「えー、馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。世の中には実に色々な職業があるもんでございまして、仕事に応じて仲間内だけで通用するような、独特の言葉ってえもんがあるようでございます。
江戸の職人衆は、お金のことを「おあし」っていってましてね、すぐ足が生えたみてえにどっかにいなくなっちまうから、ってえことらしいんですが……」
僕は編集屋兼ライターそのうえデザインもやるので、実にさまざまな業界とのかかわりがあります。
何年か前、編集プロダクションの若い女性社員がスタジオ撮影の現場を見たことがないというので、見学を兼ねてアシスタント代わりに連れていったことがあります。
フォトスタジオでのエピソード
地下鉄を「表参道」で降りて、「青山スタジオ」へ。
雑誌の特集でレトロな玩具を紹介するということで、スタジオの中には“ケンダマ”だの“だるま落とし”だの“軍事将棋”だの“木製の野球盤”なんかがところ狭しと並べられています。
「へええ、昔の子どもって、こんなので遊んでて面白かったのかしら、かわいそうだったのね」
??それしかないのだから、かわいそうじゃないの。
「あ、これ知ってる、おじいちゃんがやってた」
??それは“コリントゲーム”っていって、昔からある高級玩具だよ。これはフィンランド製だから高いぞ。
「よいしょっ。あれ、むずかしいな」
??こら、あそぶな。撮影前のものはやたらにさわっちゃだめだ。
カメラマン「どれから行きましょう」
僕「大物(大きいものや集合写真)から順にいきましょうか、その方がセッティングがラクでしょう」
カメラマン「わかりました、じゃあ集合から。(スタジオマンに)先に“4×5(しのご)”にするからジナー(外国製大形カメラ)立てといて」
僕「ほとんど切り抜き(切り抜き写真)ですから、バックはスタジオグレー(背景に使う紙の色)で。明かりはややフラット目がいいですね」
カメラマン「(スタジオマンに)トップ(上から当てるメインのライト)はカサバン(こうもり傘を広げたような反射器具)で。あと、ポールキャット(床と天井をバネで圧してたてるアルミの柱)二本追加して、トレペ張ってくれる」
準備ができて、いよいよ撮影。
カメラマン「ポラ(ポラロイド)いきまーす」
バコッ!
「ヒャッ」こっちのアシスタントの声です。スタジオ用のストロボは音もでかくて光も強烈。
この頃はデジカメじゃなかったので、ポラロイドの色が出るまで数分待たなければいけません。
カメラマン「んな感じです」
僕「トーンはオッケーかな。手前っ側、もうちょっと迫力が欲しいな」
カメラマン「うーん。ま、普通(に撮影すれば)だとこんな感じなんだけど」
僕「ナガダマ(長焦点レンズ)でなく、むしろワイド(広角レンズ)の方がいいかなあ」
カメラマン「“135(焦点距離135ミリのレンズ)”ぐらいでいってみるか」
僕「あと、左側の方、もうすこし明かりまわして欲しい」
カメラマン「白レフ(レフレクター=反射板。白と銀がある)1枚入れるか」
そのあと、何カットかポラ撮りをして、本番。
最初のカットが終わった頃、ふと気がつくと連れてきたアシスタント君、なんだかすっかり大人しくなっていました。
「どうしたの?」
「すっご~い。専門用語バリバリですね。何言ってんだかぜんぜんわかりません!」
「何回か立ち会っているうちに覚えるさ」
「それじゃ困るんです。社長に今日の報告書を書くように言われてて」
「何がなんだかぜんぜんわからなかったけど『そのうちわかるようになる』っていわれましたから、また撮影の立ち会いに行きたいです、って報告しときな」
「え、また来ていいんですか! ここのお昼のおべんと、おいしかったですね」
こいつ、何しに来たんだか。
このスタジオ近くには有名なとんかつ屋「まい泉」があって、昼食はたいていそこのとんかつ弁当。たしかにうまい。
印刷会社でのエピソード
出版の仕事は印刷業界と深いかかわりがあります。今ではすっかりコンピューターになって、業界用語もずいぶん変わりました。
この話は、僕がかけ出しのころ、印刷会社に出張校正に行ったときのことです。
