後のリハビリは維持期ということで自宅から近くの公園に行ってそこで散歩して歩く訓練をしていました。とにかく二つに見えるので歩きにくかったのは間違いないです。右側にあったものが急に左側に現れたりするのです。車に乗っている時も右側の車線をこちらに向かって走っている車が急に乗っている車の左側を走っているのです。肝を冷やしたことがあります。片目をつぶったおじいさんが足を引き売りながら歩いていたわけでおもしろかったのでしょう。下校中で公園を歩いていた小学生が私の真似をしながら片目をつぶって足を引きずりながら歩いていたことがあります。その小学生は私を見ながら笑っていました。「おじいさんはこんなにおかしい歩き方をしているんだよ」と言いたかったのでしょう。余計なお世話なんですが。

片目をつぶって歩くと二つに見えることがないので歩きやすいのですが、残念ながら両目で立体視ができないので距離感がなくなります。近いと思っても実際は遠かったり、その逆もあります。退院して三年くらい経つと目も慣れてきたのか二つに見えることもなくなり、今ではなんでも一つに見えるようになりました。眼科の医師が言うように二つの像を立体的に一つの像にしてくれる視神経が手術で切られたのであれば、いつの間にか再生されたのかもしれません。

そのような立体感の喪失が記憶に起こっています。まるで片目で見るようなことが記憶に起こります。記憶を複眼で見ることができないのです。何か思い出すことがあっても、距離感がないので最近起きたことなのか遠い昔に起きたことなのかわからないのです。昔に聞いたことが最近聞いたような気がしたりするのです。昔のことなのか。今起きていることなのかがわからないのです。実際の生活で時々不自由しています。目のようにだんだん治ると楽観してますが。

退院直後の維持期の初め頃は地面を注意深く見ないで歩いていたせいで公園に落ちていた枝に引っかかって転んだり公園の中心にある池にはまったことがあります。一番ひどいのは歩道の入り口にある車止めのコンクリートの塊にぶつかったこともあります。最近は注意しながら歩いているので何かにぶつかって転ぶと言うことが少なくなりました。少しずつ進化しているのでしょうか?


くも膜下出血と薬

2020-08-01 10:55:15 | 蜘蛛膜下出血

出張先でくも膜下出血を起こして病院に運ばれてから5年経ちました。手術を受けた時はグレード5の状態で意識がなく瀕死の状態でした。よく死なずに済んだと思います。1年間入院して退院しました。退院してから4年経ちますが今でも朝ごはんと夕ご飯の後に3粒ずつ薬を呑んでいます。朝と夕方の3粒のうち2粒は同じ種類の薬で、一つはてんかんでもう一つはパーキンソン病を予防する薬です。頭を2、3回開いているので頭の薬を呑む必要があるんだそうです。今年の2月からてんかんの薬は減らしています。入院中に発作を起こしたと言われました。今思い出すと入院中に妻の弟が亡くなった時のことだと思います。それを聞いたときに自分が死にかけたことが負担になったのではないかと思いました。そう思うと何だか急に悲しくなって大泣きしました。こらえることができなかったんです。それを見ていた看護師さんがてんかんの発作を起こしたと思ったようで急に病院のベッド周りに外に出れないような装置をつけていました。それでてんかんの薬も通常の2倍を呑むようになりました。思うにてんかんの薬は感情のコントロールをしている脳の部分を抑制する効果があるんじゃないでしょうか。感情がコントロールできないので薬を通常の2倍の量を呑むことになったんだと思います。そして退院してからも通常の2倍のてんかんの薬の量でした。

今年の2月から半分の量にしました。担当の先生は頭がスッキリしますよと言ってくれました。その言葉の通りと言っては何ですが、薬の量を減らしてからは色々なことをやる気が出てきました。入院して退院してからもしばらくできなかったこのブログを再開したのも薬を減らしてからです。ちらからしっぱなしだった机の上も少し片付けました。薬の量を減らしたから作業が進んだということがわかったのはしばらくしてからでした。頭の手術と関係があるのかはわかりりませんが入院中も退院後も量を減らす前は悲しくなると涙が止まらなくなって号泣してしまうということが何回も起きました。とにかく感情のコントロールができないのです。ところが減らした後はそんな風に感情のコントロールができなくなることは無くなりました。今の所ちょうどいい量の薬量なんでしょう。

それと他の薬ですが朝は降圧剤、夕方は整腸剤が加わります。つまり朝ごはんの後はてんかん、パーキンソンの薬と降圧剤、夕食の後はてんかん、パーキンソンと整腸剤を呑んでいます。降圧剤が効いているのかこの頃はいつ測っても上110で、下が80くらいです。脈拍数は70くらいです。くも膜下出血の前は少し高血圧気味でしたが大抵の場合脈拍数は100を超えていました。血圧の高低よりも脈拍数が低い方がいいのかな?と思っています。


