このblogではアフィリエイト・広告の類を極力排除している。
訪問者数から推測してそんなもので稼げるわけがない、という悲しい現実はさておいて、情報を探すためにネットを利用する私は、広告が無い・少ないページに好感を持っているからだ。
そのスタンスながら、今回は広告。広告といっても、弊BLOGの主題に沿った本の紹介であるので、いさぎよくエントリの本題とする。わざわざここに訪問してくれた人にとっては一般広告のような雑音性はないと思う。
広告対象は、ネットを通じて友人となった建築プロデューサーの朝妻義征さんが出版した書籍で、「家づくり物語」(幻冬舎ルネッサンス)という。
自分の家づくりに悩む桂子さんの、短期間だが刺激的な放浪記(?)である。
さて、本書はなにより、「家づくり(※1)を楽しみたい人」にオススメしたいのである。
家づくりは個人としては大金と長い時間を費やす大イベントであるから、私はできるだけ楽しまなければ損だと考えている。
楽しむために「押さえるべきポイント」というものがある。
家づくりを考える人は依頼先や工法、素材の知識を知ろうと、いきなり方法論から動きはじめがちだが、そのままやり手の業者に接触すると、いきなり相手に主導権を握られかねない。物事を楽しむには自分のペースで進めることが肝心だ。
だから方法論に入る前にやることがある。
「○○を実現するためにどのような方法でやるか」というときに、○○がはっきりしないことには最適な方法を見つけることができないはず。
本書に登場する「おじさんの妖精」ジンが主人公の桂子に教える「家づくりの秘訣」は、楽しむためとして提示するわけではないが、自然と家づくりを楽しむための重要なポイントをおさえていくことにもなっている。
ジンは桂子にいろいろな「秘訣」をなげかけるけれど、結局、自分の内なる要求と向き合うように導く。
実はそれは桂子にとっての○○、すなわち自分が本当にほしい環境を探す作業なのである。目に見えるモノから探すのではなく、気持ちのいい過ごし方を想像するところからはじめる、そうすればおのずとモノも選定しやすくなる。
自分のペースにあった依頼先を探すこと、工法、素材を選択すること、打ち合わせすること…いろいろなシーンで楽しめる。おせっかいな外野にミスリードされるリスクも減る。
合理化・効率化を追求する現代においては何事もシステマチックに進む。自分の軸を確立しないまま、方法論から一つのシステムに乗ってしまうと、第三者が見て問題ない家ができるとしても、自分自身が家づくりを楽しめなくなるかもしれない。
住宅に関する多くのパブリシティ(宣伝)本や、上から目線の啓蒙本に共通しているのは、ある工法、素材、施工者、設計者、業態等々を取り上げて「これが正しい」「これが最高」と主張している点である。
特定の尺度においては、それらの主張は間違っていないと思う。それらの本から様々な有用な情報だって拾い出すことも可能だ。しかしそれぞれが、一神教的に自分が正しい(そして異論を唱える他の人間が間違っている)と主張しあっているために、読者側は惑わされることが少なくないのだ。
他人の理論に振り回されないためには、自分の尺度をできるだけ明瞭にすることが大事だ。妖精ジンは桂子が迷うたびに登場するが、ポイントを教えつつもやはり自分で決めることを示唆する。何が大事かを決めるのはあくまでも施主だということだ。
著者の朝妻さんは建築家・設計事務所との家づくりのお手伝いを事業としているし、そういうシステム(※2)でビジネスしているゆえに、手厳しい人から「本書もこれはこれでパブリシティ本だろう」という指摘があることは想像できる。
ただ、少なくとも「これが一番」といって、特定の業者のやり方を大前提に展開するパブリシティ本よりも、まずは読者(施主)が業者のペースではなく、自分のペースで自分の家のことをよく考えようと導いている点において、良心的であろう。
本書は、家の性能判定や工法や建材などについてまったく具体的に指南していない(笑)。そのことこそが、請け負う側の理屈より発注する側のことを考えている証拠でもある。
朝妻さんはハウスメーカーとは業務関係がないようだが、相談に訪れた人がハウスメーカー向きであることがわかったら、ハウスメーカーにしたほうがいいと助言するという(この段階では朝妻さんにはまったく利益はない)。
建築家・設計事務所との家づくりのことを知らないまま(※3)他のやり方に行ってしまうのが残念と考えているものの、家づくりの仕方は様々だということを前提としている。他にとられまいと引き止める業者よりは誠実ではないか。本書で桂子は結局建築家との対面作業に入ることになるとはいえ、そこにいたるまでの検討・思考は、どんな依頼先との家づくりであっても役に立つことだ。
一施主としての私は、一般論として依頼先は建築家が最高と主張するつもりはまったくないし、依頼先の選定は人それぞれ自由にさせてもらいたいとも思っている。
