ひまわり博士のウンチク

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杉五お別れパーティ

2008年03月23日 | 受験・学校
 学校統合で、杉並第五小学校は今年度で閉校になり、児童はみんなお隣の若杉小学校の校舎に転校します。
 若杉小学校の校舎は統合された天沼小学校の校舎として使われますから、若杉小学校も今年度で終りです。
 杉五の校舎はすぐに解体されて、2年後には杉五の跡地には新校舎が完成。そこが新しい天沼小学校になります。

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 これが、新校舎の完成予想図です。屋上が緑で、なんとなく表参道ヒルズみたいですが、なんじゃらもんじゃらショコラティエ、なんかが入る予定はありません。

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 今日は、杉五のお別れパーティーです。
 今度5年生になる無量は、天沼小学校の新校舎が完成する2年後はもう卒業ですから、残念ながら新校舎で勉強する機会はありません。

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 今中学生の那由は、小学校が大嫌いでしたが無量は大好き。二人が通った学校がなくなるのには感無量です。
 若杉小学校の人数が極端に少なくて、まるで過疎地の分教場並み。むやみやたらな統廃合には反対ですが、この児童数では存続しろとも言えないかも。

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 体育館では新旧職員から卒業生、在校生など500人以上が集まって立食パーティが開かれます。
 結構な御馳走に、みんな知らん顔していますが、心はそわそわ。

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 これが最後の校長先生のはなしも、みんなのおしゃべりで聞き取れません。

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 待ってました! 乾杯が終わるか終わらないうちに、ドドドッと子どもたちが押し寄せます。

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 杉五が創立したのは大正10年(1921年)で、小学校としてはけっこう伝統があります。スライドで、創立当時から現在までを振り返りました。

 ちなみに、ぼくは最初杉並第二小学校に入学して、戦後の生めよ増やせよの時代で子どもの数が急増。三年生になる時に、新しくできた浜田山小学校に転校になりました。
 しかしその浜田山小学校も教室の数が児童の増加に追いつかず、校舎が増築されるまで午前と午後の二部授業だったことがありました。
 給食のミルクが脱脂粉乳だった時代です。
 今では浜田山小学校は「名門」のうわさがありますが…。

 ステージでは、新旧職員が一人30秒ずつの挨拶をして、ダンスや合奏ななどのパフォーマンスが行われました。
 盛況のうちにあっけなく閉会です。

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 校庭に小さな池があって、メダカがたくさんいます。
 今やメダカは天然記念物レベルですから、池のある家庭や公園の池に放すなど、延命手段に苦慮しています。

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 さて、杉五の正門前の交差点の信号とバス停は「杉並第五小学校」になっています。
 どうするのでしょうか。

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