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演奏が始待った瞬間、1950年代のニューヨークにテレポートする。
場所は場末のバーのカウンター。客は私一人だけだ。
歌手はあまりこの場にそぐわないカクテルドレスを身につけ、ピアノカルテットの演奏でけだるく歌っている。
「お代わりを」
バーテンはだまってグラスにバーボンを注ぐ。これで3杯目だ。心地よい酔いが全身を支配しはじめた頃、バーのドアが開いて女が入ってくる。
「待たせてごめん。明日はもうゲネプロなのにプロデューサーと演出がもめて……」
女は32歳、鳴かず飛ばずのミュージカル女優である。タイムズスクエア近くにある稽古場からタクシーを飛ばしてきたのだろう、約束の時間をもう1時間以上も遅れている。メイクを落としただけの素顔に乱れた髪を無造作にまとめた姿でやってきた女は、私の隣に座りほっとした笑顔を見せるとバーテンに言った。
「私にも同じものを」
リー・ワイリーの名盤『ナイト・イン・マンハッタン』は、聴く者をそんな妄想の世界に導く。
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リーワイリー(1908年10月9日~1975年12月11日)は、1930~50年代に活躍した美人ジャズ歌手である。
当時のジャズはダンスミュージックが主流で、グレン・ミラーに代表されるビッグバンドジャズがもてはやされた。したがって音楽は、聴くことよりも、それに合わせてダンスをすることが目的の時代だった。
『ナイト・イン・マンハッタン』もやはり、ダンスミュージックの雰囲気を残したアルバムである。伴奏がビッグバンドではなく、ピアノとトランペット主体のコンボ編成になっているので、冒頭のような妄想をするにはぴったりなのだ。
トータル37分間、場末のニューヨークを味わってみるといい。妄想ならば、現実の深夜のニューヨークのように、拳銃を持ったギャングに踏み込まれるようなことは決してない。
他に、同系列のジャズボーカルでおすすめは、コール・ポーター『ナイト・アンド・デイ』。
それと、リー・ワイリーを凌ぐ美人歌手、ジョニ・ジェイムスなども聞いてみてはいかがか。伴奏はビッグバンドで1950年代のアメリカ映画のBGMのような雰囲気だが、ちょっと舌足らずで甘い声は、ルックスも相まって彼女にしたくなる。活動期間は1950年代後半から1960年代前半の約10年と短い。人気の絶頂で引退したことは、まるで山口百恵だ。彼女は現在、84歳で存命である。
アルバムはどれもおすすめだが、"When I Fall in Love"とか"Sings Songs by Jerome Kern and Songs by Harry Warren" が愛聴盤だ。ただ、所有している数枚はトニーレコードの故西島経雄さん(筆名紅良人さんはダンスミュージックのオーソリティーだった)が推薦してくれたもので、全部聴いて選んだわけではないから、さらなるお気に入りと出会うかもしれない。
西島さんがニューヨークで入手したのをすぐに譲ってくれた“Give us This Day”はCD化されていない希少盤で、僕の宝物である。遺品になってしまった。
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