ぎっくり腰とクモ膜下出血

2020-06-30 15:00:11 | 蜘蛛膜下出血

ぎっくり腰は突然腰が痛くなって歩けなくなります。30代と40代の時に1回ずつ経験しています。整体に行ったりして直したこともあります。バスに乗ったり電車に乗ったりして混んでいて立っている時も急に痛くなって座りたくなったりしていました。腰が痛くてぎっくり腰になってから完全に元に戻るのは2年くらいかかりました。腰の痛みを無くするのに一番効果があったのは歩くことでした。歩いた後はそんなに腰が痛くないのです。腰の痛みをなくすために歩きました。そんな経験があるのでくも膜下出血で入院した後もリハビリが終了した後はぎっくり腰の時のように歩き続けました。まだ安定して歩けないのに退院して維持期が始まった頃は今考えると無謀な歩きをしていたなと思います。ぎっくり腰の時の経験から歩けるようになるためにはたくさん歩く必要があると思っていたのです。この辺が間違っていたのかもしれません。

自宅からは車の通る道を渡ることなく行ける公園があるのですが、毎日その公園で散歩をしていました。歩き続けているうちに歩く速度も上がりましたし、休まずに歩けるようになりました。少しずつ歩くことがよくなるのですが、残念ながら歩きすぎると勝手に体が傾いたりして倒れたりしました。何回も転んだのですが、幸い大きなけがはなく、左肘をコンクリート壁にぶつけてヒビが入って入院したくらいで済みました。目も安定しなかったので歩道の入り口にある車止めのブロックにつまづいて転んだこともあります。公園の中を夜歩いていて公園の真ん中にある池に入ってしまったこともあります。今考えればぎっくり腰の後の歩行練習とくも膜下出血の後の歩行練習が同じでいいはずないことに最近気づきました。ぎっくり腰は多少無理しても歩くことで体が強くなりますがくも膜下出血のリハビリの場合は歩きすぎると歩き方がわからなくなります。

ジムは再開しましたがスタジオプログラムのフラやヨーガはまだまだ再開しそうにありません。密にならないようにするのが困難なんでしょう。いつ再開するのかもわかりませんがしばらく筋トレを続けます。


歩くには足の筋トレが必要だ

2020-06-17 22:08:31 | 蜘蛛膜下出血

閉鎖されていた通っているジムが先週から再開されました。先週は二回今週も二回行きました。今日は再開されてから4回目のジムに行ってきました。閉鎖中の二ヶ月間毎日のように散歩していたのですが、歩けば歩くほど足が痛くなっていました。特に麻痺が激しい左足が不自由になってきました。歩きすぎかなと思い一日3回くらいに分けて歩いたりしました。先日閉鎖中に足が痛くなったのは自転車に乗らなかったからかな?と書きました。ところが今日は足がやけに軽いのです。どうも足の筋トレのせいかなと思います。ジムがないときは足の筋トレをしません。ジムには腿の力をつけたり下半身の筋肉をつける機械があります。この機械を使って足に負荷をかけることで歩くときに足が楽になるのじゃないかなと思います。歩くためには歩くだけではダメなんですね。

ジムのトレーナーさんに聞いてみると「バランスよく筋肉をつけて歩きすぎないようにしてください」と言われました。とにかく今日のジムの帰りは閉鎖中にはなかったくらい軽い足取りで歩くことができました。歩くことをもっと勉強しないとダメですね。鼻歌だけではダメです。

 


ジム再開の初日

2020-06-08 22:17:00 | 蜘蛛膜下出血
今日はジムが再開した日でした。先週の土曜日にジムに電話を入れrて予約しておきました。75分間だけでしたが、予約を入れることで同時に体育館にいる人数を8人にしぼっているとのことでした。脳梗塞や色々な事故で体が動きにくくなった人がいますが久しぶりにお会いして懐かしい思いがしました。ジムに来る前は面識のない人ばかりですが会うとなんだか昔からの知り合いのような気がします。ジムが閉鎖されて筋トレができなかったのですが左の手足の麻痺が出てきて不自由になっていましたが筋トレをすることで閉鎖前のように動くようになりました。筋トレは体を自由に動かすことに役立っているのがよくわかりました。

今日の歩きは控えめに

2020-06-03 23:03:34 | 蜘蛛膜下出血
昨日、一昨日と一回の散歩で1万歩歩いてしまって足が痛かったので今日は7千歩にしました、明日は足も少し楽になっているといいのですが。あんまり歩きすぎたせいかなんとなく歩き方がおかしくなってきました。なるべく疲れないように歩きたいのですが、どうやって歩くのがいいのかわからなくなっています。フラダンスを踊って歌いながら散歩するのがいいのではないかとも思います。くも膜下出血の前は普通に位置万歩くらいは毎日歩いていたのにどんな風に歩いていたのか思い出せません。