出張校正とは、仕上がり時間が迫っているときなど、直接印刷会社に出向いていって校正をすることで、たいてい、印刷直前の念校(最後の確認)です。
その出張校正の現場でギョッとしたことがあります。
書籍の印刷は基本的に16ページが1枚の紙に印刷されますから、校正はその片面8ページがくっついた状態で出てきます。しかも、隣り合ったページが必ずしも連続しているわけではありません。規則性はあるのですが、素人が見るとバラバラで、どこからどう見ればいいのかわからなくなります。
印刷会社ではその8ページごとを、1台2台と数えます。
女性従業員が、製版の工場から念校用の青焼き(印刷フィルムから直接感光紙に写したもの。色が青いのでこう呼ばれる)を何台分かまとめて校正室に持ってきます。
「製版の○○です、よろしくおねがいします」
とても感じのいい、若い女性でした。
僕が何か所か“赤字”(修正指示)を入れて、現場のチーフに説明し終わったとき、彼はそばで待機していた○○さんにいきなりこんなことをいうのです。
「○○君、“ストリップ”たのむね」
そういわれた○○君はケロッとした顔で校正紙を受け取ると、
「はーい、わかりました」
って、こんなのあり? 出張校正に来ると、この印刷会社ではストリップのサービスがあるのかしら。校正室に突然ミラーボールが降りてきて、音楽が流れ……そんなわきゃない。
すると、僕の表情で察したのか、チーフがにやりと笑っていいました。
「びっくりしたでしょう。あの子のストリップなら僕も見たいとこなんですけどね、違うんですよ」(あんた、そりゃセクハラだろ。もっともこの時代はそんな言葉はなかったけど)
「これです。これはストリップフィルムといって、厚手のフィルムに感光材を塗った極薄いフィルムが合わさっているんです。こうして、薄い方を“剥ぎ取って”修正したい箇所にそっと張り付けるんですが、熟練した技術が必要ですよ」
僕はそれを聞いて、半分ほっとして半分がっかりしました。
このストリップフィルム、今ではDTP(Desktop prepress)の普及ですっかり使われなくなって、生産が中止されたそうです。しかしそれでも必要な場合もあるとかで、某印刷会社では10年分くらいはキープしているとか。10年ももつものなのでしょうかね。
(編集作業の場合は、同じDTPでもDesktop publishingといいます)
ジャズのプロモーターとのやり取り
友人がナベサダのPA(Public Address=音響拡声装置、音響技術者のこと)をやっていた関係で、ジャズの外タレ(外人タレントの略。マイルス・デイヴィスもクウィーンも外タレ)のライブにはよく行きました。
縁ができて友人の関係する「呼び屋(外人タレント専門のプロモーター)」や彼が所属する新宿の音響会社の社長から、ちょっとしたパンフレットやチラシなどをたのまれて、時々作りました。
文章を考えてまとめて、A4サイズにデザイン。たいてい2、3時間あればできるものです。
ま、サービスというかおつき合いなので、ギャラは“ほとんど”期待していません。
「わるいけど“デーゲー”でいいかな」
「“デーゲー”っすか」
「そうだよな、“デーゲー”じゃ交通費だよな。でも、これ予算ないんで“エーマン”で勘弁してよ。エバンスのチケット回すから」
最近はどうかわかりませんが、音楽関係者独特の言葉で、C=1、D=2、E=3、F=4、G=5…というように、音階を数字に置き換えます。
スポンサーにわからないように、こんな隠語を使っていたのですね。
ちなみに“デーゲー”は“デーマンゲーセン”の略でD万G千、つまり25,000円。“エーマン”はE万で30,000円。バブル真っ盛りの時代にしてはひどい金額です。
ビル・エバンスの郵貯公演のチケットが2枚、あとから送られてきました。あわせて約50,000円、ゲーマンになりました。
この隠語はジャズの世界から始まって、音楽一般、そして電波媒体全体に広がっていった、と大橋巨泉が話していたような。
業界用語にまつわる話はキリがありません。続きはまたこんど。
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはこちらへ
または直接メールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
江戸の職人衆は、お金のことを「おあし」っていってましてね、すぐ足が生えたみてえにどっかにいなくなっちまうから、ってえことらしいんですが……」
僕は編集屋兼ライターそのうえデザインもやるので、実にさまざまな業界とのかかわりがあります。
何年か前、編集プロダクションの若い女性社員がスタジオ撮影の現場を見たことがないというので、見学を兼ねてアシスタント代わりに連れていったことがあります。
フォトスタジオでのエピソード
地下鉄を「表参道」で降りて、「青山スタジオ」へ。
雑誌の特集でレトロな玩具を紹介するということで、スタジオの中には“ケンダマ”だの“だるま落とし”だの“軍事将棋”だの“木製の野球盤”なんかがところ狭しと並べられています。
「へええ、昔の子どもって、こんなので遊んでて面白かったのかしら、かわいそうだったのね」
??それしかないのだから、かわいそうじゃないの。
「あ、これ知ってる、おじいちゃんがやってた」
??それは“コリントゲーム”っていって、昔からある高級玩具だよ。これはフィンランド製だから高いぞ。
「よいしょっ。あれ、むずかしいな」
??こら、あそぶな。撮影前のものはやたらにさわっちゃだめだ。
カメラマン「どれから行きましょう」
僕「大物(大きいものや集合写真)から順にいきましょうか、その方がセッティングがラクでしょう」
カメラマン「わかりました、じゃあ集合から。(スタジオマンに)先に“4×5(しのご)”にするからジナー(外国製大形カメラ)立てといて」
僕「ほとんど切り抜き(切り抜き写真)ですから、バックはスタジオグレー(背景に使う紙の色)で。明かりはややフラット目がいいですね」
カメラマン「(スタジオマンに)トップ(上から当てるメインのライト)はカサバン(こうもり傘を広げたような反射器具)で。あと、ポールキャット(床と天井をバネで圧してたてるアルミの柱)二本追加して、トレペ張ってくれる」
準備ができて、いよいよ撮影。
カメラマン「ポラ(ポラロイド)いきまーす」
バコッ!
「ヒャッ」こっちのアシスタントの声です。スタジオ用のストロボは音もでかくて光も強烈。
この頃はデジカメじゃなかったので、ポラロイドの色が出るまで数分待たなければいけません。
カメラマン「んな感じです」
僕「トーンはオッケーかな。手前っ側、もうちょっと迫力が欲しいな」
カメラマン「うーん。ま、普通(に撮影すれば)だとこんな感じなんだけど」
僕「ナガダマ(長焦点レンズ)でなく、むしろワイド(広角レンズ)の方がいいかなあ」
カメラマン「“135(焦点距離135ミリのレンズ)”ぐらいでいってみるか」
僕「あと、左側の方、もうすこし明かりまわして欲しい」
カメラマン「白レフ(レフレクター=反射板。白と銀がある)1枚入れるか」
そのあと、何カットかポラ撮りをして、本番。
最初のカットが終わった頃、ふと気がつくと連れてきたアシスタント君、なんだかすっかり大人しくなっていました。
「どうしたの?」
「すっご~い。専門用語バリバリですね。何言ってんだかぜんぜんわかりません!」
「何回か立ち会っているうちに覚えるさ」
「それじゃ困るんです。社長に今日の報告書を書くように言われてて」
「何がなんだかぜんぜんわからなかったけど『そのうちわかるようになる』っていわれましたから、また撮影の立ち会いに行きたいです、って報告しときな」
「え、また来ていいんですか! ここのお昼のおべんと、おいしかったですね」
こいつ、何しに来たんだか。
このスタジオ近くには有名なとんかつ屋「まい泉」があって、昼食はたいていそこのとんかつ弁当。たしかにうまい。
印刷会社でのエピソード
出版の仕事は印刷業界と深いかかわりがあります。今ではすっかりコンピューターになって、業界用語もずいぶん変わりました。
この話は、僕がかけ出しのころ、印刷会社に出張校正に行ったときのことです。
出張校正とは、仕上がり時間が迫っているときなど、直接印刷会社に出向いていって校正をすることで、たいてい、印刷直前の念校(最後の確認)です。
