ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

『私は貝になりたい』がもたらすもの

2008年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 大江健三郎氏は16日付の朝日新聞に掲載された「定義集」のなかで、文学関係を中心に本を読み続けてきた人生で、詩や小説よりも評伝によって教えられたところが多いと書いています。
 さらに、この国が純文学の読者を失っていると指摘した上で、文学と読者との関係を再建してくれる新しい批評家の出現に期待するとも。

 つい先頃、長年非常に広範かつ深い知識のもとに、あらゆる分野での評論活動を続けて来た加藤周一氏を、私たちは失ってしまいました。彼はある一分野の専門にとどまらず、批評対象についてさまざまな、あらゆる角度から批評できる評論家であり、彼を越える人物を、ぼくは氏をおいて後にも先にも知りません。

          ◆

「これじゃあ貝になれない」と黒澤明は言った
 去る土曜日に行われた「南京事件71周年記念集会」のあと、G出版社の社長と短い時間でしたが、評判の映画『私は貝になりたい』について語り合いました。実は二人とも、1958年に放送されたドラマは見ていても、今回の映画は見ていません。その理由は、その価値が不透明でどうも積極的に見に行こうという気にならない、という点で共通していました。
 見ていない映画についての批評はできるはずもないので、そこで語られたことは脚本家橋本忍によるシナリオについてでした。
 黒沢映画の脚本家として多くの傑作を遺して来た橋本氏は、ドラマ『私は貝になりたい』の脚本を読んだ黒澤明が言った「橋本よ、これじゃあ貝になれないんじゃないか?」という言葉が、それから50年間も頭の隅にひっかかっていたそうです。
 そこで今回、大きく二つのシーンを書き加えることで、頭のひっかかりを取り去ろうと試みたというようなことを、最近何かで読んだ覚えがあります。
 その二つのシーンとは、ロケーションなどの演出は別として、1. 家族が助命嘆願を行う。2. 収監された後、ドラマではいなかった子どもとの対面シーンを加えたことだといいます。
 複数の批評家による文章や観客の反応を新聞やネットで読む限り、この二つのシーンを追加することで、橋本氏が黒澤明の言葉から解き放たれたとは思えません。どうも橋本氏は、「貝になりたい」というBC級戦犯の絶唱が理解しきれていないのではないかと思えるのです。そのために50分にもわたる挿入部分は、もしかすると映画としての面白さは増したのかもしれませんが、「貝」に至る流れとしてはいささかピント外れに感じられます。
 現代の、あまりにも戦争との距離が開いた時代環境のもとでこの映画を見せられた観客は、豊松が加害者でもあるという重要な部分が欠落し、過去の戦争についての歴史認識に歪みをかかえたまま劇場を後にすることになってしまうのではないかという危惧を、ぼくは否定できないでいるのです。
 ドラマの脚本と観客の間に当初から介在する問題点、軍事裁判という特殊な裁判に対する不十分な理解と、最下層の兵士である二等兵が絞首刑の執行を受けるという、つくられた悲劇性だけが強調されるという、歪んだ歴史認識は作品に残されたままなのです。
 敗戦から50年を経て、アジア太平洋戦争が歴史の一頁としてしか認識できないでいる現代人には、不公平な軍事裁判とともに、加害者ではなく被害者としての清水豊松が、他の要素を圧して強い印象を残す結果になってしまったようです。

             ◆

死刑になった二等兵は一人もいなかった
 かといって、ぼくはこの映画を全否定するつもりはありません。観客がこの映画がフィクションであることを認識し、かつ十分な歴史認識を持ったうえで見るのであれば、戦争の実態を一部かいま見ることになり、反戦への意識を高めるきっかけになるのではと、わずかながら期待してはいます。
 なぜなら、同じ脚本家によるこの作品が1958年に放送されたときには、多くの視聴者が加害者である清水豊松の後悔と戦争そのものの悲劇を感じ取り、「貝になりたい」心理状態を共有することができたからです。
 そこで必要になってくるのが、50年を隔てて希薄になってしまった戦争への認識を埋める、優れた批評家の存在です。先のドラマが放映されたときには国民の多くがもっていた認識が、今とこれからの観客にどうしても伝え直すことが必要なようです。
 大江氏のいう「読者(観客)との関係を再建してくれる新しい批評家」の誕生が、映画の世界においても待たれます。
 
 原作者の加藤哲太郎は曹長(下士官)であり、遺書という形で登場させた創作上の人物赤木(映画およびドラマでは二等兵清水豊松)も、曹長であって二等兵ではありません。映画を見に行ったほとんどの人が知らないことだと思いますが、加藤氏を含めたBC級戦犯5700人のうち、死刑を執行された二等兵はただの一人もいませんでした。
 死刑になったBC級戦犯は901人(『BC級戦犯裁判』林博史)で、その多くは下士官以上で兵長以下の兵はわずか25人、その中に二等兵は一人もいません。
 清水豊松のように、捕虜殺害に手を下したもののそれが上官の命令だった場合は、死刑ではなく、重労働(懲役)に処せられ、しかもほとんどが減刑されて数年で釈放されています。
 つまり、ドラマとしての面白さを増すことを目的に、主役を二等兵にしてしかも最後に絞首刑を執行させたところに、いかにフィクションとはいえ重要な事実との違いを発生させてしまっているのです。

