さて匂いがわからないことを医学的にはなんと言うのだろう?
匂いがわからないと料理が焦げたりしてもわからないし、火事になっても気づかないでしょう。匂いがわからないことで命を落としたりすることもあるかもしれません。100歳まで生きるのが目標ですが、そのためにも匂いがわかるようにしたいと思います。
当時血圧が高く「鼻歌ウォーキングが血圧を下げる」と聞いて15年くらい前にこのブログを始めました。それが6年ほど前にクモ膜下出血で倒れてつい最近まで休止していました。退院後体力がついてやっと再開できるようになったおかげです。
出血した時に動脈瘤が3っつあるということがわかりました。脳ドックを受けていれば動脈瘤のことがわかってもう少し違った行動をとることができたかもしれません。人の運なのでどうかはわかりませんが、高血圧だったことが関係あったのでしょうかね。今は降圧剤を毎日飲んでいることもあって上が110で下が80くらいになっています。朝に一錠降圧剤を呑んでいるのですが一日中安定しています。つまり、あまり薬の呑んだ時間と血圧に関係がないのです。飲まなくてもいいのかなとは思いますが、かといって勝手に降圧剤をやめるわけにも行きません。かかりつけの医師に色々聞いてみようと思っています。
クモ膜下出血で歩けなくなり、喋れなくなって、すべてのものが2重に見えるようになりました。それでもリハビリ中は歩くことにこだわっていました。このうログを続けることを気にしていたからだと思います。退院してから近くの公園で散歩しています。退院直後は安定して歩けませんでしたが、今ではだいぶ歩けるようになりました。でもまだ出血前ほど長い距離を歩けません。これから長く歩く練習をして鼻歌で散歩をしていきたいと思っています。
今日は天気が良くてお日様が当たります。洗濯物も乾くと思います。そういえば回復期のリハビリに作業療法というのがあってOTと呼ばれてました。リハビリを終えて家に帰っても困らないように家の作業ができるようにするリハビリです。OTの中で料理の時間もあるのでリハビリ室の中は作られた料理のいい匂いがしていました。その匂いの中で私は洗濯物を干したり、乾いた洗濯物をたたんでしまう練習をしていました。OTの療法士は洗濯物をミリ単位でたたむような人でした。秋から冬にかけては空気が乾いて洗濯物がすぐに乾くので洗濯にはいい日が続きます。今日は晴れて日の照る日なのでそんなOTの作業を思い出しながら洗濯物を干しました。
くも膜下出血で手術を受けてリハビリを受けてから一年間ほど入院後してから退院しました。手術の後は喋れず歩けずたべれなかったのですが目もちゃんと見えなくなっていました。物が全て二つに見えたのです。眼科のクリニックに行きましたが手術で右目と左目をつなぐ神経を切ってしまったからだと言われました。神経を切ったと言うのは医者の感想なのかもしれませんが、手術をした病院の記録に残っているのかもしれません。どちらかはわかりません。
退院後のリハビリは維持期ということで自宅から近くの公園に行ってそこで散歩して歩く訓練をしていました。とにかく二つに見えるので歩きにくかったのは間違いないです。右側にあったものが急に左側に現れたりするのです。車に乗っている時も右側の車線をこちらに向かって走っている車が急に乗っている車の左側を走っているのです。肝を冷やしたことがあります。片目をつぶったおじいさんが足を引き売りながら歩いていたわけでおもしろかったのでしょう。下校中で公園を歩いていた小学生が私の真似をしながら片目をつぶって足を引きずりながら歩いていたことがあります。その小学生は私を見ながら笑っていました。「おじいさんはこんなにおかしい歩き方をしているんだよ」と言いたかったのでしょう。余計なお世話なんですが。
片目をつぶって歩くと二つに見えることがないので歩きやすいのですが、残念ながら両目で立体視ができないので距離感がなくなります。近いと思っても実際は遠かったり、その逆もあります。退院して三年くらい経つと目も慣れてきたのか二つに見えることもなくなり、今ではなんでも一つに見えるようになりました。眼科の医師が言うように二つの像を立体的に一つの像にしてくれる視神経が手術で切られたのであれば、いつの間にか再生されたのかもしれません。
そのような立体感の喪失が記憶に起こっています。まるで片目で見るようなことが記憶に起こります。記憶を複眼で見ることができないのです。何か思い出すことがあっても、距離感がないので最近起きたことなのか遠い昔に起きたことなのかわからないのです。昔に聞いたことが最近聞いたような気がしたりするのです。昔のことなのか。今起きていることなのかがわからないのです。実際の生活で時々不自由しています。目のようにだんだん治ると楽観してますが。
退院直後の維持期の初め頃は地面を注意深く見ないで歩いていたせいで公園に落ちていた枝に引っかかって転んだり公園の中心にある池にはまったことがあります。一番ひどいのは歩道の入り口にある車止めのコンクリートの塊にぶつかったこともあります。最近は注意しながら歩いているので何かにぶつかって転ぶと言うことが少なくなりました。少しずつ進化しているのでしょうか?
出張先でくも膜下出血を起こして病院に運ばれてから5年経ちました。手術を受けた時はグレード5の状態で意識がなく瀕死の状態でした。よく死なずに済んだと思います。1年間入院して退院しました。退院してから4年経ちますが今でも朝ごはんと夕ご飯の後に3粒ずつ薬を呑んでいます。朝と夕方の3粒のうち2粒は同じ種類の薬で、一つはてんかんでもう一つはパーキンソン病を予防する薬です。頭を2、3回開いているので頭の薬を呑む必要があるんだそうです。今年の2月からてんかんの薬は減らしています。入院中に発作を起こしたと言われました。今思い出すと入院中に妻の弟が亡くなった時のことだと思います。それを聞いたときに自分が死にかけたことが負担になったのではないかと思いました。そう思うと何だか急に悲しくなって大泣きしました。こらえることができなかったんです。それを見ていた看護師さんがてんかんの発作を起こしたと思ったようで急に病院のベッド周りに外に出れないような装置をつけていました。それでてんかんの薬も通常の2倍を呑むようになりました。思うにてんかんの薬は感情のコントロールをしている脳の部分を抑制する効果があるんじゃないでしょうか。感情がコントロールできないので薬を通常の2倍の量を呑むことになったんだと思います。そして退院してからも通常の2倍のてんかんの薬の量でした。
今年の2月から半分の量にしました。担当の先生は頭がスッキリしますよと言ってくれました。その言葉の通りと言っては何ですが、薬の量を減らしてからは色々なことをやる気が出てきました。入院して退院してからもしばらくできなかったこのブログを再開したのも薬を減らしてからです。ちらからしっぱなしだった机の上も少し片付けました。薬の量を減らしたから作業が進んだということがわかったのはしばらくしてからでした。頭の手術と関係があるのかはわかりりませんが入院中も退院後も量を減らす前は悲しくなると涙が止まらなくなって号泣してしまうということが何回も起きました。とにかく感情のコントロールができないのです。ところが減らした後はそんな風に感情のコントロールができなくなることは無くなりました。今の所ちょうどいい量の薬量なんでしょう。
それと他の薬ですが朝は降圧剤、夕方は整腸剤が加わります。つまり朝ごはんの後はてんかん、パーキンソンの薬と降圧剤、夕食の後はてんかん、パーキンソンと整腸剤を呑んでいます。降圧剤が効いているのかこの頃はいつ測っても上110で、下が80くらいです。脈拍数は70くらいです。くも膜下出血の前は少し高血圧気味でしたが大抵の場合脈拍数は100を超えていました。血圧の高低よりも脈拍数が低い方がいいのかな?と思っています。
ぎっくり腰は突然腰が痛くなって歩けなくなります。30代と40代の時に1回ずつ経験しています。整体に行ったりして直したこともあります。バスに乗ったり電車に乗ったりして混んでいて立っている時も急に痛くなって座りたくなったりしていました。腰が痛くてぎっくり腰になってから完全に元に戻るのは2年くらいかかりました。腰の痛みを無くするのに一番効果があったのは歩くことでした。歩いた後はそんなに腰が痛くないのです。腰の痛みをなくすために歩きました。そんな経験があるのでくも膜下出血で入院した後もリハビリが終了した後はぎっくり腰の時のように歩き続けました。まだ安定して歩けないのに退院して維持期が始まった頃は今考えると無謀な歩きをしていたなと思います。ぎっくり腰の時の経験から歩けるようになるためにはたくさん歩く必要があると思っていたのです。この辺が間違っていたのかもしれません。
自宅からは車の通る道を渡ることなく行ける公園があるのですが、毎日その公園で散歩をしていました。歩き続けているうちに歩く速度も上がりましたし、休まずに歩けるようになりました。少しずつ歩くことがよくなるのですが、残念ながら歩きすぎると勝手に体が傾いたりして倒れたりしました。何回も転んだのですが、幸い大きなけがはなく、左肘をコンクリート壁にぶつけてヒビが入って入院したくらいで済みました。目も安定しなかったので歩道の入り口にある車止めのブロックにつまづいて転んだこともあります。公園の中を夜歩いていて公園の真ん中にある池に入ってしまったこともあります。今考えればぎっくり腰の後の歩行練習とくも膜下出血の後の歩行練習が同じでいいはずないことに最近気づきました。ぎっくり腰は多少無理しても歩くことで体が強くなりますがくも膜下出血のリハビリの場合は歩きすぎると歩き方がわからなくなります。
ジムは再開しましたがスタジオプログラムのフラやヨーガはまだまだ再開しそうにありません。密にならないようにするのが困難なんでしょう。いつ再開するのかもわかりませんがしばらく筋トレを続けます。
閉鎖されていた通っているジムが先週から再開されました。先週は二回今週も二回行きました。今日は再開されてから4回目のジムに行ってきました。閉鎖中の二ヶ月間毎日のように散歩していたのですが、歩けば歩くほど足が痛くなっていました。特に麻痺が激しい左足が不自由になってきました。歩きすぎかなと思い一日3回くらいに分けて歩いたりしました。先日閉鎖中に足が痛くなったのは自転車に乗らなかったからかな?と書きました。ところが今日は足がやけに軽いのです。どうも足の筋トレのせいかなと思います。ジムがないときは足の筋トレをしません。ジムには腿の力をつけたり下半身の筋肉をつける機械があります。この機械を使って足に負荷をかけることで歩くときに足が楽になるのじゃないかなと思います。歩くためには歩くだけではダメなんですね。
ジムのトレーナーさんに聞いてみると「バランスよく筋肉をつけて歩きすぎないようにしてください」と言われました。とにかく今日のジムの帰りは閉鎖中にはなかったくらい軽い足取りで歩くことができました。歩くことをもっと勉強しないとダメですね。鼻歌だけではダメです。