その出張校正の現場でギョッとしたことがあります。
書籍の印刷は基本的に16ページが1枚の紙に印刷されますから、校正はその片面8ページがくっついた状態で出てきます。しかも、隣り合ったページが必ずしも連続しているわけではありません。規則性はあるのですが、素人が見るとバラバラで、どこからどう見ればいいのかわからなくなります。
印刷会社ではその8ページごとを、1台2台と数えます。
女性従業員が、製版の工場から念校用の青焼き(印刷フィルムから直接感光紙に写したもの。色が青いのでこう呼ばれる)を何台分かまとめて校正室に持ってきます。
「製版の○○です、よろしくおねがいします」
とても感じのいい、若い女性でした。
僕が何か所か“赤字”(修正指示)を入れて、現場のチーフに説明し終わったとき、彼はそばで待機していた○○さんにいきなりこんなことをいうのです。
「○○君、“ストリップ”たのむね」
そういわれた○○君はケロッとした顔で校正紙を受け取ると、
「はーい、わかりました」
って、こんなのあり? 出張校正に来ると、この印刷会社ではストリップのサービスがあるのかしら。校正室に突然ミラーボールが降りてきて、音楽が流れ……そんなわきゃない。
すると、僕の表情で察したのか、チーフがにやりと笑っていいました。
「びっくりしたでしょう。あの子のストリップなら僕も見たいとこなんですけどね、違うんですよ」(あんた、そりゃセクハラだろ。もっともこの時代はそんな言葉はなかったけど)
「これです。これはストリップフィルムといって、厚手のフィルムに感光材を塗った極薄いフィルムが合わさっているんです。こうして、薄い方を“剥ぎ取って”修正したい箇所にそっと張り付けるんですが、熟練した技術が必要ですよ」
僕はそれを聞いて、半分ほっとして半分がっかりしました。
このストリップフィルム、今ではDTP(Desktop prepress)の普及ですっかり使われなくなって、生産が中止されたそうです。しかしそれでも必要な場合もあるとかで、某印刷会社では10年分くらいはキープしているとか。10年ももつものなのでしょうかね。
(編集作業の場合は、同じDTPでもDesktop publishingといいます)
ジャズのプロモーターとのやり取り
友人がナベサダのPA(Public Address=音響拡声装置、音響技術者のこと)をやっていた関係で、ジャズの外タレ(外人タレントの略。マイルス・デイヴィスもクウィーンも外タレ)のライブにはよく行きました。
縁ができて友人の関係する「呼び屋(外人タレント専門のプロモーター)」や彼が所属する新宿の音響会社の社長から、ちょっとしたパンフレットやチラシなどをたのまれて、時々作りました。
文章を考えてまとめて、A4サイズにデザイン。たいてい2、3時間あればできるものです。
ま、サービスというかおつき合いなので、ギャラは“ほとんど”期待していません。
「わるいけど“デーゲー”でいいかな」
「“デーゲー”っすか」
「そうだよな、“デーゲー”じゃ交通費だよな。でも、これ予算ないんで“エーマン”で勘弁してよ。エバンスのチケット回すから」
最近はどうかわかりませんが、音楽関係者独特の言葉で、C=1、D=2、E=3、F=4、G=5…というように、音階を数字に置き換えます。
スポンサーにわからないように、こんな隠語を使っていたのですね。
ちなみに“デーゲー”は“デーマンゲーセン”の略でD万G千、つまり25,000円。“エーマン”はE万で30,000円。バブル真っ盛りの時代にしてはひどい金額です。
ビル・エバンスの郵貯公演のチケットが2枚、あとから送られてきました。あわせて約50,000円、ゲーマンになりました。
この隠語はジャズの世界から始まって、音楽一般、そして電波媒体全体に広がっていった、と大橋巨泉が話していたような。
業界用語にまつわる話はキリがありません。続きはまたこんど。
◆あなたの原稿を本にします◆
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または直接メールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで