ひまわり博士のウンチク

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世代交代する映画館

2014年12月12日 | うんちく・小ネタ

 
 ここにきて、歴史ある映画館が次々に閉館する。
 11日付東京新聞に、閉館する映画館の写真を撮り続けている人の記事が載っていた。これまで「150館のラストシーン」を撮り続けていたそうだ。
 映画そのものは決して衰退したわけではなく、映画館の形態が変わったのだ。大型スクリーンで大観衆を集めて上映される大規模な映画館や、古い映画を再上映していた名画座のたぐい、場末でひっそりとポルノ映画などを上映していた三流映画館はことごとく閉館してしまった。それに代わって、複数のスクリーンを持つシネコンが次々に開館している。新宿歌舞伎町の、コマ劇場あとにも新たにシネコンがオープンする予定だ。
 上映方式もフィルムからデジタルになり、映画のフィルムを自転車に乗せて次の上映映画館に運んでいる光景も見られなくなった。映写技師の腕に頼っていた大型のフィルム映写機は次々に博物館送りになっている。
 
 国内最大級の映画館、新宿歌舞伎町のミラノ座も今年一杯で閉館する。
 ミラノ座には映画以外にも思い出がある。スクリーンの手前がステージになっていて、映画が終了したあと、そこで演劇やコンサートなど、さまざまなイベントが行われた。
 大晦日にオールナイトジャムセッションが行われていたこともある。ジャズの外タレをプロデュースする「呼び屋」鯉沼ミュージックの鯉沼社長が自分で司会をしていた。
 夜の9時過ぎに始まって、朝明るくなるまで演奏が続き、渡辺貞雄が登場すると館内は最高潮に達した。みんなが眠くなった明け方になると山下洋輔が大音響で目覚ましをしてくれた。
 
 今年8月に閉館になった池袋東口の文芸座は、学生時代ずいぶんお世話になった。2本立てだが最終回の1本になると夜間割引が適用され。当時アルバイトをしていた芳林堂書店が閉まると、同僚の映画仲間と走って最後の上映に間に合わせたものだ。
 そこではジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーなど、ヌーベルバーグ系の映画をよく観た。
 
 同じく今年8月閉館の新橋ロマン劇場はポルノ映画専門の映画館で、仕事で新橋に行くと立ち寄った。今思えばひどいレベルの映画が上映されていたものだ。最近のAVのような美形の女優などまずいない。どう見ても30~40歳と見える女優がセーラー服を着て登場したりする。ようするに「きたならしい」映画である。
 一時的に頭をからっぽにするにはちょうどいいし、上映時間がせいぜい1時間ほどで短いから、サボっていることが発覚しにくい。そしてなによりも入場料が安かった。150円か200円だったと思う。いつも観客はチラホラだった。
 
 かつては表の看板を見てふらりと映画館に入ることが多かった。現在のシネコンではそれができない。小プロダクションの作品は、今ではVシネマになって映画館では上映されない。映画館で上映されるのは、大手配給会社によるメジャーな作品ばかりだ。
 ポレポレ東中野のように、大手の映画館では上映されないドキュメンタリーや新人作家の作品を上映する映画館もあるが、僕に言わせればお行儀が良すぎる。学生が作ったバカバカしい作品や小プロダクション製作のやりたい放題の映画などを上映する映画館が、都内に一つぐらいは残っていてほしいと思うのだが。
 
 そういえば、かつて新宿文化と同じ建物で、裏から入る「蠍座」という小さな映画館(立ち上がると頭がスクリーンの影になって客席から怒鳴られた)では、ときどき映倫を通さない映画が上映された。寺山修司や若松孝二がメジャーになる前の小さな作品も上映されていた。新宿文化とともに、ATG映画のきっかけになった映画館だ。
 そこで上映された映画の一つに、当時としてはびっくりするような映像が映し出されたことがある。スウェーデンのなんという映画だったか忘れたが、いきなりスクリーンいっぱいに女性の下半身のクローズアップが映し出されて、スエーデン語のナレーションとともに「アジアの日本という国では、このような映像を上映することができない」というような字幕が出たのを覚えている。ヘア解禁前の話だ。