 さらに、日本軍の「習慣」をまったく考慮しない、軍事法廷における裁判の粗雑かつ不公平さが、かなり印象的に描かれていて、それは今回の映画でも同じでしょう。
 そのことによって安易に連想されてしまうのが、「東京裁判否定論」と「A級戦犯無罪論」です。つまり、きちんとした歴史認識のもとでこの映画を見ない限り、靖国派や歴史改竄派に利用されかねない危険があることを認識しておく必要があります。
 こうした連想に歯止めをかけるためにも、的確な解説ができる優れた批評が必要なのです。

             ◆

重要なのは「加害責任」と「戦争責任」
 加藤哲太郎氏は著書『私は貝になりたい』のなかで、戦後結成された保安隊(自衛隊の前身)について次のように書いています。
 「保安隊の諸君は、赤木氏(原作に登場する主役)およびすべてのBC級戦犯の例にかんがみて、自己の行動を律するのが、自分のために得策であることを知るべきである。戦争だから、戦争の要求にしたがって行動したという自己弁護は成り立たぬであろう」
 つまり、「日本軍の常識」は国際社会では通用しないよ、ということです。何があろうとも、(たとえ自分が命令違反で処刑されようとも)納得できない命令は拒否できる可能性が常にあること。可能性がある以上、命令であろうが何であろうが、実際に自分が人を殺したという事実は消し去ることができないし、許されることはないということです。

 彼が「貝になりたい」と思ったのは、多くの評論家が語るように、一言で言ってしまえば「人間不信に陥ったから」でしょう。しかしそれには大きな理由があります。彼は社会や家族などの現実から逃避したのではなく、また死刑になる自分に嫌気がさしたのではなく、まして不公平な裁判を行ったアメリカに対する恨みでもなく、真に伝えたかったのは、どうしても不毛な戦争をやめようとしない人間すべてに対する不信です。
 加藤哲太郎は、戦争そのものと戦争をはじめた人間たちに、自分だけでなく人類全員に対して「貝になれ」と叫んでいるのです。そうすれば戦争などできやしないだろうと。

 NHKスペシャルで、ちょうどタイムリーに「最後の戦犯」と題する番組が放送されました。番組では不公平な裁判への批判も加えながら、捕虜を殺してしまった兵士の責任と、日本軍の習慣は国際社会ではまったく通用するものではないことが表現されていました。さらには母国が日本の植民地であったがために、日本人として収監され裁かれた朝鮮人を登場させるなど、史実にのっとった実に良い番組でした。
 もっとも、このような内容で映画をつくっても、興行的に成功するとは思えませんが、それが残念でもあります。

 最後に、加藤哲太郎著『私は貝になりたい』(春秋社版)から、重要な部分を引用しておきます。長くなりますが、映画の印象と異なる真理が描かれている部分ですので掲載しておきます。

             ◆

原作の「貝」の部分
 いったい私たちは誰のために戦争したのかしら? 天皇陛下の御為めだと信じていたが、どうもそうではなかったらしい。
 天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日頃から常に御勅諭の精神を、私の精神としようと努力した。私は一度として、軍務をなまけたことはない。そして曹長になった。天皇陛下よ、なぜ私を助けてくれなかったのですか。きっとあなたは、私たちがどんなに苦しんでいるか、ご存じなかったのでしょう。そうだと信じたいのです。だが、もう私には何もかも信じられなくなりました。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べということは、私に死ねということなのですか? 私は殺されます。そのことは、きまりました。私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。ですから、もう貸し借りはありません。だいたい、あなたからお借りしたものは、支那の最前線でいただいた七、八本の煙草と、野戦病院でもらったお菓子だけでした。ずいぶん高価な煙草でした。私は私の命と、長いあいだの苦しみを払いました。ですから、どんなうまい言葉を使ったって、もうだまされません。あなたとの貸し借りはチョンチョンです。あなたに借りはありません。もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決して、あなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。
 けれど、こんど生まれかわるならば、私は日本人になりたくはありません。いや、私は人間になりたくありません。牛や馬にも生まれません、人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから。何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子供を心配することもないし、どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれるつもりです。


◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
仲間と、映画「私は貝になりたい」を観て、理容業の... (ハセ丼)
2008-12-17 11:24:16
仲間と、映画「私は貝になりたい」を観て、理容業の魅力を熱く語れる勝手連をやってます。ブログは、http://blog.livedoor.jp/katteren1122/ です。
返信する
ハセ丼さん (ひまわり博士)
2008-12-17 15:38:50
ハセ丼さん

この映画が、多くの人々にとって平和への願いを深めて行くきっかけになればいいですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。