やっぱり歩きすぎだった

2020-05-31 21:43:17 | 蜘蛛膜下出血
働くのが好きな人をワークホリックと言ったりしますが私はどちらかというとウォークホリックだとおもいます。歩きすぎてしまいます。歩きすぎて足が痛くなるからと散歩を一日3回に分けて1万歩を目指すと言ったくせに昨日は一回の散歩で1万歩歩いてしまいました。足が痛くならないといいなと思っていたのですが、やっぱり足が痛くなりました。昨日の最後の方は体が左に傾いていました。くも膜下出血手術の後遺症として左の手足に麻痺が残っているのですが、歩きすぎると左手足が思い通りに動かなくなります。転ばなかっただけでも幸運だったと思います。気をつけないと。

退院直後、維持期にガキギャグに遭遇

2020-05-06 21:36:58 | 蜘蛛膜下出血
2015年6月初め頃北海道紋別に出張していた時宿泊していたホテルで動脈瘤が破裂してクモ膜下出血になりました。すぐに救急車で病院に運ばれましたが脳外科病院が近くになく北見まで救急車で2時間かけて脳外科病院に着きました。家族にも連絡が入り翌日駆けつけてくれました。先生は家族がつくまで瀕死の私の手当てをしながら待ってくれて「グレード5の状態で普通は手術をしないのですが手術をしてもいいでしょうか?」と家族に聞いて「お願いします」ということで手術を受けました。家族が着くまで先生は気を揉んでいたみたいで疲れ果てていたそうです。手術の後リハビリがすぐ始まり、急性期。回復期、療養期と続いていきました。療養期とは回復期のリハビリでは歩くことができなかったので自宅に戻って維持期を過ごすことができないだろうということで病院が配慮してくれて病院内の療養棟でリハビリを受けたことを意味しています。療養期の間になんとか歩くことができたので2016年6月下旬に退院して維持期に移りました。退院直後である維持期の初め頃は立って歩くことができましたが、足はずってましたし、誰かが一緒にいてくれないとまっすぐ立っていられない状態でした。おまけに瞳孔の調子が悪く急に明るくなると眩しくて目を閉じてしまいますし、急に暗くなると何も見えなくなっていました。さらに右目と左目で見る景色を一つにすることができなくていつも色々な物が二重に見えていました。そのため片目をつぶって二重に見えないようにしていました。思い返せば足を引きずって歩いているおじいさんが片目をつぶって歩いていたわけです。誰が見てもおかしいおじいさんだったと思います。
いつも散歩していた公園には小学校、幼稚園、保育園が隣接してあります。ちょうど小学生の下校時だったと思います。足を引きずりながら片目をつぶって歩いていると前の方に小学生の低学年の子供たちが歩いていました。その子たちは私の方に向かって歩いていました。その中の先頭を歩いていた子が私を見ながらにやにや笑っているのです。しかも片目をつぶって足を引きずりながら歩いているのです。まるで「僕おじいさんの真似してるんだよ」と得意げな顔をしていました。私は自分が知らない人からはこんなにみっともなく見えるのかなと思いました。それにしても最近問題になっている同調化圧力ってこんな小学生の頃からあるんだなとも思いました。自分が理解できないことをしているのはからかう対象になるんでしょう。
この子は小学校でも動きのおかしい子がいるとその真似をしていじめているんだろうなと思いました、
私はよくみんなに笑ってもらおうと思って面白くない冗談を言うのですが、オヤジギャグと言われて怒られます。そう、オヤジギャグとは面白くなくて好感度が下がるギャグなのです。この私の真似をして周りの子達を笑わせようとする小学生を見た時からこの手のものをガキギャグと呼んでいます。ガキギャグっていじめの遠い原因になってませんか?この子だって私をからかってるわけではなくて周りの子達に喜んでもらおうとしてガキギャグをしてるのかもしれません

