家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

数値性能と住宅の寿命の因果関係

2006年04月04日 | 家について思ったことなど
いわゆる「高性能住宅」の寿命はそうでない住宅と比べて長いといえるのだろうか、という疑問。

一口に高性能といっても、いろいろな性能があるのだが、数値で示される性能をもって「高性能住宅」としていることが多いので、その切り口で考えてみた。

住宅を単にハードとしてみれば、「高性能住宅」はたぶん、そうでない住宅より頑丈で寿命が長いだろう。
それなのになぜ疑問に思うのかというと、施主の家づくりの思考過程を想像するからだ。数字で判定する高性能さにこだわると、将来、その数字があだになって寿命を短くさせはしないか、ということである。

住宅性能というものは絶えずなにがしか進化している。
となると、30年後、自分がこだわった数字はその時点で陳腐化している、ということはないだろうか。
あるいは別の数字で表せる概念が登場して、その数字の優劣をエキセントリックに語る連中が出てきやしないか。
数字ばかりに固執して家を建てると、将来のある時点での新築住宅の数字と比較して、自分の家が低スペックの時代遅れなものに思えてしまうだろう。
まだ使えるのに住人の心情に建て直したいという欲求を生じさせ、結果寿命を長くすることができなくなるのではないかと懸念する。

実際、現在の「高性能住宅」が、数字で表される部分の優劣を武器にして売り込み、「まだ使える住宅」を建て直させている流れを見るにつけ、寿命を延ばす効果を疑念視せざるを得ない。
数字を比較すれば、現在の「高性能住宅」はきっと未来の「高性能住宅」にかなわない。次世代の「高性能住宅」が現代の「高性能住宅」の建て直しを促すという循環が続けば、家の寿命は延びようもない。

家には数字で表現できない性能がたくさんある。
空間の心地よさ、採光、通風、動線、質感、外観、内観、庭・・・
それらは数値で表される性能とも両立するが、その性能単独でも、それぞれに満足感は得られる。

本当に「高性能」な住宅を建てるのならば数値で表せない性能も重要視すべきだ。将来、数値性能部分が未来の住宅に劣ってきても、慣れ親しんだ他の性能が陳腐化していない(場合によってはエイジングして向上している)ことによって、わざわざ壊すこともないと考えることができるだろう。

昔からある「縁側」のような価値のあるパーツを簡単に捨て去った「高性能住宅」のチラシを見るにつけ、そんなことを思う。

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