ただ、最終的にどんな依頼先を選定しようとも、「楽しみたい」のならば、依頼先の選定より前に、できるだけ自分の軸を確立しておくべきだとは施主側全般に伝えたいと思っていて、その点でジンのガイドには太鼓判を押したいのだ。
一部のパブリシティ本の筆者は、自分がよいと考えるやり方に読者(施主)を引き込もうとするあまり、部分的にでも施主の生活慣習や価値観を軽視したり、不安をあおったり、方向転換させようとしたりする言説を展開していることがある。施主は家づくりにおいては経験不足かもしれないが、自分の普段の暮らしにおいてはしっかりと経験を積んでいる。家の性能面の一般的評価なんぞものともせず、すばらしい生活をしている人もいる(こういう人とかこういう人)。
そういう暮らしの達人とは言わないまでも、ちゃんと生活している人に気に入った生活パターンを変えさせようと導くのは的外れな説教に近い。
私はある工務店主の書いた本を読んで、ハードとしては品質の高い家を建てるだろうと感想を持ったが、子育てや家族のコミュニケーションに対する考え方がかなりズレていたので「依頼先としては不適」と判断した。いくら性能が良くても、自分と異なる生活様式を優と決め付けた理論を元にした構造や間取りを押し付けられるのはゴメンだからだ。
ほんとうにくどいけれども、楽しんで家を建てるには、依頼先となる業者・業界人の論理・尺度を前提に自分が合わせるのではなく、自分の論理・価値観をまずは尊重(※4)してくれる依頼先を探すという順序であるべきなのだ。
誤解されないように言っておくが、すべてを自分の尺度に合わせるように依頼先に要求するのは無理というものだし、細かな部分まですべて自分では判断しきれないものでもある。
だから自分が大事にしたい部分についてはきっちり要求しても、そのほかの部分においては依頼先に主導権をゆだねることもアリ、である。
要するに、ゆだねていい部分とゆだねたくない部分というのも施主が判断すべきことなのだ。本書を読めばそういうこともそれとなくわかってくるだろう。
フェアーな判断の一助となるよう、私と朝妻さんの関係を少し公開しておく。
私の家づくりに朝妻さんはかかわっていない。私が家づくりをはじめて、blogをはじめてから、ネット上で知り合った。
「業界唯一完全独立系建築プロデューサー」という肩書きに少々ひきつつ(失礼)、気軽に意見交換させてもらった。その後オフで会ったら、実に魅力的な人物だった。
もしこの本が売れても私に金銭的利益はない(この広告もアフィリエイトではないし…)。ただ、朝妻さんの懐が豊かになった事実を知ったら、それとなく「一杯おごって」と言える間柄にあることは表明しておく。そういう意味で利害関係が完全な「0」(ゼロ)ではない。状況によってはある程度のリターン(※5)が得られるかもしれないのだ(笑)。
この「広告」にバイアスはあるかもしれないが、ビジネスではない一般人による広告行為であることはわかって欲しい。
(※1)何度も言っていることだが、「家づくり」は竣工までのことではない。
(※2)建築家・設計事務所との家づくりもそれはそれで一つのシステムなのだけれど、他のやり方よりはシステマチックではないことを言い添えておきたい。例えば、素材や設備などの選択において、よりフリーな立場から出発するので、限られた選択肢からポンポンと選んでいくような流れにならない。施主がどういうモノを望むのか建築家に伝え、建築家は世の中にあまたある製品の中から施主に合いそうな製品の候補を絞り込んで施主に提示する。施主がそれに納得しなかったら別の製品を探す、または一から作る、というような工程だ。それは、よりマッチングを重視した作業なのだが、他のシステムほど効率的ではない(ゆえに時間がかかる)。どちらがいいかは価値観とスタンスの違いでなんともいえない。
(※3)建築家・設計事務所のことを良く知らないで、人から聞いた知識だけで敬遠する人はけっこう多い。逆に、勝手に都合の良いイメージを膨らませてギャップに落胆する人もいる。何より「知る」ことが大事だ。
(※4)「前提」ではなく「尊重」であることに注意。施主は知識不足ゆえに実現困難な要望をもつことは往々にしてある。丁寧な意見交換のあと変更することもありうる。
(※5)こういう状況の場合、アフィリエイト広告がもたらすスズメの涙ほどの報酬より、期待効果を大きく想定(想像ともいう)できて楽しめるわけである。
訪問者数から推測してそんなもので稼げるわけがない、という悲しい現実はさておいて、情報を探すためにネットを利用する私は、広告が無い・少ないページに好感を持っているからだ。
そのスタンスながら、今回は広告。広告といっても、弊BLOGの主題に沿った本の紹介であるので、いさぎよくエントリの本題とする。わざわざここに訪問してくれた人にとっては一般広告のような雑音性はないと思う。