粗忽長屋

2020-04-26 11:10:35 | 蜘蛛膜下出血
落語の噺の中に粗忽長屋というのがあります。長屋に住む八と熊という落語の定番の二人が登場します。ある日八さんが散歩をしていると人だかりがありました。行き倒れがいるらしくて大勢の人が集まっていました。八さんがそこにいる人を押し分けて行き倒れを見に行きます。するとそこにいたのは八さんの隣に住んでいる熊さんでした。「大変だ。熊が死んでるよ。急いで教えてやらないと」と言って慌てて長屋に帰ります。長屋で熊さんの家に行きますと熊さんが出てきました。「おっ熊いたか。お前死んでるぞ」と八さんが教えてあげます。二人で行き倒れの死体を見に出かけます。すると行き倒れの死体を見せながら「なっ死んでるだろう」と八さんが熊さんに言います。「本当だ。あそこで死んでるのは。俺だ」と熊さんは言います。言いいながらも「死んでるのは俺だけど、その死んだ俺を見ている俺は誰なんだろう」と思います。落語らしい不思議な噺です。
私もこれと同じことをクモ膜下出血で入院中に体験しました。会社に電話をかけて「私に連絡を取りたい」というと、会社の人は「頭の病気でいません」と答えるのです。それを聴きながら「そうか私は死んでいるのか、でも私が死んだということを考えているこの私は誰なんだろう」と思っったのです。誰かに言ったわけでもなく、落語にかけたオヤジギャグのつもりだったのでしょう。でもその頃は自分に何が起こったのかわからなかったのです。クモ膜下出血の日から一年くらいはほとんど何も覚えていません。くも膜下出血ということさえ理解してなかったと思います。
それでこの粗忽長屋は不思議な噺だなと思っていました。それが最近思うのです。これは藤子不二雄さんの漫画「パーマン」に出てくるコピーロボットのことかなと思うんですね。パーマンが任務で出かけるときは押し入れに隠してあるコピーロボットに額をつけて自分の記憶をロボットに移すんです。パーマンがいないときはコピーロボットがパーマンの代わりに活動してくれます。それでパーマンの任務遂行中に起きたことを記憶してもらって帰ってきたらまたロボットに額をつけて任務中に起きたことの記憶を教えてもらいます。それでパーマンは自分の生活にスムーズに戻ることができます。粗忽長屋に戻りますが熊さんはコピーロボットに記憶を写したんはないでしょうか。熊さんが任務で出かけてる間に熊さんの記憶を持ったコピーロボットが行き倒れたんです。そこで一つ疑問がわきます。熊さんは自分の記憶を写したコピーロボットのことを忘れています。パーマンはコピーロボットのことを覚えています。熊さんとパーマンのコピーロボットの性能が違うんです。
熊さんの時のコピーロボットは記憶をコピーすると全部の記憶がなくなる仕様なんですね、その点、パーマンの時代にはコピーロボットに記憶をコピするだけで元の記憶はちゃんと保存することができるロボットが開発されていたんです。チャンチャン。お後がよろしいようで。

今は病気で倒れないほうがいい

2020-04-25 11:53:25 | 蜘蛛膜下出血
5年前私がクモ膜下出血で倒れた時は近くに脳外科病院がなくて救急車で2時間かかって近くの脳外科病院に着きました。病院に着いた段階でグレード5の状態でした。グレードは患者さんの意識の状態でグレード5というのは意識がなく昏睡状態で瀕死なんだそうです。ネットで調べてみてもグレード4か5の場合は手術しないという病院があります。グレード5になると手術をしても死ぬし、しないと死んでしまうということなんでしょう。運ばれた病院の医師が「普通は手術しないけれどこの患者(私のことです)に体力がありそうなので手術をします」とあえて手術をしてくれたようです。もちろん私はそんなことは知らずに昏睡状態だったので一切の記憶はありません。こんなことが起きたのに、現在のような伝染病で病院が混乱している時だったら、救急車で運びこまれても病院は困るでしょうね。私が倒れた時にこんな伝染病が流行ってなくてよかったと思います。運が良かったということだと思います。

体が走り方を教えてくれた

2020-04-24 21:46:04 | 蜘蛛膜下出血
くも膜下出血によって脳が傷つきました。でも体は無傷でした。。脳と体がうまく繋がってないから歩けなくなったり、喋れなくなったんだと思います。このつながりを再構築するのがリハビリだと思います。維持期の始まりごろです。公園で歩行訓練をしていた時のことでした。頭の中で「こうやれば走れるよ」と体が言ってるのです。まだ満足に歩けないのにです。確かに頭の中に私の体があって走っているのです。その通りに走ってみました。すると走れたのです。びっくりしました。走った証拠にと思い家族に走ってる姿 を動画で撮ってもらいました。リハビリに行った時理学療法士に動画を見せました。彼はびっくりして「今年見た動画の中で一番びっくりしました」と言ってくれました。家族も私の入院中に見舞いに来てくれた人たちもびっくりしていました。走ってみんなにびっくりしてもらおうとしたオヤジギャグのつもりが本当に走れてしまったのです。脳から指示が来るわけではなく体が指示を出すこともありなんです。人体は面白いですね。腸は第二の脳と言われていますが、この頃見つけた本で「皮膚は第3の脳」というタイトルの本があります。体は全体で連携して脳の役割をしているのかもしれません。