山小屋の周囲には何種類か樹木がある。杉や柿は以前からあったもので、コナラやもみじ、イチョウは後から植えた。
その中に、子供たちの木もある。いずれも両親が孫のためにと植えたものである。
息子のは「さくらんぼの木」。
まあ結局は「さくら」なのだが、「さくらんぼがなる木が欲しい」という言葉を聞いて、ちゃんと実のなるはずの木を調達したこともあり、「さくらんぼの木」としている。
娘のは「ブルーベリー」。
一時期、ブルーベリージャムが気に入った娘を喜ばせようと植栽したものだ。
悲しいかな、貧乏性で食い意地の張った私の性質を子供たちはしっかり受け継いでいる。
それはさておき、自分の木がある、ということは子供たちにもきっと楽しみになると思う。情操教育にもつながるような気がする。
子供と植栽に絡んでは少し悔やんでいることがある。
娘のために、「桐(きり)」を植えておけば良かったということだ。
昔の人は娘が産まれると、桐の木を植えたという話を聞いた。娘が成長して嫁にいくころには、桐も大きくなっていて、それでタンスを作ったのだという。
昔の人はそういうスパンで物事を考えていた。現代人はそういう考え方ができるだろうか。
きっと現代でソレをやったら、もう数が少ない桐箪笥のベテラン職人が面白がって腕まくりしていいものを作ってくれそうな気もする。
まあ、そんなところまで想像をするのも、結局、私の貧乏性の根深さを現していると言えるのだった。
その中に、子供たちの木もある。いずれも両親が孫のためにと植えたものである。
息子のは「さくらんぼの木」。
まあ結局は「さくら」なのだが、「さくらんぼがなる木が欲しい」という言葉を聞いて、ちゃんと実のなるはずの木を調達したこともあり、「さくらんぼの木」としている。
娘のは「ブルーベリー」。
一時期、ブルーベリージャムが気に入った娘を喜ばせようと植栽したものだ。
悲しいかな、貧乏性で食い意地の張った私の性質を子供たちはしっかり受け継いでいる。
それはさておき、自分の木がある、ということは子供たちにもきっと楽しみになると思う。情操教育にもつながるような気がする。
子供と植栽に絡んでは少し悔やんでいることがある。
娘のために、「桐(きり)」を植えておけば良かったということだ。
昔の人は娘が産まれると、桐の木を植えたという話を聞いた。娘が成長して嫁にいくころには、桐も大きくなっていて、それでタンスを作ったのだという。
昔の人はそういうスパンで物事を考えていた。現代人はそういう考え方ができるだろうか。
きっと現代でソレをやったら、もう数が少ない桐箪笥のベテラン職人が面白がって腕まくりしていいものを作ってくれそうな気もする。
まあ、そんなところまで想像をするのも、結局、私の貧乏性の根深さを現していると言えるのだった。
木を植える話、いいですね。
うちも家づくりで木に対する気持ちが高まり、植栽をしてもらうことにしています。
何を植えてもらうか考えているのも楽しいですね。
私もブログしています。
稚拙なので恥ずかしい限りですが・・・
ちょっと見させてもらいましたが、渋い感じで好みの外観です。竣工とその後の経年変化も楽しそうな家です。
ちょくちょく覗きにいきますね。
植える木の報告も楽しみにしています。
家自体は住んでいく内に味が出るようにしたいと思っています。
細々(?)やってますので、たまに遊びに来てくださいね。
外構も検討中なので、決まったらご報告したいと思います。
そうそう、うちにも勝手に植えられてた植栽に「やまぼうし」ありますよ。
芽吹いていてくれるといいのですが・・・
そんなことないですよ。lunapapaさんのとこのほうが私のところよりずっと具体的で内容ありますって。
ココは竣工時の完成度だけで家の「いい・悪い」を語る世間の風潮が気にいらない人間の独り言の場とでも思ってください。
同調してもらえる人が現れただけで私は大喜びです。
さて
「やまぼうし」はいいですよ。季節感がはっきり出る木です。その変化を伝えるだけでブログもネタにもなります。
やまぼうし連合は、「やまぼうしを植えている」というだけで仲間ですから、lunapapaさんはすでに同志です。
うちも今年の春には何かを植える予定です。
水の通り道を作ったりその他の必要なことで忙しく、現実的にまだまだ考えがまとまらないんですが、とりあえず「桜」かな?それでもこの週末はまだ雪がちらつきました。
そう、もみじと竹をOnsenと縁側から見えるところに、っていうのはずっ~ッと最初から思ってたんですね。もちろん植えます。はい。
最近、日本のプログを見てると「桜」ばっかりなんで、今週は急にホームシックになって桜を夢みました。
家作り、庭作り、先は長いですよね~。一生遊べるな。(笑)