広告対象は、ネットを通じて友人となった建築プロデューサーの朝妻義征さんが出版した書籍で、「家づくり物語」(幻冬舎ルネッサンス)という。
自分の家づくりに悩む桂子さんの、短期間だが刺激的な放浪記(?)である。
さて、本書はなにより、「家づくり(※1)を楽しみたい人」にオススメしたいのである。
家づくりは個人としては大金と長い時間を費やす大イベントであるから、私はできるだけ楽しまなければ損だと考えている。
楽しむために「押さえるべきポイント」というものがある。
家づくりを考える人は依頼先や工法、素材の知識を知ろうと、いきなり方法論から動きはじめがちだが、そのままやり手の業者に接触すると、いきなり相手に主導権を握られかねない。物事を楽しむには自分のペースで進めることが肝心だ。
だから方法論に入る前にやることがある。
「○○を実現するためにどのような方法でやるか」というときに、○○がはっきりしないことには最適な方法を見つけることができないはず。
本書に登場する「おじさんの妖精」ジンが主人公の桂子に教える「家づくりの秘訣」は、楽しむためとして提示するわけではないが、自然と家づくりを楽しむための重要なポイントをおさえていくことにもなっている。
ジンは桂子にいろいろな「秘訣」をなげかけるけれど、結局、自分の内なる要求と向き合うように導く。
実はそれは桂子にとっての○○、すなわち自分が本当にほしい環境を探す作業なのである。目に見えるモノから探すのではなく、気持ちのいい過ごし方を想像するところからはじめる、そうすればおのずとモノも選定しやすくなる。
自分のペースにあった依頼先を探すこと、工法、素材を選択すること、打ち合わせすること…いろいろなシーンで楽しめる。おせっかいな外野にミスリードされるリスクも減る。
合理化・効率化を追求する現代においては何事もシステマチックに進む。自分の軸を確立しないまま、方法論から一つのシステムに乗ってしまうと、第三者が見て問題ない家ができるとしても、自分自身が家づくりを楽しめなくなるかもしれない。
住宅に関する多くのパブリシティ(宣伝)本や、上から目線の啓蒙本に共通しているのは、ある工法、素材、施工者、設計者、業態等々を取り上げて「これが正しい」「これが最高」と主張している点である。
特定の尺度においては、それらの主張は間違っていないと思う。それらの本から様々な有用な情報だって拾い出すことも可能だ。しかしそれぞれが、一神教的に自分が正しい(そして異論を唱える他の人間が間違っている)と主張しあっているために、読者側は惑わされることが少なくないのだ。
他人の理論に振り回されないためには、自分の尺度をできるだけ明瞭にすることが大事だ。妖精ジンは桂子が迷うたびに登場するが、ポイントを教えつつもやはり自分で決めることを示唆する。何が大事かを決めるのはあくまでも施主だということだ。
著者の朝妻さんは建築家・設計事務所との家づくりのお手伝いを事業としているし、そういうシステム(※2)でビジネスしているゆえに、手厳しい人から「本書もこれはこれでパブリシティ本だろう」という指摘があることは想像できる。
ただ、少なくとも「これが一番」といって、特定の業者のやり方を大前提に展開するパブリシティ本よりも、まずは読者(施主)が業者のペースではなく、自分のペースで自分の家のことをよく考えようと導いている点において、良心的であろう。
本書は、家の性能判定や工法や建材などについてまったく具体的に指南していない(笑)。そのことこそが、請け負う側の理屈より発注する側のことを考えている証拠でもある。
朝妻さんはハウスメーカーとは業務関係がないようだが、相談に訪れた人がハウスメーカー向きであることがわかったら、ハウスメーカーにしたほうがいいと助言するという(この段階では朝妻さんにはまったく利益はない)。
建築家・設計事務所との家づくりのことを知らないまま(※3)他のやり方に行ってしまうのが残念と考えているものの、家づくりの仕方は様々だということを前提としている。他にとられまいと引き止める業者よりは誠実ではないか。本書で桂子は結局建築家との対面作業に入ることになるとはいえ、そこにいたるまでの検討・思考は、どんな依頼先との家づくりであっても役に立つことだ。
一施主としての私は、一般論として依頼先は建築家が最高と主張するつもりはまったくないし、依頼先の選定は人それぞれ自由にさせてもらいたいとも思っている。
ただ、最終的にどんな依頼先を選定しようとも、「楽しみたい」のならば、依頼先の選定より前に、できるだけ自分の軸を確立しておくべきだとは施主側全般に伝えたいと思っていて、その点でジンのガイドには太鼓判を押したいのだ。
一部のパブリシティ本の筆者は、自分がよいと考えるやり方に読者(施主)を引き込もうとするあまり、部分的にでも施主の生活慣習や価値観を軽視したり、不安をあおったり、方向転換させようとしたりする言説を展開していることがある。施主は家づくりにおいては経験不足かもしれないが、自分の普段の暮らしにおいてはしっかりと経験を積んでいる。家の性能面の一般的評価なんぞものともせず、すばらしい生活をしている人もいる(こういう人とかこういう人)。
そういう暮らしの達人とは言わないまでも、ちゃんと生活している人に気に入った生活パターンを変えさせようと導くのは的外れな説教に近い。
私はある工務店主の書いた本を読んで、ハードとしては品質の高い家を建てるだろうと感想を持ったが、子育てや家族のコミュニケーションに対する考え方がかなりズレていたので「依頼先としては不適」と判断した。いくら性能が良くても、自分と異なる生活様式を優と決め付けた理論を元にした構造や間取りを押し付けられるのはゴメンだからだ。
ほんとうにくどいけれども、楽しんで家を建てるには、依頼先となる業者・業界人の論理・尺度を前提に自分が合わせるのではなく、自分の論理・価値観をまずは尊重(※4)してくれる依頼先を探すという順序であるべきなのだ。
誤解されないように言っておくが、すべてを自分の尺度に合わせるように依頼先に要求するのは無理というものだし、細かな部分まですべて自分では判断しきれないものでもある。
だから自分が大事にしたい部分についてはきっちり要求しても、そのほかの部分においては依頼先に主導権をゆだねることもアリ、である。
要するに、ゆだねていい部分とゆだねたくない部分というのも施主が判断すべきことなのだ。本書を読めばそういうこともそれとなくわかってくるだろう。
フェアーな判断の一助となるよう、私と朝妻さんの関係を少し公開しておく。
私の家づくりに朝妻さんはかかわっていない。私が家づくりをはじめて、blogをはじめてから、ネット上で知り合った。
「業界唯一完全独立系建築プロデューサー」という肩書きに少々ひきつつ(失礼)、気軽に意見交換させてもらった。その後オフで会ったら、実に魅力的な人物だった。
もしこの本が売れても私に金銭的利益はない(この広告もアフィリエイトではないし…)。ただ、朝妻さんの懐が豊かになった事実を知ったら、それとなく「一杯おごって」と言える間柄にあることは表明しておく。そういう意味で利害関係が完全な「0」(ゼロ)ではない。状況によってはある程度のリターン(※5)が得られるかもしれないのだ(笑)。
この「広告」にバイアスはあるかもしれないが、ビジネスではない一般人による広告行為であることはわかって欲しい。
(※1)何度も言っていることだが、「家づくり」は竣工までのことではない。
(※2)建築家・設計事務所との家づくりもそれはそれで一つのシステムなのだけれど、他のやり方よりはシステマチックではないことを言い添えておきたい。例えば、素材や設備などの選択において、よりフリーな立場から出発するので、限られた選択肢からポンポンと選んでいくような流れにならない。施主がどういうモノを望むのか建築家に伝え、建築家は世の中にあまたある製品の中から施主に合いそうな製品の候補を絞り込んで施主に提示する。施主がそれに納得しなかったら別の製品を探す、または一から作る、というような工程だ。それは、よりマッチングを重視した作業なのだが、他のシステムほど効率的ではない(ゆえに時間がかかる)。どちらがいいかは価値観とスタンスの違いでなんともいえない。
(※3)建築家・設計事務所のことを良く知らないで、人から聞いた知識だけで敬遠する人はけっこう多い。逆に、勝手に都合の良いイメージを膨らませてギャップに落胆する人もいる。何より「知る」ことが大事だ。
(※4)「前提」ではなく「尊重」であることに注意。施主は知識不足ゆえに実現困難な要望をもつことは往々にしてある。丁寧な意見交換のあと変更することもありうる。
(※5)こういう状況の場合、アフィリエイト広告がもたらすスズメの涙ほどの報酬より、期待効果を大きく想定(想像ともいう)できて楽しめるわけである。
いつも本当にありがとうございます。
でも、「リターン」はあまり期待しないほうが・・・
是非、お気軽に「建築BAR」へもお立ち寄りください。
お会いできる日を楽しみにしております。
私の場合もなんやかんやいってかなり楽しめました。いえ、楽しんでいます(笑)。資金面の手当を考える時だけはホント苦痛でしたが(苦笑)。
さすがgaraikaさん、よいご友人をお持ちです。
リターンを期待しているわけではありません。想像して楽しんでいるだけです(笑)。
aiaiさんは楽しんで建てたことがよくわかります。そして今も楽しんでいることも。
私の場合、貧乏性であることが多分に影響しているようであると自己分析していますが、aiaiさんはどうかな。同じかな(笑)。